10 ヘッドフォンと不思議な関係
佳菜の指令コード?とやらの通り家庭科室に着いた紘は、大荷物片手にドアを開けた。くす玉がどうにも邪魔だったが、地面に置くわけにも行かず上手いこと取っ手に指を引っかける形だった。
そんな方法だったからだろう。スライド式のドアはかなりゆっくり開いてしまい、昨日とは違う意味で注目を集めてしまった。
「ど、どうも」
「あ、昨日の……?もしかして九重さんに用だったかな?」
紘の挨拶に答えてくれたのは昨日と同様、オレンジ色のエプロンをした部長だった。
今日も心葉は来ていないのだろう、少し申し訳なさそうな部長の様子から紘は判断できた。
ただ、今は少し要件が違う。
もちろん心葉のことは気になるが、今だけは佳菜の方が優先だ。
「いえ、今日は三沢に呼び出しを食らったもので……」
言いながら家庭科室内を見やる。
すると、包丁片手に真っ赤な顔して停止していた佳菜と目があった。
紘は挨拶がてら手を挙げるが佳菜からの応答はない。代わりに無言のまま睨み返された。
視線だけでは意味を汲み取れなかったが、追加された口パクによるとどうにも「ちょっと待ってろ」という意味らしい。
紘も佳菜に倣う形で、「わかった」と口パクの返事をした。
「……あ、外で待つのでやっぱり大丈夫です。お騒がせしました」
「そ、そう?」
紘と佳菜のやりとりを見ていた部長は、不思議そうに返事をしながらも自分の役割へと戻っていった。
紘が家庭科室前で待っていると、五分と立たず佳菜がやって来た。エプロンを外しているので、その分の時間だったみたいだ。
「ここじゃあ人目につくから、まずは昼休みのところに移動」
そんな佳菜の第一声により、紘たちは音楽室前へと移動することになった。
途中に言葉はなかったが、音楽室前に着くやいなや佳菜にキッと睨みつけられた。
「色々と言いたいことはあるけど……まずそれはなに?」
「ん?……ああ、気にするな。ただのくす玉だ」
佳菜の頭の上にはクエスチョンマークが浮かび上がっていたが、あまりそれに触れたくもないのだろう、話はすぐにくす玉から逸れた。
「とりあえず、さっきのはダメでしょ。もう少し考えて行動してよね」
「ん?なにが?」
「わからないならいい……で、返事は決まった?」
「いや、返事もなにも意味がよく分からないんだが……」
「はあ?意味なんて……その……ままの意味でしょうが!だから来たんじゃないの」
「いや、プリントに家庭科室に来いって書いてたからきただけだけど?」
「え?返事が決まったらて書いてあったでしょ?」
「いや、無かったぞ。ほら」
信じられないと言った様子の佳菜にプリントを見せると、それを見た佳菜は大きなため息をついた。
「やっぱり急な思いつきで行動するのは良くないわね」
「そうだろうなー」
どことなく共感できてしまった(主に河風関係で)ので、つい答えてしまったのだが、佳菜から今のは無視しなさいよ!なんていう理不尽なツッコミが帰って来た。
「もういいや。アンタもアタシが本気で告白したわけじゃないことくらいわかるでしょ」
「まあ、それはなんとなく」
「できればなんとなくじゃなくてハッキリとわかっててほしかったんだけど……」
「仕方ないだろ。そういうの俺には縁がなかったんだからさ」
「まあ、それじゃあ仕方ないわね」
そう言う佳菜の視線は紘の顔の少し下……首にかけられたヘッドフォンに向けられていた。
余計なお世話だと返すも、佳菜からは睨み返された。なんとも理不尽だ。
ともかく。
佳菜の告白は何かしらの狙いがあって行われたものだということが分かった。
タイミング的にも心葉と関係しているも考えるのが自然だろう。
「まあ、つまるところ。三沢と付き合いたければ、何かしら条件を飲めってところか」
「なんだ。ちゃんと分かってるじゃない」
「で、条件ってのはなんなんだ?」
「そうね、家庭科部に体験入部ってのでどう?」
「そんなのでいいの?」
予想外に簡単な条件でびっくりしてしまった。
てっきり、心葉を家庭科部に入部させないとか、付き合っている間は佳菜の奴隷とかそんなことを言われると考えたのに、その答えは拍子抜けするものだった。
意図はわからない……いや、少し分かったかもしれない。
佳菜は一貫して一つの目的を遂行しようとしていたのだから。
「別にいいわよ。それで?答えは?」
言って、佳菜の顔は赤く染まっていく。
本気ではなくてもそういうことに恥じらいは持っているようだ。
潤んだ瞳が力無く紘を睨み付ける。
その様子を見て紘は答えを決めた。……いや、元々答えは決まってはいた。けれど、紘は今ので確信した。
「三沢には悪いけど断っておく」
「え?アタシと付き合えるんだよ?」
紘の答えに佳菜は慌てているようだった。
それもそうだろう。
佳菜はクラスで一番可愛いと噂の女の子だ。
それもただ可愛いだけでなくて、ナチュラルな化粧やセットされた髪型、着崩した制服からわかるように、自身が可愛く見えるように努力もしていて、それを自覚しているタイプの人間なのだ。
紘は随分と敵対視されているので、あまり性格はいいと思っていないが、教室で見る限りはそんなことも感じさせない。
有り体にいうと、見た目よし中身よしってやつだ。
おそらく入学間もないこの時点で何回かは告白もされているのだろう。
彼女の自信はそういった努力と実体験に基づくものだった。
だから、佳菜が慌てるのも仕方がない。
条件つきといっても……飛びっきり軽いやつだ。それだけで佳菜と付き合えるのだ。
……ふつうは付き合うに決まっている。
そのあたりもよく分かって佳菜は条件を出しているはずだ。
けれど、紘には断る理由がある。つい最近できた懐かしい理由が……。
「少しだけでいいんだよ?別に入部まではしなくていいし……」
「だろうな。でもいいや」
「……なんで?」
紘の理由を知らない佳菜は何かに縋るように、その理由を問う。
紘はそれに、恥ずかしさからか頬を少しかきながら答えた。
「いや……練習あるし」
「そ、そんな理由で!?」
「まあ、三沢は可愛いとは思うけど……俺はまた音楽をやるって決めたんだ。下手くそだけどいい歌を歌うやつがいてさ。そいつは、たぶん俺よりずっと音楽が好きで好きでたまらないようなやつで、そいつとなら楽しくやれると思えるんだ。そいつと楽しくやりたいから……今はとにかくもっと練習したいって感じでさ。それに、まだメンバーすら揃ってないのに恋愛なんてできないし……だから……三沢には悪いけど」
「そう……アンタも一緒なのね……」
誰かを想うその言葉は、紘が佳菜から初めて聞く感情だった。
けれど、それは後から捲し立てるように出た言葉で掻き消された。
「あーもう!いいわよ!告白も冗談だし!?別にぜんっぜん気にしてないし!アンタにフラれるとかあり得ないし!あーなしなし!さっきまでの話はキレイさっぱり忘れて!」
「お、おう……」
言葉と共にどんどん突き立てられた指は、度々、胸の辺りに当たってこしょばゆかった。
照れ隠しに近いそれを受けていると、紘の体は自然にのけ反っていた。
「あ、最後に一つだけ……」
言いながら、佳菜はプイとそっぽを向く。
その横顔は夕陽で真っ赤に染まっている。
「もしも……もしもね。心葉と一緒にバンド組むんならさ……たまにでいいからあの子にも意見させてあげてよ。なかなかそんなこと言わないと思うけど」
「ん?そんなの当たり前だろ」
「……そっか。ならよかった」
それじゃあ。
と、軽く手を挙げる佳菜はそのまま階段を降りようとする。
それを紘は呼び止めた。
それに、佳菜は首だけ振り向かせる。
「俺の勘違いだったらアレなんだけど……。もしも九重との間に何かあったんなら、聞かせてくれないか?」
紘の言葉に、佳菜は思慮するために一瞬足を止める。
「少しながいけど……」
……それでもいいなら。
そう言って、佳菜は自信と心葉について語り始めた。