第五十九話 『決別』
「……あれ?」
ふと目を覚ましたとき、テトの隣にはあの男の子の姿はなくなっていた
静かな洞窟の中、パチパチと焚き火の音だけが耳に残る。
「……お外に行ったのかなあ」
くるまっていたマントから抜け出し、洞窟の外へと向かった。
ひょこっと顔だけ出して周囲を警戒する。
今の自分は賊に追われている身だ。まるで現実感のない事実だが、はっきりと記憶に残っている。テトは、数時間前自分にナイフを向け下品な笑みを浮かべていた例の首領を思い出し、再び身震いする。ともかく彼らに見つからぬよう、安易な行動を避けねばならない。
「……それにしても、どこに行ったんだろう?」
嫌な記憶を遮断して、男の子の行方について思考を転換。
トイレか、それとも周辺の偵察に行ったのか。であれば、自分もついていくべきだった。
実のところ、これまで色々な人に助けてもらってばかりなこの状況に若干の気負いがある。だからこそ、あの青年にまたしても命を救われたことには並々ならぬ悔恨を感じていた。
――ざざざっ
「ひっ!」
突如、聞こえた音にビクッと跳ねる。慌てて音のした方を見ると、鳥系モンスターがぎゃあぎゃあ鳴いて飛んでいく所だった。
「なんだ……お化けかと思った……」
年相応な胸を撫で下ろして、安堵する。だが、心臓はバクバク唸っていたし、顔もすっかり青ざめていた。
「こわい……うう……」
この齢になるまでほとんど箱入りで育ってきた彼女にとって、何が潜んでい少年も分からぬ森ほど恐怖の対象に成り得るものはない。しかも、今は自分の命を狙う悪人たちも徘徊している可能性があるのだ。
彼女の身体はさっきからずっと『おとなしく洞窟でじっとしてろ!』と最大警報を発令していた。
足が岩壁の内部へと向かう。あらゆる脅威から守ってくれる安全な場所を目指そうとして――
「……だめ」
動きが止まった。必死に自分を奮い立たせて、危険な外へと踏み出す。
もしかしたら、あの少年が盗賊に捕まったのかもしれない。一緒に行動していた青年も無事である保証など何処にもない。
「こ、今度は私がみんなを助けなくちゃ……」
声が上ずり震える。恐怖を克服できたわけではない。しかし、このまま自分だけが安寧に身を委ねることだけは許せなかった。
おっかなびっくり、数歩あるくごとにキョロキョロ首を回す。
それでも彼女の瞳には小さな決意が芽生え始めていた。
「待ってて下さいね、ゆーとさん……それと――きゃ?!」
そして彼女は突然背後から口を押えられたのだった。
※
「チッ、まだ見つかんねーのかよ……もう四時間くらいこの調子だぞ……」
苛立つ男が吐き捨てるように歩いていた。
すると隣りを行くもう一人の男が
「しゃーねぇだろ、ボスの命令なんだから。それに、『アレ』は高く売れるはずだぜ?」
これくらい我慢しろや、そう言い残した彼に、最初に毒づいた男は盛大なため息。
そして、突然ニヤついて言う。
「なあ、ルカの野郎はどうなんのかね?」
「さあ……悪くて処刑か、それかよくても変態の旦那方の慰みものとして売られちまうか……。まあどちらにせよロクなことにはなんねぇだろ」
彼らがそんな会話をするすぐ脇の茂みに二つの人影があった。
一人は口を押えられて声を封じられたテト。もう一人は彼女の背後で静かに彼らを睨む中性的な顔の人間。二人とも年齢は近いようである。
「……下衆が」
テトの耳元でそんな小声が毒づく。
何か言ったほうがいいのだろうか。そう迷うがこうして口を押えられて状態ではなんの反応も出来ない。それに、今は一ミリたりとも動かないほうがいいと判断した。
突然、後ろから押し倒されたときはビックリしたが、今はその理由が分かる。
彼女の視界には多数の火が行き交っているのが見えていた。
いずれも自分たちを追う盗賊たちの松明だろう。
ここで見つかると文字通り、ジ・エンドだ。
「つーか、ボスもボスだよな。あんな胡散くせぇのを団に入れるなよ。案の定、こうして裏切られてるわけだし……」
「仕方ねぇだろ、団も人手不足だ。ヒョロガキでも猫の手でも借りたいくらいなんだろうさ」
すぐ近くの賊二人は自分たちになおも気付かず、話し込んでいる。
と、そのときテトは隣りの少年がギリリと歯を鳴らすのを聞いた。
どうやら、盗賊団の仲間から彼への評価はあまり良くないらしい。
しかし、テトにとっては少なくとも彼がそんな頼りないモノには見えなかった。
あのとき、ウノロス車から助け出してくれたもう一人の救世主。彼が連れ出してくれなかったら、今頃どうなっていたことか。
「あー、さっさとこのかったるい仕事終わらせよーぜ」
「その意見には賛成だぜ、相棒」
暫くその場で話し込んでいた賊二人だったが、その言葉を最後にまた森の奥へと消えて行ってしまった。
「ぷはっ……けほ……こほ」
「ごめん。大丈夫?」
長いこと気道を塞がれ咳き込むテトに、彼は小さく謝る。
まだ近くに賊がいる可能性が拭えないので、小声だ。
テトも声を抑えて、
「あ、あの……私は大丈夫です……」
と返した。本当は水でも飲んで喉を潤したい所だが、今はそんな贅沢も言ってられない。
「そ。ならいいや。で、聞きたいんだけど――」
そっけない返事だなぁ、と思った瞬間、彼が一気に顔を近付けてくる。
キスでもするんじゃないかって位に二人の顔の間合いが詰まった。普通、好きでもない男性に突然顔を近付けられたら、拒否感が出そうなものだがこのときばかりは違った。
何と言うか、こう――見惚れてしまっていた。
整った顔立ち。綺麗な眉、紺色の瞳。体つきも華奢だし、ハスキーな声もあいまって女の子にしか見えない。彼が髪を伸ばせば、まず性別を違えることだろう。……そういえばこの子って――
「――なんで洞窟から出てきたんだ?」
思考も定まらぬまま両肩を掴まれる。その睨むような目つきは若干怒っているようだった。
「え、あの……それは……あなたのことが心配だったから……です」
もじもじと答えると、彼は盛大なため息をついた。
バツが悪くて目線が下がる。対して、彼はそっぽを向いている。
「君にボクのことを心配される筋合いはないんだけど」
「でっ、でも! もし、あの悪い人たちに見つかったら――」
「コイツで対処してたし。余計なお世話だよ、心配し過ぎ」
そう言うと彼は、妙に自信ありげに腰の短剣ダガーを叩く。
なんだ、だったら大丈夫か、とはならなかった。
むしろ、ますます心配になった。本当に彼を探しにきてよかったと思う。
「そ、そんな危ないことを考えていたんですか?」
「危ない? どうしてさ」
テトの動揺が、まるで分からないという態度で彼は応じる。テトは迷った。
本当に理解していないのだろうか。剣の立ち合いなど少しでも失敗すれば、命に関わることなど自明の事実。それをこの少年が微塵も理解していないとはどうしても思えない。
「それにボクはね、専門の訓練だって積んでるんだ。シロウトなんかに負けるもんか」
彼はそう言うと、ダガーを鞘から抜く。
ぐっと姿勢を落とすと、テトの前でシャドーを披露し始める。
白刃が空気を切断する音が何度か鳴り、
「よし……鈍ってないな」
少年はまたひとつ頷いてまた鞘にダガーを戻した。
『どうだ、見たか』とでも言わんばかりの視線を少年はテトに向けてくる。
テトはおもむろに顔を下げた。
歯がゆかった。
今のは、単なる模擬戦闘に過ぎない。受け手が居ないのも加味すれば、尚更。
一体、ソレが本番の立ち合いでどれだけ役に立つのだろうか。
自分がまだ幼かった頃にも、同じ村に居た軍人の男性が今のような剣技を見せてくれたことを覚えている。彼は、その見事な腕ゆえに道場なるものを開いて村の子供たちに指南をしたりもしていたのだが、前線に派遣された後、帰らぬ人となってしまった。
要するに、いくら上手な剣さばきが出来ようと、本当のコロシアイにおいて必要十分など存在しないのだ。
「とにかく……早く洞窟に戻りましょう。外は危険です……またあの魔物が襲ってくるかもしれません」
自分に平静を強いて、少年に促す。
しかし、彼はぷいっと向こうに目をやってしまった。
「悪いけど、ボクはまだ戻らない。アイツラが戻ってこないか偵察を続けるよ。もし、また近付いてきたら、コイツで今度こそ闇討ちして――」
バシッという平手打ちが鳴った。
「あ……」
頬を叩かれた少年が目を丸くして眼前の狐族の女の子を、息を荒くした少女を見据える。不意を打たれ、仰天している。
しかし、それ以上に驚いていたのは、彼を叩いた本人だった。
テトの頭に既に手遅れな後悔が渦を巻く。
気付けば手が出てしまっていた。
言葉で彼を諫めるべきだったのに、あまりの愚考加減に我慢ならずやってしまった。
最初は何が起こったのか解せぬ表情の彼だったが、やおら理解が追い付くとすぐさま踵を返してしまった。
「……ふん。好きにしろよ」
という捨て台詞を残して。
テトは気付いていなかった。最初から最後まで彼の剣を握る手が震えていたことを。
※
暗い森の中、テトは一人、膝をついてぼんやりと月を眺めていた。
そうやって時間を過ごしていると、色々なことを思い出す。
ずっと昔のこと。お父さんがまだ小さかった自分を置いて、家からいなくなってしまったこと。そして、暫くした後、お母さんが病気にかかって寝たきりになってしまったこと。
少し昔のこと。お金を稼ぐために、お母さんを祖父母に預けて村を飛び出したこと。商用のウノロス車に忍び込んで何とかアデレイドの街に辿り着いたが、一人で仕事も見つけられず途方に暮れていたこと。そこであの青年に出会ったこと。
今日のこと。盗賊団の少年が危険を承知で助けてくれたこと。卑怯なことに、あの青年を置いて自分たちだけで逃げてしまったこと……。
そして、ついさっき肝心の救世主にまで見捨てられ、またしても自分は一人ぼっちになってしまった。
だが、当然の報いだと思う。
自分はせっかく命を助けてくれた恩人に、ビンタという最低な行為で応じたのだ。こんな人間、見限られて当たり前だ。
「くっうっ……うぇ……うう……ああ……ひっぐ……」
髪の毛が土くれで汚れるのも厭わず、ただ滂沱と泣き続けた。
そうして数十分も過ぎた頃。涙も枯れて力無く肩と耳を落としてへたり込んでいたとき。
――ざっく、ざっく、ざっく
彼女の大きな耳は、背後から近づいてくる怪しげな足音を捉えた。
惰性に任せた首の動きで、ゆっくりと振り返る。
「よぉー、子ぎつねちゃあん。子供が一人で、こぉんな真っ暗な所に居たらだめでちゅよぉ? おじちゃん、心配しちゃうよなあ? え? ゴラ……」
人相の悪いあの賊の首領がニタニタと笑っていた。