12 ヘッドフォンと小さな演奏会
「けっこう遅くなっちゃったなぁ」
ふと、スマホの画面を確認した紘は独りごちる。
時刻は十八時を過ぎようとしていた。
春とはいえ、日が沈むのはまだまだ早い季節みたいで太陽は地平線の向こうに沈まりかかっている。
佳菜と話したり風邪っぴきの誰かさんのためにケーキを買いに行ったり、くす玉のおかげで妙に人目を集めたり……と、夕の家の近くまで来るのに、紘は予想以上の時間をかけてしまっていた。あまり遅い時間に行くのも迷惑な気もするので、軽い挨拶程度に済ませるつもりだ。
ほんとうは文句の一つでも言ってやるつもりだったが、なんだか今日は変に疲れてしまってそんな気はすっかり失せていた。
近道なこともあり、夕と初めて出会った公園を横切っていると、横目に見知った制服姿の女子生徒が目に入った。なんてことはない。紘と同じ峰ヶ原高校の制服だ。見慣れていて当然である。
女子生徒は、妹だろうか小学校低学年くらいの女の子と砂場で一緒に遊んであげている。紘は一人っ子だったこともあり、その光景を少しばかりうらやましく思った。
紘は、そんななんとも心和む景色を横目に通り過ぎていく……いや、そのつもりだったのだが、見逃せないものをみてしまい足が止まってしまった。
お下げ頭だ。しかも今日は三つ編み。
彼女には申し訳ないが、髪型一発で判別できてしまった。……だって仕方がない。紘は、心葉以外に校内でお下げ頭の生徒と会っていないのだから。
「あ、九重……」
気付いた時には言葉が口からこぼれていた。小さな呟きは静かな公園内に響く。
当然、それは心葉の耳にも届くわけで……。
「あ、あ……あの、え。えと……」
さっきまでの心和む景色はどこへやら。
そこには、スコップ片手にわなわな震える真っ赤な顔した心葉がいた。
「あっ、そう言えばまだ俺の名前教えて無いんだっけ?えと、遠野紘です。一年三組の」
「あ、はい。遠野くんの名前は知ってます。えと、河風さんに教えてもらったので」
「そっか。それと、こちらは妹さん?」
紘が視線を横にずらしながら聞くと、なぜかスコップを前に構えたままの心葉に変わって女の子が元気に答えた。
「うんたん!!」
うんたん?それともウンタン?って、なにそれ?
もしや、カスタネットか⁉エアで奏でているのか⁉……などと、思考が暴走しかけていた紘に「あ、この子のあだ名です」と心葉が一言付け加えた。
「じゃあ、名前は?」
「そう!ウンタン!!」
小学生は宇宙人ということを聞いたことがあるが、紘はまさに今それを実感していた。
「ほ、ほんとうは、初ちゃんていう名前なんですけど、『うんたん』ていう響きを気にいちゃったみたいで……できれば付きあってあげてください」
「わ、わかった……よろしくな、うんたん」
「うん!……あ、うんたん!!」
元気にそう答える初。
聞くと、初は心葉の妹ではないがよくこの公園で一緒に遊ぶお友達なんだとか。
高校生と小学生の友達ってどうなんだろうとも思うが、不思議と心葉と初ならいいかと許せてしまっていた。
「あ、ダメですよぉ」
─────という、心葉の弱気な指摘で気付いたが、いつのまにか初の熱い視線が紘の手元に注がれていた。
「えっと……どっちが気になる?」
紘の手元には金色に輝くくす玉とケーキの入った紙袋がある。
「こっち!」
「しょうがない。うんたんにあげる」
「わーい!ありがとうお兄ちゃん!!」
素直に喜ぶ初に紘はケーキの入った紙袋を渡した。正直、中身のよく分からないくす玉を初にあげるわけにもいかないので、紘的には助かる形になった。
河風には、ケーキの代わりにくす玉をあげることにした。
「あ、あの……えと」とモジモジさせているのは心葉だ。
「あ、もしかしておやつとかあげたらダメだった?」
「いえ、それは全然大丈夫なんですけど……それ、誰かのために買ったんじゃあ」
「ああー、そういうことか。別にいいよ。俺がうんたんにあげたいって思っただけだから」
「そ、そうですか……でも何かお返しをしないと」
本当の姉みたいなことを言いながら困った様子の心葉に変わって、すっかりご機嫌の初がお返しの答えを提案した。
「うんたんとお姉ちゃんでお兄ちゃんに演奏したあげる!」
後半舌ったらずな初の言葉に、一瞬だけ、心葉の体がピクリと反応した。
それに気づかない初の提案は続いていく。
「お兄ちゃんって音楽好きなんでしょお?だから、歌ってあげるね!」
初が指さすのは、紘の首にかけられたヘッドフォン。それと、今日は持ってきていたベースだ。ケースの中身が何かまでは分かっていないのだろう。初は「ギターギター」言って喜んでいた。
「俺はぜんぜんいいけど」
いいの?と、顔を真っ赤にしてしまった心葉に紘は視線を向ける。
数秒ほどの間を開けて、心葉は口を開いた。
「わかりました。こ、これも初ちゃんのためです。とっても恥ずかしいけど頑張ります!」
「うんたんも頑張る!!」
「じゃあ、よろしく」
初に促されるまま、紘は砂場の中心に移動する。
ただ、肝心の初と心葉はその場から動かなかった。変化があるとすれば心葉がそのまま地べたに座ったくらいだ。
「それじゃあ、いきます。……ワン、ツー」
そんな掛け声とともに心葉は両手に持ったスコップとシャベルをクルクルと二、三度回した。
その動きを見て紘は気が付いた。
乱雑に置かれているように見えた、遊び道具のほとんどが面になる部分を上に向けていたことに。さらには、その配置がどことなくドラムに似ていたことに……。
────タン、タタン。
初の歌声と共に心葉が遊び道具を叩く音が聞こえる。
スコップとシャベルで奏でる音は意外にもよく聞こえた。
初の歌声も小学生らしく可愛らしいものだった。
お返しとしては十分な心のこもった演奏だ。
けれど、言ってしまえばそれだけのもの。
稚拙なそれは、本来なら紘の心を躍らすものではない。
紘は良くも悪くも本当に音楽が好きなのだ。だから、相手が小学生だろうがプロだろうが、その演奏が、その、奏でる音が、どの程度のレベルなのか勝手に判断してしまうし、それが紘の納得できるレベルでなければ決して心躍ることは無い。その上、普段からウサコという名の天使の歌声しか聞いていないのだ。紘の求めるレベルはかなり高いところにあるはずだった。
だというのに、不思議と紘の指は勝手にリズムをとっていた。
知っている歌だから?……いや、違う。
原因は心葉だ。
本来の曲に対して適切なリズムを刻むのはもちろんのこと、心葉は多少ズレてしまう初の歌と曲の整合性を測るようにスコップとシャベルを叩いていた。さすがに同じものとして扱うことは出来ないが、それは、つい気持ちよくなって走りがちなギターを抑え、独自性の塊としか言えないキーボードをメンバーに合わせるでもなく合わさせるでもなく整合性を測っていた、かつてのバンドメンバーのドラムを紘に彷彿とさせた。
「────きをつけ~……れ~い!」
二人の演奏は、そんな初の号令と共に幕を閉じた。
正直なところ、心葉の技量に驚いてしまい感想どころではなかったが、グイグイ服の裾を引っ張る初によって紘は我に返っていた。
「その……うんたんは歌上手だな」
「すごいでしょー!」
「あ……ああ……うぅ」
自慢げに胸を張る初とは対照的に、心葉は俯いたまま呻いていた。演奏前に恥ずかしいと言っていたが、どうやらその恥ずかしさがぶり返してきたみたいだ。
こういうときは放っておいてあげるのがいい。
紘は経験則に則り、茹ダコみたく真っ赤な顔をしてフリーズしてしまった心葉の代わりに初の遊び相手をすることにした。