2 ヘッドフォンとイチゴ牛乳
「私とバンドを組んでください!!」
彼女の言葉は真っ直ぐに紘の耳へと届いた。
瞬間、一つの疑問が浮かびあがる。
ーーなぜ、自分なのか。
紘は中学のときにバンドを組んでいたが、その事を知る人物は決して多くはない。まして、河風夕が知るはずないのだ。
なのに、夕はバンドの誘いをしてきた。
一呼吸の間を置いて、紘は疑問を口にした。
「なんで俺なんだ?」
「え、遠野くんってギター弾けるんだよね?先生に聞いたんだけど……」
「いや、俺が弾けるのってベースなんだけど」
「そうなの!?私あんまり楽器得意じゃないからギターとかベースとか形そっくりで、違いよく分からないんだよねー」
「河風には悪いけど断る」
「えっ!?……バンド楽しいよ?」
「俺、もう音楽はやめたんだ」
「お、音楽は楽しいよ?」
「それは知ってる。俺はこれで十分なの」
紘は今も首にかかっているヘッドフォンを指差す。
黒色の本体は所々擦れているが、問題なく音楽を聞くことができる紘の宝物だ。普段はだらんと延びているコードは制服の胸ポケットに収納されている。
それを夕は羨望の眼差しで見つめていた。
「あげないぞ?」
「わかってるもん。私だってヘッドフォンくらい……それくらい持ってるもん。別に羨ましくないもん」
ぷいっと、視線を反らす夕の頬は風船みたく膨らんでいる。
まるで、欲しいものをねだる子供のようだ。
「……安いので良ければあげようか?」
「えっ、いいの!?」
「たぶんもう使わないし、河風がいいなら」
「やった!ありがとう」
「おう。それじゃあな」
紘は軽く右手を挙げると、ふにゃんと脱力しきった笑顔を浮かべる夕を置いて、ドアノブに手をかける。
……が、その手を夕に掴まれて引くことができなかった。
「ちょっと離してくれるかな」
「離さないよ!バンド組むって言うまで離さないよー!」
「離さないならヘッドフォンあげないぞ」
「う……うぅ、私は離さないよ!」
こいつ、少し悩んだな。
紘が内心ツッコミを入れている間にも、夕が掴む手に力が入っていく。小柄な夕でも両手に力を入れられれば多少は扉を開けるのに苦労する。
無理やり扉を開けてもいいのだが、怪我でもされたらそれはそれで困る。
どうしたものかと紘が悩んでいると、隣から大きな腹の虫の音が鳴った。
「じ、じつはダイエット中でして……」
視線を隣にやると、聞いてもいないのに夕がそんなことを教えてきた。
見たところ、夕にダイエットは必要なさそうなどころかもっとご飯を食べた方がいいのではないだろうか。
同じ女子高生の水姫は好物のどら焼きを毎日食べているお陰か胸に栄養がいっているし、どら焼きとセットで飲む牛乳のお陰か紘とも身長があまり変わらない。
「これ、食べるか?」
紘は左手にぶらんと下がっていたビニール袋を夕の目の前に持っていった。
中身はクリームパンと缶コーヒー。
それと、一成から貰った生温いイチゴ牛乳だ。
あまりバランスのいい食事とは言えないが、カルシウムも採れるし食べないよりはましだろう。
「遠野くんのだし、貰うと悪いよぉ」
「俺はもうお腹いっぱいだしやるよ」
「じゃ、じゃあ有り難く頂きます。……これ腐ってないよね?」
「……たぶんな」
夕が手に取ったイチゴ牛乳から軽く目を逸らしつつそう答えておいた。
一時休戦、夕の食事タイムが始まった。一応、紘を逃がさないように夕は背中で扉を押さえるようにして立っている。ここでどうこうしても仕方ないので、紘は大人しく夕の隣に移動しておいた。
ストローを刺してちゅうちゅうイチゴ牛乳を飲む夕の隣で、紘も缶コーヒーを開ける。夕が、コーヒーは甘くないと飲めないらしいので返して貰ったのだ。
「微糖」と ラベルに書かれているのを一度確認してから中身を飲む。
案の定、中身は甘いコーヒーだった。
「河風ってさ、結構お子ちゃまだよな」
「っ!?」
無感動に言葉を放ると、むせたのか言葉にならない返事が返ってきた。
一応、背中を擦っておく。
「お子ちゃとは失礼だなぁ。これでも一人のレディなんだよ?」
「いや、小さいし微糖のコーヒーすら飲めないし、わがままだし」
「ち、小さいのはしょうがないし、苦いものは苦いし……確かに、誘い方は強引だっけど……」
後半になるにつれてどんどん声は小さくなっていったが、言葉はきちんと紘の耳に届いていた。
ラスト、一口分のクリームパンを口の中に放ると夕は扉を開けてくれた。
「これは、ご飯くれたお礼。……でも、私まだ諦めてないからね」
「まあ……無駄だと思うけど頑張ってくれ」
適当に返事をして、その場を後にする。
「よーし!頑張るぞー!!」
背中越しに聞こえる夕の声と風の音。
直後、昼休み終了を告げるチャイムが鳴った。