2 ヘッドフォンと春の出会い
「あはは……では、私はこれにて」
いそいそとラジカセを片付け始める天使。
未だ顔を赤く染めたまま紘にそう言うと、ラジカセ片手に階段の方へと歩みを進めてしまう。
このまま帰らせてはいけない。
そう心の衝動は紘に告げるが、何を話せばいいのかもわからず口がもにょもにょと動くだけだった。
「ゼェ……ハァ……う、やっと……追い付いた。……あれ、なんで河風さん?」
「あう、水姫ちゃん……」
「え、なに知り合い?」
息を切らした水姫に視線をやるも、まだ喋れる状態にないのか水姫は腰に手を当てて息を整えている。後ろ手に縛られた髪が水姫の呼吸と共に揺れていた。
天使の方も真っ赤な顔の前で手をわたわたと振るだけでとても話ができる状態にはなさそうだ。
数秒ほど紘が待っていると、ようやく息の整った水姫が口を開いた。
「この子は同じクラスの河風夕さん。確か今日まで風邪で学校を休んでたはずなんだけど……」
どうしてこんなところにいるの?と眼鏡のレンズ越しに水姫の視線が夕に問う。
それに、今度は手を体の前でもじもじさせた夕が答えた。
「実は、私歌があんまり上手くなくてですね……」
「まあ、それは聞いてればなんとなく」
「ちょっと、紘。初対面でそれは……。確かに、そんなに上手くなかったけどさ……いや、音程が少しズレてただけで声は良かったていうか、いやそうじゃなくてえっと……」
途中から水姫も夕の歌声が聞こえていたのだろう。
夕をフォローしようとしていたはずなのに、思ったことが駄々もれでフォローになっていなかった。
しゅんと次第に夕の体が小さくなっていく。
「すみません、音痴で」
「あ、ごめん。……河風さんが音痴だなんてそんなことないよ」
「水姫は嘘をつくとき、いつも鼻の上をかくよなぁ」
「うぅ……鼻かいてる」
「ちょっと紘!?なんでそれを!」
「まあ、こういうのは正直に本当のことを言った方が本人のためなんだって。確かに、河風さんの歌はへたくそだった」
「あう」
「けど、いい歌声だったよ。ちょっと心に響いた」
「本当ぉ」
瞬間、夕の表情がぱあっと華やぐ。
案外ちょろい性格なのかもしれない。
「それで、河風さんはどうして公園に?」
夕の機嫌がよくなったところで、水姫が話を戻す。
「それはね、歌の練習をしたくて。家で歌ってたらお母さんに寝てなさいって怒られちゃって」
てへへと、恥ずかしそうに頭に手をやる夕。
夕は風邪をひいているのだから、お母さんが正しいだろう。風邪をひいたときは大人しく寝るのが一番である。
「それは大人しく寝てなさいよ」
「うん……でもね、いてもたってもいられなくて」
話す夕の瞳はキラキラと輝いていた。まるで、子供が将来の夢を自慢しているみたいに。
ペラペラと剥がれかけている熱冷ましシートを気にすることなく夕の話は続く。
「私、絶対にオーディションに合格して軽音部に入りたいから!だから、そう思ったらもっと練習しなくちゃってなって……それでね」
「ちょっとストップ!」
「うん?」
「つまり、河風さんは軽音部に入りたいから、風邪なのにこんなところで一生懸命歌の練習をしていたと?」
「うん、そだよ?だってうちの高校の軽音部って有名だし!音痴のままじゃ入れないと思って!」
「……うわぁ」
熱く語る夕を見てそう漏らしたのは水姫だった。
その目は完全に可愛そうな人を見るそれになっている。
紘も当然、というか紘の高校……峰ヶ原高校に通っている生徒が知っているだろう事実を夕は知らないようだ。
確かに、峰ヶ原高校の軽音部は有名だ。有名な歌手がOGでいるらしく、オーディションも行われたという。だが、それは過去のもので……。
「紘、言ってあげた方がいいんじゃない」
「……そうだよな。いつか知ることだし」
「あれ、どうしたの二人とも深刻そうな顔をして?」
紘は心を鬼にして、事実を口にした。
「軽音部は、もう廃部してるよ」
「え、えええー!!!」