第五十八話 『怪物と怪物』
キルナちゃんが魔獣に気付く以前から、私は彼らの接近を察知していた。
忌々しくもそれが『剣聖』という力によって付与された索敵スキルだと思うと、若干腹立たしい。だが、まあ今回ばかりはその能力が少々役に立ってくれた。
「レイラ、あぶねぇっ!」
ユウトと名乗った青年が私を押し退けようと飛びかかって来る。気配が濃密になっていたので勘づいていたが、どうやらもう怪物は私の後ろまで接近していたようだ。
ちらっと後方を確認する。
身長三メートルはあろうかという一つ目の巨人。全身が森と同化できるように迷彩で覆われている。こいつら――森大神・フォレスジャイアントの特徴はその動作が極めて静音である点だ。その為かバカでかい巨体に関わらず、殆どの人間が彼らの接近に気付かず、その重腕に叩き潰されてしまう。まさに、森の侵入者を排除するためだけに生まれてきたような怪物だ。
――まあ、対処法はあるのだが……。
見る限り、ユウトとキルナちゃんに森大神は目もくれていない。その血走った眼玉が見据えるのは私の顔だ。
恐らく森大神の視界には、ユウトとキルナちゃんの姿は見えてないだろう。
視界の外にある、というのとはワケが違う。文字通り、二人は透明になっているのだ。
護符という魔道具の加護によって。
「キルナちゃん! 彼をお願い!」
ちょっと荒っぽいが、ユウトの身体に蹴りを入れてキルナちゃんのほうに弾き飛ばした。
彼が安全地帯に放られると同時にフォレスの拳が私の身体に接触する。
馬車や建造物を破壊するほどのエネルギー。まして、人の身体ならば一瞬にしてぐちゃぐちゃだ。けど、それは相手がヒトであればの話。
「甘いねー……」
人差し指をフォレスの攻撃に向ける。
莫大な運動エネルギーが指に接触すると同時に相殺、衝撃波が木々を薙ぐ。
『ゴ……ァ……』
森大神の顔に緊張が走る。
当たり前だ。これまでその一突きであらゆる敵を排除してきたのだろう。
自分こそ生存競争の頂点に立つ存在。そんな思い込みもあったのかもしれない。
だが、それは正確ではない。
「せあああっ!」
気合と共に地面を飛ぶ、そのままフォレスの腹部へブロー。
『うゴギャッ?!』
森大神が悲鳴を上げて巨体を揺らした。近くにあった木を倒しながら地面に沈む。
これで暫くは動けまい。
私はまだその場にいるキルナちゃんに指示をだした。
「結界は解いておくから! 彼と協力して早く救助に向かって」
「……はっ」
僅かな空白の後、キルナちゃんは私に敬礼を返す。
そして、足元で伸びているユウトを担いだ。
「ご武運を!」
※
「っ――ううん……」
闇の中に長い間彷徨っていた、そんな所へ光が差し込む。
日光というよりはもう少し強引で強烈な閃光だった。
「ようやくお目覚めかい? フルタニくん」
薄っすら開いた瞼の間に見えたのは、俺をじっと見つめる碧い双眸だ。
カタコトな『フルタニ』という発音に、それがロイギル副長のキルナさんだと分かる。
「ここは……?」
「まだ森の中だ。思ったより深くまで来ている」
キルナさんはそういうとすっくと立ち上がり、光る石を俺の眼前から外した。
たぶん魔石の類だろう。特殊な柄に装着されておりペンライトみたいな役割を担っているらしい。
「もうこんなに経ってるのか……」
辺りを見回してようやく時間の流れを実感する。
既に周囲は真っ暗、赤い満月が闇空を闊歩していた。
「急いだほうがいい。夜は夜行性の魔物たちが活発化する。そのテトとかいう少女は護符を持っていないのだろう?」
キルナさんは口もとの煙草に点火しながら、問うてくる。
「護符って……」
記憶の糸をたどり、ズボンのポケットにそれらしきものが入っていたことを思い出す。
薄紫色に鈍く輝いていた。
それをじっと見つめていると、キルナさんが補足説明を加える。
「まあ、それも気安め程度に過ぎないんだがね。襲われるときは襲われる。ただ無いよりは生存率がマシってことぐらいかね」
それはなんとも心もとない魔道具なことで。
まあ、賊からパチったものだし贅沢は言えないか。
と、そこで大事なことを思い出す。
白昼、突如背後に現れた巨大な魔獣。そいつが攻撃を加えてきた瞬間に意識が吹っ飛んで……。そういえば、キルナさんと一緒に居たもう一人の少女がこの場に居ない。
「――レイラは」
「あの方なら心配無用だ」
主が魔獣に襲われた現場を彼女も目にしているだろうに、キルナさんは至って冷静だ。
その根拠が分からない。たしかにレイラは賊二人を一瞬で昏倒するほどの実力者だ。
だが、それは人間相手での話。そもそも賊と例の巨人ではサイズが違う。いくら強者といえど……。いや、彼女は……。
「そんなに強いんですか?」
懐疑的に尋ねると、キルナさんは憂慮に目を閉じる。こくりと頷いた。
「我々ロイヤルギルドの団員が束でかかっても瞬殺される。あるいはこの国の有する軍隊全てをぶつけても勝てるかどうか」
文字通り化け物のようなお方だよ。
最後にキルナさんは、そう小さくこぼした。
その物憂げな表情には何か俺の知らない過去があるようだ。だが、ここは空気を読んで黙っておくことにする。
微妙な沈黙ののち、キルナさんが軽い咳払い。
「とにかく……レイラ様ならば一人でも大丈夫だ。心配なのは君の仲間だよ」
彼女はそう言いながら煙草(何度も言うが魔力補給用の道具。しかし、どう見てもソレにしか見えないのでそう呼称することにする)を片手で握り潰した。
ジュッという断末魔を残して、彼女の手から煙草の残骸がこぼれ落ちる。
なんてファンキーな鎮火方法なんだ。これが本当の『揉み消し』というヤツか……。
キルナさんの強さも底知れないあたり、身が凍りそう。
「賊というのは、一度目をつけたものにずいぶん執着する。彼らも血眼でテトちゃんを探しているだろうさ」
「見つかったら、どうなるんですか……?」
嫌な想像が頭を過ぎる。
彼らはテトを商品価値のあるものとして見ているようだが、それも傷害を受けぬ保障としては心許ない。
俺の問いにキルナさんは小さく肩をすくめた。
「さあ……。少なくとも、私が見てきた中では、逃亡者の扱いなんてロクなもんではなかったかねぇ」
「……ずいぶんと詳しいんですね」
「ふふ。知らないほうがいい」
闇に浮かぶ双眸が光を増す。額に僅かな汗が伝う。なんというか彼女には隙が無い。
素人目線でも分かるオーラのようなものを感じる。
さっきの事情通であるような口ぶりからも、彼女もかつてはこういった裏稼業に手を染めていたのではなかろうか。
「無駄話が過ぎたね。先を急ごう、フルタニ君」
「あ、はい……」
踵を返してまた進むキルナさんのあとを追う。
俺は、彼女の背中に装備されたロングソードが月光も相まって血の色に染まっているように見えた。