第七十話 『貧乏剣士』
『ぐるぉぉオおおおお!』
腹に響く雄叫びを上げる怪物は双頭を持っていた。
片方がライオン、もう片方が山羊。そして、尻部からはどす黒い赤をちらつかす大蛇が睨みを利かしている。まさに、その姿は神話に登場するキマイラだった。
「ひぃぃぃい!」
「たたっ退散っ! 退散っ!」
屈強なロイギル重騎兵たちでさえ恐れをなし、及び腰になっている。だが、そうして背中を見せたものから、次々と襲い掛かられる。
今、また一人なぎ倒され、キマイラの餌食にされかかろうとしていた。
「うああああ、食われる! 食われるぅ!!」
瞬間、大量の鮮血が舞った。血糊がぼたぼた、と滴り落ちる。
『ぎゃああああああ』
キマイラが甲高い悲鳴を上げた。大蛇が身体をよじり苦痛を顕わにする。怒りに染まった瞳が俺の隣に立つ人物をねめつける。キマイラの顔面が真一文字に斬られていた。
「すっげ……」
俺は、鏑木が魅せた華麗な剣撃に思わず舌を巻いてしまった。
兵士がキマイラに食われる直前、彼は目にも止まらぬスピードで敵に突っ込んでいた。そして、腰に下げたサーベルを勢いに任せて薙ぎ払う。
強引な攻撃に見えても、その一閃は確かに敵の鼻面をえぐっていた。
「<剣精の加護>です。でも、全然効いてないみたいですね……」
その発言は謙遜でもなんでもなく、実際に鏑木の攻撃は致命的なダメージには至ってなかった。キマイラの注意を俺と彼、二人に向けることには成功したものの、相手は未だ揺らぐ気配はない。
「センパイッ、来ますッ!!」
彼が語気を強めたと同時に、敵が一気にデカくなる。大気を薙いで、視界一杯に巨躯が広がる。衝突。
――バギィッッ!!
激突音が露店街を駆け抜けた。
※
「うワ……ナンダ……?」
屋台の損失をまかなうため、ほうぼうを歩き回りようやく日銭を稼ぎ終えた頃。
中央地区と河川を隔てた向こう側で南地区の建物群に突如、煙が上がったのだ。
少女はたまたま河川近くを歩いていたため、その異常事態がよく見えた。
「おい、聞いたか……南地区の通りに化け物が現れたらしいぞ……! 今、ロイギルの部隊が交戦しているらしい」
背後で男たちの喋る声が聞こえた。
二人くらいがさっき立ち昇った粉塵を見ながら、顔を青くしている。
「ああ、俺もさっき他の奴から聞いたよ。闇商の連中が競売用の魔獣を解き放ったらしいな……」
――魔獣
男の口からその言葉が出てきた瞬間、少女はいきなり彼に掴みかかった。
「うあっ?! 何しやがる、テメェ!!」
物凄い力で持ち上げられ、男は足をばたつかせる。しかし、少女の腕は小揺るぎもしない。赤眼がじっと男を見据えた。その瞳奥では静かな黒い炎が燃えている。
「今のおハナシ、詳しく教えテ」
※
「センパイッ?! 攻撃魔法とか使えないんですか?!?!」
「うるせぇえええええ! この前は使えたんだよ、くそがぁああ!!」
俺の展開したシールドにキマイラの突進が弾かれる。一瞬だけキマイラの面が上がった。
その瞬間を見逃さず、ありったけの声で叫ぶ。
「切り替え!!」
その指示で後ろに下がっていた鏑木が前に出た。
「おお!!」
雄叫びと共に奴がキマイラの懐に潜り込む。そして、間髪入れず薙ぐ。
巨大な顎に一直線の赤が走った。
「ぐるげぇえええええ!」
不協和音のような悲鳴を上げて、キマイラがたたらを踏む。
ここで、二発目の追い打ちをかけたい所だが、初撃を打ち込んだ鏑木はすぐさまリターンしてきた。理由は簡単。敵の面を叩けば、今度は尾部の大蛇が毒霧で牽制してくるのだ。まともに食らえば目が潰れるであろう、濃度。不用意に攻めるのは得策ではない。
「チッ、これ何ターン目だよ?! あいつのHP量絶対、ミスってんだろ?!」
毒霧が晴れ、未だ倒れないキマイラを目にし、俺はそう毒づいた。
隣で再度剣を構える鏑木もだいぶ疲れが見えている。攻撃手を変更したいところだが、生憎、この場に奴を超える技量の剣士が居ない。
「もー!! なんで、攻撃魔法が使えねぇんだ?! 守るだけじゃ意味ねぇっての!」
ターゲットに手をかざして、念を集中させるが、何かに阻害されるようにして異能が顕現しない。デフォルトの防御だけが、飛んできた攻撃を迎撃するのみだ。肝心のこちらからの攻撃が全く行えない。まるで誰かの意思に邪魔されているかのようだ。
「なんか、前の世界の日本みたいっすね」
「お前、それ上手いこと言ったとか思ってる??」
「いえ……」
若干、俺も苛立っていた。鏑木の冗談めかしたコメントにも、神経が逆撫でされる。いや、こいつが言うから余計めに腹が立つのだ。心底、共闘しているこの状況が不思議なものだ。
「けど、このまんまじゃホント埒があかねぇな! 一旦、退くか?!」
キマイラが飛ばしてきた岩礫をシールドで砕きつつ声を張る。たぶん、防御膜が徐々に薄れているのは俺の勘違いではあるまい。だからこその撤退の提案。だが、鏑木はかぶりを振った。
「いいえ、ダメです! 後ろにはまだ民間人が大勢います! ここで仕留めないと彼らの安全が保障出来ないです!!」
「ああっ、くそ! そうだ、その問題があったわ!!」
歯噛みすると同時、風系の魔法が全身を襲う。キマイラの山羊頭が、何やら魔法陣を展開していた。
倒れ込むくらい前傾になって、堪える。やばい、そろそろ体力が……。
「しまッ――テントが?!」
鏑木が焦り声を上げる。空中に巻き上げられた鉄の屋台骨が冗談みたいな勢いで背後に飛んで行った。俺は悪態をついて、その行方を見守る。その先は捕縛した観光客らが密集している。間に合わない、潰される――
『やァッ!!』
突如、誰かの大声が轟いた。
地上数メートルを、銀の光が舞っている。それは真っ直ぐ凶弾へと激突し、そのまま切り開いた。固い鉄が二又に別れ、安全圏へと落下する。
「な、に……あんな武器で……?!」
銀光が、くるくる回転しながら地面に降り立った。
それは少女の形をしていた。白銀の髪にルビーの瞳。服装こそ質素だが、その褐色の肌はまさに異質を具現している。
『お兄サン達、私手伝うヨ!』
少女はそう言うと、錆びだらけのボロ剣を高々と掲げた。
装備面でも、規格外の女だった。