第六十九話 『取り残された者たちの憂い』
突如、南地区メインストリートに現れた重騎兵たちに、人々は初め唖然としていた。
当たり前だ。ここは沢山の人が遊行に訪れる歓楽街、そんな所に完全武装の軍隊が包囲網を作るのだ。まともな反応など出来まい。ただ、俺は見た。各屋台でさっきまで商売笑顔を浮かべていた店主たちが血の気を引かせているのを。
「麻薬取締法第九条に基づきお前たちを逮捕する! 一人残らず取り押さえろっ!!」
朗々と鏑木の指示が飛んだ。兵士たちが一斉に侵攻を開始する。
瞬く間に現場は大混乱に陥った。ワケも分からないまま手錠を掛けられる女。兵士に殴りかかって逆に取り押さえられる男。屋台を経営していた店主たちはA級犯罪者として、精鋭に襲撃されていた。
「くそっ! なんなんだッ、麻薬って!! 俺たちはただ買い物してただけだぞ?!」
「そうよ! こんなの聞いてないわッ。ほどいて! ほどいてよう!!」
兵士に縛り上げられ、一か所に集められた人々からそんな声が上がる。だが、彼らを見据える鏑木の目は冷ややかで、何の反応も示さない。喋るだけ無駄だと感じているのか。
動揺と混乱に呑まれた人々が怒声を夜空に轟かす。子供の泣き叫ぶ声まで聞こえ、ふと目を見やればまだ年端もゆかぬ女の子が大人たち同様に捕縛され、石畳に座らされていた。
俺はこの世の理不尽を目の当たりにした気がした。つまりはサイアクな気分である。もう、これ以上の暴力を目にすると、自分の中の何かが崩れるような恐怖さえ感じていた。そんな折――
「ぎゃおおぉぉおお!!」
けたたましいまでの咆哮が背後で唸る。
「っ?!」
弾かれるように身体を後ろに向けた。人々が阿鼻喚起のカオスを極めている向こう側で大きな煙が爆発する。重い屋台骨が軽く数メートルは吹っ飛ぶ瞬間であった。
鎧兵士が喧しい音を立てながら俺と鏑木の所に走って来る。乱暴に脱いだ鉄兜から、顔面蒼白の面が姿を現す。
「隊長!! 大変ですっ、ヤミの連中が地下で魔獣を飼っていやがりました! さっきその内の一人が錠を解いて――」
「ぎぃぇあああおおおおおお!!!」
二度目の大音声が大地を震わせる。さっきまで涼しい顔を浮かべていた鏑木の表情が初めて引き攣った。
「……騎兵隊で抑えられますか?」
「ダメです! 部下が何人もやられました! 民間人にも負傷者が出てます!」
「ぐ……そうか……!」
鏑木の顔に苦渋の念がにじみ出る。その間にも人々の悲鳴が大きくなっていた。次々と被害が拡大している。
「隊長ッ! 指示を!!」
伝令に来た兵士が声を荒げる。そして、ようやく彼の決心が定まった。
「……古谷センパイ、頼んでもいいですか?」
背中で託される。俺は無言で頷くのだった。
※
「テト、さっきからずっとそわそわしてるけど……大丈夫?」
トバコ中心区に佇む一軒の宿屋。その一室でルカは眉根を落としながら、一人の少女を眺めていた。その少女は先ほどから小さな身体を忙しなく動かし、室内の行ったり来たりを繰り返している。
彼女がこうした行動に囚われているのには、ちょっとした事情がある。
ルカはつい数時間前のことを思い出した。
南地区で突如現れた金髪の青年。そして、彼らの仲間である古谷悠人はその金髪に連れられて、街に消えてしまった。
数十分後に一度宿屋に帰ってきたが、そのときの様子がおかしかった。
何か根詰めているような強張った顔で、帰って来るなり水を飲んでまたすぐ出立してしまった。
依頼の買い物がまだ済んでないが大丈夫なのか、と問うたが生返事をするだけでまた夕闇迫る街へと消えてしまったのだ。
昨日今日仲間になったばかりのルカでも、少々不安を感じるのだから、更に長期を過ごしてきたであろうテトにとっては更に心落ち着かない事態であろう。
「やっぱり、私……!」
彼女はそう言うと、足早に出口へと向かい始める。
だが、進路はすんでで阻まれた。その壁として立ったルカは薄く息を吸った。
「テト、行っちゃだめだ。ユウトに言われたじゃないか」
そう、ほとんど何も語らず二人を置いていった彼だが、一つだけ言い残していたのだ。
本当に自分勝手な発言だ、とそのときは思った。しかし、彼の目の色を見てあのときは口に出せなかった。それはつまり、自分がそれを承認したということ。だから、今、こうして彼の肩を持っているのだ。
「でも……! でも……!」
テトは腕をぶんぶん振り回しながら、瞳を揺らめかす。
こんな事態なのに、月光に映えるその双眸は凄く綺麗だとルカは思った。
しかし、そんな美しいものだからこそ、今は厳とした態度を崩してはならない。
「ダメだ、テト。行っちゃだめだよ、ボクらじゃ、たぶん……いや、きっと力になれない。だから、彼の帰りを待とう」
その言葉は何故か自分の心にちくりと刺さった。
まったく、皮肉なことだと思う。あの時、テトと自分は立場が真逆だったではないか。
そのとき自分は愚かなことに、彼女の制止を振り切って出向いていった。結果、彼女に怪我を負わせる羽目になったのだ。二度、同じ過ちは繰り返したくない。繰り返してはならない。だから――
「ルカ……さん」
思いが通じたのかテトはその言葉を最後に、もう意地を通してこようとはしなかった。
肩が力無く落ち、耳も垂れ下がる。彼女は窓枠に両手をかけると、後はただ彼の帰りを待ち続けるのだった。
ルカは静かに瞑目した。
――ユウト、無事に帰って来てくれ




