第七十四話 『誰しも』
「まぁー、ただの風邪っしょ、タニフル先輩。俺っちが処方した薬飲ませときゃ、すぐ回復しますぜ」
トバコの中級ホテル、その一室にあるベッドの前で飯島はそう言った。鏑木が遣わした治療役とはこの赤髪男のことである。
「すー……すー……」
シーツの上では熱った顔の褐色少女が寝息を立てている。熱はまだあるようだがさっきよりは落ち着いている。
「そうなの……。にしても、この子目ぇ覚ましたら、どうすりゃええの」
「それを俺に聞かれてもねェ。可愛いし貰っといたらどうっすか?」
「……ゆ……と、さん…………?」
奴が茶化すように言った瞬間、俺の背後に何とも言い難い鬼気が立ち昇る。金髪狐娘が盆を抱えて立っているだけなのだが、何だろう。睨まれている気がしないでもない。
「ま、まぁーコイツの目が覚めるまで何も分からないし、取り敢えず保留で」
背後霊の無言の圧に屈して、下手な返事は避ける。
「そっすか。んじゃ、俺の仕事はもう終わったんで帰りますぜ」
奴はそう言うとどっこいせと立ち上がった。そして、俺にずいっと手を差し出す。
「……何?」
俺の無愛想な問いに奴はヘラヘラ笑った。
「やだなぁー、パイセン。俺も商売でやってんスから。ツカっちからの依頼だから、今日は薬代だけでイイっすよ〜」
「チッ。俺はボランティアで働かせといて、そっちは金取んのかよ。阿漕な奴らだな」
毒を吐きながら、飯島の提示する額を乱暴に支払う。しかし、奴は俺の捨て台詞を無視して、受け取ったヴァーツ銀貨数枚をチマチマ数える。請求額通り揃ったのが分かったのか小さく頷いた。
……何だか妙にケチくさい。
「えーと、漢方薬の作り方はさっき説明した通りっス。用法用量守って正しく使って下さい。何か副作用的なのが出たら……多分ないケド、そんときはまた連絡下さい」
「お前んチ、もしかして病院?」
「何スカ唐突に……」
「いや、妙に手慣れてんなと思って……医者の息子?」
俺は顎に手を当て、目の前の男を頭の天辺からつま先まで観察する。
飯島純平、現実世界では高校生。赤髪という有り得ない髪色に、耳にはピアス。そして、妙に金銭面に細かい。こういうのはよっぽどの貧乏か、あるいは逆に裕福な層に多い。
そして、コイツの場合、恐らく後者。加えてさっきの治療の手際良さも見れば――
「ふっふ。よく分かりましたねェ。仰る通り、医者一家の不出来な次男坊ッスよ」
飯島は頭をガシガシしながら、ニカッと歯を見せた。
「ああ、弟ポジか。まぁ、分かる」
医者の卵かつ弟。なるほど、そのような要素が絡み合えば、こういう人間ができるのも頷ける。
「結構苦労したんすよぉ。メッチャ出来る兄貴も居たんすケドねぇ。俺が中坊の頃に医学部連中のイッキに無理矢理付き合わされてね……」
饒舌に語っていたと思ったら、突如、その口元が引き攣る。
……まぁ、その先は大体予想がつく。大学生の飲みイベで、新入生が倒れるなど良くあること。
場合によっては、意識混濁からの窒息で死亡というのもあるらしい。
「……そっからッスよ。ウチのクソ親がマジ狂ったように勉強しろだの、病院をお前が継げだの言い始めたのは」
前髪を億劫そうに払いながら、奴は語る。テキトーに生きてるように見えて、その道には多くのしがらみがあったのかもしれない。
「……ふ。サーセン、ちょっと自分語りが過ぎましたわ。じゃ、俺はこの辺でお暇します」
「あ……いや、まあ……」
別に気にしてない、と言う前に飯島は部屋を出て行くのだった。
※
ルカに飯島を見送らせて、しばらく。褐色少女の居る寝室の隣部屋で俺はトバコの夜景を眺めていた。
「お疲れさまです!」
テーブルで頬杖ついていると、テトが紅茶を配膳した。身長が低いので、テーブルの高さと目線がほぼ同じである。
俺は生返事を彼女に返して、ティーカップに少々口をつける。
「ぶ……、甘ェ……」
紅茶なんだけど……。
というツッコミは無粋か。しかし、ミルクティーという線もある。ノンミルクというのが実に斬新。
「お口に合いませんか?」
不安げに、こちらを覗き込むテトに精一杯の愛想笑いで応じた。次からはルカに淹れさせよう。
「はぁ……」
テトの砂糖マシマシ紅茶を飲み干して、俺は再度ボンヤリしてしまう。
「……どうかしましたか? ゆーとさん……?」
テトが両耳を僅かに震わせて、俺を見つめた。綺麗な翠が不安に揺らいでいる。
黙っているのも申し訳ない気がして、素直に憂鬱の種を明かした。
「いや……、あいつも結構苦労してんだなーって。……それなのに、勝手な偏見で決め付けてた俺ってホント屑だなーってな」
「へんけん……」
まだ聞き慣れないのであろう単語に彼女は首を傾げる。説明してやることも出来るが、今は沈黙で流した。
「もしかしたら、アイツがああなったのもそういう経緯があったからなのかもな……」
誰に言うでもなく、呟いて俺は背もたれに体重を預けた。
今日は色々疲れた。
魔力も消費してるので、倦怠感がいつも以上に体を蝕んでいる気がする。
「ふぅー……」
瞼を降ろし、足を組んだところ不意に肩を圧された。
「テト……?」
眼を半開きにして見ると、彼女がニッコリ笑んで俺の後ろに回っていた。
「今日はゆっくり休んでくださいね、ゆーとさん」
小さな掌が的確に疲労をほぐして行く。背後で聞こえる彼女の息遣いが、さざ波のように俺を夢旅へ誘った。
※
「ゆーとさん……? 起きてますか?」
「…………」
ランタンが暖色に染める木造ホテルの一室。その一部屋で静かに語りかける少女。
彼女は相手が既に眠っているのにも関わらず、静かに喋り続ける。
「ゆーとさんはとっても優しい人です……」
一昨日のこと。賊に襲われた時、助けてもらったのはルカだが、それも彼の囮が無ければなし得ぬことであった。
「それなのに、貴方は全く見返りを要求したりしないんですから……」
静かな寝息を立てる横顔を見つめながら、彼女は目尻を落とす。
「だから……あまり自分のことを悪く言わないで下さい。私はゆーとさんの良い所を他にも、沢山知ってるんですから――
」
そして、テトは彼の口元に唇を近付け――
「――大好き」