第六十七話 『理性的なたくらみ』
交易が盛んな街、トバコ。
その郊外に佇む、飲食店で俺は一人の男、もとい鏑木司と向かい合って座っていた。俺と奴の他に、テーブルには誰も居ない。鏑木の提案で、テトとルカは先に宿に戻らせたのだ。
「これを見て下さい」
「……なんだ、これ?」
彼が取り出した小箱には、暗緑色の干からびた植物が横たわっている。
何やら独特な香りを放っていた。つまみ上げてみるが、感触はその辺に落ちてる枯れ葉と遜色ない。
「ルインという植物の子葉です。それを天日干しで乾燥させたものですね」
「ふーん。香水にでも使うのか? 結構、強めな匂いがすんな……うぶっ」
鼻に近付けてみると、思いの外キツイ刺激が粘膜を襲った。たまらず咳き込む。
涙目になりつつ、その植物を小箱に戻した。すると、鏑木は蓋を閉め、また服の裏にしまいこむ。
「センパイ。今のね、麻薬なんですよ」
「は……? はぁぁぁあああ??」
トンデモ発言に声を荒げる。だが、鏑木はやんわり両手で俺を制止した。
「ああ。いえいえ、安心してください。正確には麻薬の原料です」
「知るか! それでも、吸い込んじまったじゃねぇか!!」
憤りと共にテーブルを殴る。二人分のコップが大きな音を立て、店内にちらほら居た客らの訝しげな視線が飛んでくる。
「あの、ちょっと静かに。そういう約束でしょ?」
「うぐっ…………すまん……」
鏑木は周囲の人に聞かれないことを条件に、俺に説明してくれているのだった。何の警告もなしに、そんなモンを目の前に出してくるのは恨みがましいが、黙っている他ない。
「あと、今のはあくまで原料であって、ただ嗅いだだけでは無害ですよ」
「えぁ……な、なんだ……、はぁ、マジ焦った……」
動悸を沈めるために、水をガブ飲みする俺を鏑木は笑いながら見ていた。だが、コップを置くと、その笑顔は沖に退いて、何やら深刻な表情が前に出てくる。
「ですが、さっきのにもうひと手間加えると、極めて依存性の高い毒物が出来上がってしまいます」
「へぇ……、そりゃあ、また……」
「もともとはですね、医療用の薬として重宝されていたものなんですよ。ですが、遠くの国で、これを麻薬に転用する製法が開発されまして。この国にも結構、入ってきてます……」
「その一例がここの露店街ってわけか……」
俺が吐息と共に洩らした感想に、鏑木は首肯で応じた。
「既にギルドは証拠を抑えています。今夜、屋台の店主たち、それと客もろとも摘発する予定です」
そう言うと、彼は近くを通りかかったウェイターを呼び止める。『当店人気ナンバー1!』と銘打たれたパスタをオーダーした。
「センパイも何か頼みませんか? お昼ご飯まだでしょ?」
「……いや、俺は……いいや」
注文を受け付けた女性ウェイターは、厨房へぱたぱた駆けて行く。俺は彼女が離れるのを横目に確認して、口を開いた。
「なぁ、さっき客って言ってたけど……、お前らただ料理を食べただけの奴らも捕まえる気なのか?」
途端、鏑木の動きが止まる。
だが、すぐに返答がかえる。
「当然です。故意ではなかったといえ、一度でもそれを口にしたならば、国法に抵触します。王立機関として、見逃せません」
「いや、そういうことじゃなくてさ。被害者じゃん、どう考えても」
「見方を変えれば、そうでしょうね。ですが、犯罪は犯罪です。その代わり量刑は考慮されるみたいですよ」
思わず大きな溜め息が出た。若干、声に険が混じる。
「『見方を変えれば』ってなんだよ。誰がどう考えても、純度百パーの被害者だろが。お前は何か? 詐欺に遭った年寄りに、『ツいてませんでしたね。でも、騙されるあなたも悪いんですよ』とか言っちゃうタイプか」
「それとこれとは話が別です。今回の場合は、そうですね……。センパイの話に合わせれば、そのお年寄りが持ちかけられた美味い儲け話に乗ってしまった、という所がありそうですね。それに、あの界隈はいわゆるヤミです。市政の認可は得てないんですよ」
まぁ、自業自得ですね。鏑木はそう締めると、小さな欠伸を噛み殺す。
冷水に浸された氷がカチャッ、と音を立てる。またしても、長い沈黙が両者の間に降りる。そんな中、ぼそっと呟いた。
「……本当にそれが正しいと思ってんのか?」
「……はい?」
視界端で誰かが動いた。さっきのウェイターが、盆を抱えてゆっくり近づいてくる。
「いや……、なんでもない」
机の上に白い湯気を立てた出来立てパスタが置かれる。ごゆっくりどうぞ、と店員は残して去っていった。
鏑木はフォークを取ると、上品に麺を口に運んでいく。食前のイタダキマスもちゃんと言っていた。髪こそ金に染めているが、育ちはかなり良いのだろう。裕福な家庭で、さぞかしご立派な教育を施されたに違いない。その賜物か、コイツは感情で動こうとはしない。ただ善悪の基準に沿って、行動する様には末恐ろしいものもある。
「センパイ……? どうしたんですか? 僕の顔になんかついてます?」
鏑木の訝しむような問い掛けで我に返った。
「ああ、いや……ワリ。俺はもう宿に戻るわ。それに、メルから依頼された仕事もあるしな」
忘れていたが、俺は元来、波風立てて生きることをよしとしない性分だ。
もうロイギルがやることに口は出すまい。
と、腰を浮かせた所で鏑木が俺の腕を引き留める。
「あの、そのことなんですが、それはもうやらなくていいですよ」
「は?」
「あはは、素材集めは他の団員がやっときますから。それよりも……今回は、他のお仕事を受け付けてくれませんか」
「え、あ……?」
トントン拍子で話を進めていく鏑木に、開いた口が塞がらない。
「ちょっと待て、意味が――」
「依頼人は、レイラ支部長です」
全てが繋がった。
レイラ・レインブラッド。
賊に襲われていた俺とテトを救出してくれた少女。なるほど、ここで恩を返せというわけか。
「仕事は、なんだ……?」
嫌な予感と共に、鏑木に問う。
「はい。本日、ロイギルが行う一斉摘発のサポートをお願いします」
予想は的中。最悪な依頼が舞い込んでくるのだった。