第八十四話 『感謝する者』
「ぬぅー……」
「むぅー……」
対面に腰掛けたアガサとテトは、互いに相手を睨んでいた。
両者の雰囲気は剣呑そのものだが、どちらも幼女なので、俺には子猫の喧嘩程度にしか見えない。
「下僕! このメギツネは誰なんじゃ! 化かされておるのか?!」
ヴァンパイア特有の犬歯を覗かせながら、アガサが怒鳴った。
どうやら俺は彼女の『下僕』という設定らしい。さっきは『お兄ちゃん』だったのに……。
「貴女こそ何者なんですか?! というか、ゆーとさんに変な名前つけないで下さい!」
旅の仲間だよ、と答えかけたところでテトが怒鳴った。
彼女がここまでむくれるのも珍しい。
「名前じゃないわい! これは我がソヤツに与えた称号じゃい!」
「な……何言ってるんですか……?」
犬歯を光らせ主張するアガサに、テトは困惑。ホント何言ってんだろーね。
「よいか! ソヤツとはあの契りの夜、我と血の契約を結んでいるのだ! つまり、ソヤツは我のサーヴァントなのだ!」
「ち、契りの夜?! 血の契約?!」
ツートーン高い調子でテトが悲鳴を上げた。見開いた目で俺を不安げに見上げる。
「いやいやいやいや! 誤解だ、テト! おい、アガサ!! てめぇ、妙な誤解を招く表現を――」
「下僕さんはお静かになさって下さい」
声の主はアガサの隣で茶を啜るメイドであった。
黒髪にロングのツインテール。ジト目が意地悪な雰囲気を醸し出している。
「えぇ……」
まだ初対面なのに、こんな失礼なことを言われるのは初めてである。
アガサが俺のことを下僕呼びするのは、単純に中二病の延長であるが、コイツの場合、慇懃無礼な罵倒にしか聞こえない。
「なんですか? あまりこっちを見ないで下さい。いやーん、視姦されちゃうー」
「……あ、アガサ? この人は誰かなぁ??」
棒読みで自分の身体を抱き、距離を取ろうとするメイドに、キレそうになりながらアガサに尋ねた。
「あら、私の名前が聞きたいのですか? セラって言います。以後、半径2メートル以内には近づかないで下さい」
おめぇに聞いてんじゃねーよ。
最後のセリフを、『以後、お見知り置き下さい』みたいな調子で言ってくるあたり、このセラとかいうメイドは真性サディストなのだろうか……。
「わああっ?! ななな、何するんですかー?!」
不意にテトが悲鳴を上げた。
何ごとかと思えば、自分の尻尾を抱きかかえて顔を赤くしている。
彼女の傍らではアガサが、怪訝な表情で立っていた。
どうやらコイツがテトの尻尾を引っ張ったらしい。
「な、なんじゃ……。本物なのか? てっきりアクセか何かかと……」
「あっ、当たり前じゃないですかっ! 狐族の一番敏感な所を引っ張るなんて……! 仕返しですっ!」
「にゃああ?!」
今度はテトが、アガサの尻尾を引っ張った。彼女は妙な絶叫と共に背を伸ばし身体を、震わす。
「や、やりおったな! 無礼者め! 許さぬっ」
「なんですか! どっからでもかかって来やがれです!」
そして、随分と可愛らしいプロレスのようなものが始まった。
「このッこのッ!」
「えいえいえい!」
本人達は真剣そのものだが、やはり俺には戯れる子パンダ2匹にしか見えない。
「お嬢様方……。他の来館者様にご迷惑です。いい加減になさって下さい」
若干苛ついた様子のセラが二人を宙吊りにして、強制終了。
「だって、セラ! コヤツが……!」
「離して下さい!」
なおも暴れ回る二人をセラは地面に下ろして、しゃがみ込み二人の目をじっと見つめた。
「お静かに……。もう夜も遅いので、さっさとお部屋にお戻り下さい」
一瞬、セラの目が妖しく光った気がした。同時にアガサとテトの二人の目から何かクリアなものが、消失したような現象が起こる。
「分かったのじゃ……」
「分かりました……です」
二人は機械人形か何かのようにそう返答すると、その場を立ち去ってしまうのだった。
※
「セラ、お前さっきのは……」
間違いなく催眠効果のある魔法の類であろう。
俺の問いにセラは、フンとそっぽを向いて答えた。
「騒々しいから、仕方なくよ。貴方のお連れにも使いましたけど、別に良いでしょ。……別に貴方に何かしようとまでは思ってないから、そんなことしなくても平気よ」
なるべくセラの目を見ないようにしていたが、速攻バレた。
気まずい思いで視線を戻す。
「しかし、話せば話すほど不思議ね。どうして、貴方のような人にお嬢様は惹かれているのかしら?」
まるで分からんとでも言いたげに、セラは肩をすくめた。
「んなこと、俺に聞かれてもな。その催眠術とやらで本人に聞けば良いんじゃ……?」
「そこまで卑怯な真似はしないわ。私がコレを使うのは、どうしても必要なときか、お屋敷の仕事を誰かに押し付けるときくらいよ」
清々しいほどの卑怯者である。ツッコミ待ちなのかと疑ってしまうレヴェル。
俺の反応にセラは、少々頬を染めると「冗談よ……バカね」と呟いた。
こういう一面もあるのか。ちょっと可愛らし――
「いでっ?! 痛ッ」
机の下からセラがゲシゲシ蹴りを入れてくる。
「うるさい。今、アンタにやついたでしょ? 記憶ごと消し飛ばすわよ?」
「催眠術が使えちゃうタイプの人にそんなこと言われたら、リアルに恐えーから」
「あら、安心なさい。首をくいっと絞めれば一発だから」
「それマイソウルまで消し飛ぶ恐れがあるのですが……」
贅沢な奴ね、とセラは言うと嘆息した。
そして、『本当に……羨ましい奴ね』と独り言をこぼした。
怪訝にその表情を窺っていると、彼女はすっくと立ち上がる。
「ほら、アンタもさっさと部屋に戻ったらどう? さっきのテトちゃん?が寂しがるわよ?」
「ん、ああ……。そうだな……買い物も済んだし、上がるか」
沢山の紙袋を抱えて重い腰を上げると、セラが不意にスカートの端を持ち上げカーテシーをした。
「最後に、改めて自己紹介するわ。セラ・ブレードライン。バロン男爵家はメイド長を務めております。この度の男爵とカーミラ様、そしてお嬢様の件、聞き及びました。本当に感謝しています」
「いや、別に俺は……」
何もしてない、と言おうとしたがそれはセラの言に遮られる。
「貴方にとっては、何もしてなくてもそれが救いになることもあるのよ。……私が何年かけても解けなかったわだかまりをね」
最後の方は彼女の顔に一瞬影がさした気もした。きっと俺の知らない苦労をしてきたのか。
「これはお願いよ。これからもお嬢様と仲良くしてね。あの子……ああ見えて結構寂しがりだから」
人の意思を曲げることさえ可能なセラの催眠術。しかし、それを彼らの抱える問題の解決には使用しなかった彼女。それはきっと彼女の良心が許さなかったのだろう。
「……当たり前だ」
「そう、ありがとね。感謝しているわ」
その時セラという少女が見せた、たおやかな笑みは誰かに似ていた。きっとそれはアガサにとって忘れられないあの人なのだ。