第七十一話 『戦いの跡に』
「ち、ちょっとそこの君! 民間人は下がって!!」
突如、現れた銀髪の褐色少女に鏑木は慌てて制止をかける。
だが、彼女に聞くそぶりはない。
「魔獣……カタキ…………タオス」
カタコトの独り言を呟きながら、彼女は年季の入り過ぎた剣を持ち上げる。
剣先の狙いは、目前でこちらを威嚇するキマイラに定められている。
『ぐぐぐるるるるゥゥゥ』
どす黒い双眸の視点が俺と鏑木の両名から彼女へと移動した。どうやら言葉は通じずとも、敵意は伝わったらしい。
「でヤアアァァ!!」
『ゴガアッ!!』
少女の気合とキマイラの雄叫びが重なる。
瞬きを許さぬほどの速度で両者が大接近した。キマイラの猪突が少女の小さな身体を撥ねようとする。しかし、彼女は宙へ飛ぶと共にスピンで攻撃を躱す。丁度、すれ違う恰好だ。
「ヤァアアア!!!」
彼女はその隙を逃さず、キマイラの横腹に錆び剣の切っ先をめり込ませる。
鈍い音と共に、灰色の腹部へ深い一閃が刻まれた。
『ぎゃああああ』
けたたましい絶叫が夜空を引き裂く。しかし、脅威はその悲鳴を最後にとうとう大地に倒れた。
「ハぁ……ハァ……」
銀髪の少女は、荒い呼吸を繰り返しながら剣を鞘へと納める。
俺と鏑木は呆気にとられて、その様を茫然と眺めていた。
あれだけ苦戦した相手を、ただの女の子が討ち取ったのだ。目の前で起こったことでありながら、信じられようもない。
「……ウ」
だから、彼女が目の前でふらりと倒れても暫く身体が動かなかった。
「……へ、あ? お、おいっ」
間の抜けた間隙の後、俺は急いで彼女に駆け寄った。
銀髪でベールされた内側の顔が妙に赤い。呼吸も不規則的で落ち着いていない。
ハラスメントな気がして、少し抵抗があったがその子の額を触ってみた。
「熱っ……」
案の定、熱があるらしい。戦闘は一瞬だったが、かなりの体力を消耗しているようだ。
「……彼女の服、ビショ濡れですね。もしかして、あそこの川、泳いできたんじゃ」
後ろに立つ鏑木が中央地区と南地区の境目を流れる河川を指差しながら話した。たしかに、あっちの宿場地区からこちらのメイン通りに来るには、橋を渡るのはけっこう遠回りになってしまう。そして、流れている川も泳げないこともない深さだ。
「けど、だからって……」
本当に直接泳いでくる人間がいようとは。
俺は信じられない面持ちで、褐色肌のその少女を眺めた。容態はあまり芳しくない。出来ることなら、今すぐしかるべき機関に運びたいが……。
「ここの近くの病院ってどっかあるか……?」
「病院なんてこの世界にはありませんよ、センパイ」
そうだった、と思い額を抱える。たしか以前、テトが熱を出して寝込んだときも、なかなか療者が見つからず難儀した経験があるのだ。その時はデイジーさんの患者食に助けられたが、ココは彼女の居るアデレイドから数十キロも離れた街だ、どうにもしようがない。
「……ジュンペイがたしか漢方薬みたいなのを持ってたと思います。ひとまずセンパイはその女の子を宿泊所まで運んでくれませんか?」
「ああ、分かった」
ジュンペイとは、あの赤髪チェケラ飯島君のことであろうか。なんというか不安が残る采配である。というか、今なんと?
「え、俺が連れ帰るの??」
「はい、そうです。僕はあっちの処理で忙しいので。よろしくお願いしますね」
鏑木はこれ見よがしに、遠くで大騒ぎを起こしている群衆を指差して言った。
「隊長―――ッ!! 大変です!! 捕縛していた観光客たちが暴動を!」
マスクの半分を上げた衛兵が取り乱した様子で鏑木に報告しに来た。
「ご覧の通りです、僕はまだ仕事がありますので」
奴は笑いながら、俺と同じ高さまで腰を折った。
耳元で小さく囁かれる。
『安心して下さい。混乱に乗じて彼らのことは見逃します。それに、全員の縄をジュンペイに解かせるのに、時間が必要だったんですよ』
時間……? それはつまり俺と鏑木がキマイラと争っていたあのときのことだろうか。
俺の意図を察したのか、鏑木は同意の薄い笑みを返した。
「はー、道理で使えないアタッカーだったわけだ。全然ダメ通ってなかった謎がようやく解けたわ。テメェ、みね打ちしてやがったな」
ため息と共に返す。すると、鏑木が不思議そうに眉を上げた。
「センパイだって、ずっと防御に終始してたじゃないですか。てっきり僕の意図が伝わってたのかと思ったんですけど」
いや、あのときは本当に攻撃系統の魔法が使えなかったんだが。
と、反論しようとしたがすんでで思いとどまる。よくよく考えると、俺のアレは不用意に使うべきではなかったのかもしれない。
異世界転生して初日にブッパした例の森林切断魔法『トルネイド』(勝手にそう呼んでる)
あんなものをこんな街中で使えば余計に被害は拡大していたであろう。
「ま、とにかくその子のことは頼みますね!」
爽やか過ぎる笑みを残して、鏑木は身を翻す。
そして、狂乱と混乱の跡地には俺と見知らぬ少女が取り残されるのであった。
※
「……報告によると、イレギュラーの介入があり、彼の力の全容把握には至りませんでした」
交易の街トバコから数十キロ離れた街、アデレイド。その中心部に聳えるロイヤルギルドアデレイド支部内で一人の女性が、報告をしていた。
彼女の向かいに座るのは、まだ年端もゆかぬ十代中頃の少女。茶髪をツインテにして、その顔にはまだあどけなさが残るが、所作は年不相応に落ち着いている。
「うーん、そっかぁ。鏑木君の作戦を聞いたときは行けると思ったんだけどなー」
少女が唇を尖らせ、つまらなそうに言った。
そんな彼女を尻目に先の女性はまた、手元の報告書に目を落とした。
「なお、トバコ闇市で捕らえた人間の大多数を取り逃がしたそうです。この件については如何致しましょうか」
「如何って? 闇商の連中は捕縛出来てるんでしょ??」
少女がきょとんとした表情で首を傾げた。
あからさまな演技だが、女性は苦笑して頷きを返す。
「ま、いいや。あ、そうそう、トバコと東部の森に敷いていた結界だけど、解いて頂くよう教会に伝えておいてね」
「仰せのままに。……しかし、あそこまで大規模な陣を引かなくても良かったのでは?」
「いーや、必要だったよぉ。現に、彼、あの魔術重力場の中で『リフレクト』なんて上級魔法使ってたんでしょ? 信じられないよ」
少女はそう言うと、少し身を縮まらせる。
そして、執務机に広がったとある人間に関する資料を、流し見た。どれもこれも自分の権限を最大限に活用してかき集めたデータである。それらを再度確認し終えてまた頬杖をついた。
天井を眺めながら、呟く――
「こりゃあ、本格的に私より強いのかもなぁ」
――と。