番外編 『君の下着にカーネーション ~母の日に顔面蹴りをお見舞いされた件~』
「……花?」
とある休日の昼下がり。テーブルでゆったり舟を漕いでいた所、一人の少女がもじもじと申し開きをしてきた。そこにおわするは、ノースリーブの白シャツにミントグリーンのスカートという涼しげな恰好の狐娘。
かれこれ半年近い付き合いになる旅の仲間、テトだ。
「は、はい……。田舎にいるお母さんに贈りたいんです」
彼女は少々長めの前髪で目元を隠しつつ、ぽそっと口を動かす。
「しかし、突然なんでまた……? たしか黙って向こうを出てきてずっと連絡とってないんだろ?」
今度は、『ウ……』という苦悶じみた声が漏れる。スカートの端をきゅっと掴んで顔を伏せるテトは何だか痛々しい。少々デリカシーの無い質問だったか。ここはひとつフォローをば、と思った所で馬鹿デカいハスキーボイスが炸裂した。
「ああっ!! そうかっ、明日は『母の日』かっ!!」
「っ……! ルカ、テメェ! いきなりでけぇ声だすな! 俺の鼓膜を破りてぇのか!! ああん?!?!」
俺の隣りで同じくうたた寝していた少女に遠慮容赦ない報復を加える。
「ほ、ほへんって! わはとじゃ! おい、ほっへはひっはるなぁ!」
「やだね。ちゃんとお仕置きしとかないと、お前また同じことしそうだし」
「いはいって! ごめんってばぁ……わざとじゃないんだってぇ……」
強気な表情が段々泣きっ面になった所で彼女の顔面から手を離した。
「うぅー……。酷いよ、ユウト……。ボク、もうお嫁さんに行けない……」
「安心しろ。そのときは俺が貰ってやるから」
その場の流れでつい口走ってしまったのだが、途端に時間が止まった。
妙な静けさに違和感を覚え、先ほど制裁を加えた少女の顔を伺う。
短めな藍髪ストレート。カッターシャツにベージュのハーフパンツをサスペンダーで吊っている。そんな少年然とした顔立ちの少女が最初はポカーンと、そして次第に狼狽し始めた。
「ななな何言ってるんだ! ボクがユウトのお嫁さんにぃ?! はああ! あり得ないんですけど! えっ? ボクが毎朝ユウトのお味噌汁を作るとでも?! ボクが毎日愛妻弁当とか手作りして、出掛けるときに『気を付けてね、ユウト』とか言いながらキスとかして、出掛けた後にはお前とボクの子供三人のお世話を――」
「……おい、何言ってんだ? お前……」
申し訳ないが、流れをぶった切るように質問する。ルカが日頃そんなことを考えていたのか、という意外感を覚えたが、今はもう一人の少女が発するやばいオーラを何とかしないといけない。
「あう……あ、あ……」
その代わりうっかり己の恥部を晒してしまう破目になった彼女が大変なことになる。
我に返ったルカは口をあわあわ動かしながら、顔を朱に染めていく。
「うあああ!! バカぁっ!!」
「ひでぶっ」
有無を言わさぬ理不尽パンチが顔面に飛んだ。俺はその場でぐるりぐるりとスピンしつつ床にぶっ倒れる。
「ひでぇ、あんまりだよ、こんなの……。ん……? 何だ、コレ……」
仰向けに倒れた俺の視界に広がっていたのは、きゅっと締まった丸みを帯びたもの。綺麗な球形が薄い布で最低限に覆われている。数秒かかってそれがスカートの内観であると気付いた。
「……カーネーションか。ふむ、悪くない」
顎に手をやりつつ暫しその柄に見入る。若い女の子専用にデザインされたものだ。ちゃんと尻尾を出す穴も作られているらしい。『メル・ヘーパイストス』という刺繍があしらわれているのは気のせいだろうか。しかし、そんな呑気も言ってられない殺気が降ってくる。
「……ユート、サン……??」
その代わりに今まで見たこともないような怖い表情の誰かさんが俺を見下ろしていた。
こういうのを『ゴミを見る目つき』とでも言うのだろうか。頭から大きな獣耳が生えていて、尻尾もあるというのに、全然ファンタジーな顔つきでない。
今の気分を例えるなら『職場の同僚女とのメール履歴が妻に見られた夕飯前』だ。
「子供さんが三人も欲しいんですか?」
『誰よ、この女?』と聞かれる。
「いえ、ソレは僕の意見では」
『た、ただの仕事仲間だよ……』と疑惑を否定する。
「けど、お味噌汁といってらっしゃいのキスは既に現在進行形でされてるんですよね?」
『古谷さんって、結構押しの強い方なんですね……//』とメールの本文を朗読される。
「まさか、そんなことは……」
『す、スパムメールの間違いじゃないかなあ?!』と滝汗をこぼす。
「……へェ」
半笑いで返された。
「…………ジーザス」
その言葉を最期に俺の視界は真っ暗に。翻ったスカートの中に、またも沢山のカーネーション畑が見えたことをここに記しておく。