第五十三話 『窮地』
誰かに見られてる。
ウノロス車が小規模な森に入ってから、ずっと変な視線を感じていたのだ。
「ゆーとさん、囲まれてます……」
数十分後、テトが俺にしか聞こえない小声でそう言った。
俺は「ああ……」と答え、全神経を耳に集中させる。足音などは風でザワつく木々に上書きされ、聞こえてこない。
しかし、『彼ら』はゆっくり進むウロノス車と並行するようについて来て、徐々にその間合いを詰めつつあるようだった。
「っあー、マジかよ……」
一瞬、木々の向こうにいる誰かと目が合った。
偽装用の装備を身にまとった人相の悪い男。口元がニヤリとつり上がっている。
俺とテトが乗車するウノロス車を狙っているようだった。
きっと武装もしているだろうし、そして、そんな危険極まりない連中がその他多数、この車を襲撃するタイミングを窺っているのだろう。
まさに飛んで火にいる夏の虫。
どちらが虫でどっちが火かなんて既に知れたこと。
「オイッ、聞け! 盗賊共ぉ!!」
俺は車と止めると、その場で怒鳴った。
隣に座っていたテトが「ひぇ」と頼りない悲鳴を漏らして、キツネ耳を押さえる。
彼女の聴力の良さを考慮していなかった。驚かせて申し訳ない。
取り敢えず謝るのは後回しにして、続ける。
「この車は商用車でも何でもねぇ! お前らが欲しいのは売り物になるモノなんだろ? 生憎、この車の積み荷は空だ! 分かったら、ここを通せッ」
僅かな静寂が森に降りた。テトが不安そうに俺の服をきゅっと掴む。
『彼ら』の返事は返って来ない。
生唾を呑んだ。緊張の汗が頬を伝う。
そして、痺れを切らしそうになったとき、彼らの内の一人が噴き出した。
低い男の声。わっはっはっは、と豪快に笑う。
すると、それにつられて他の者たちも将棋倒しに笑い始める。
「……な、なんだよ……」
四方八方から飛んでくる笑声に哀しい懐かしさと戸惑いを覚えていると、
目の前に一人の男が躍り出る。
顔中に髭を蓄えた五十代近い男。
右の眉毛に古い傷がついており、眉毛が途中から無くなっている。
特段恰幅のよい体形というわけではないが、その右手には短剣が握られ、十分に脅威。
盗賊という名にふさわしい下卑た笑いを浮かべていた。
「おーい、おい。嘘はよくないぜぇ、兄ちゃん。ちゃんと金目のモン載せてんじゃねーか」
へへへ、と笑いながら男は短剣の延線を俺に結んだ。
そして、彼のその行動を皮切りに続々と森に潜んでいた者たちが茂みから姿を現す。
総勢、十数名近い。年齢は若くて十代、年長で二十代くらい。
しかし、最初に姿を現した目の前の男が飛びぬけて年を食っているようだった。
「金目のもの? なんでそんなことが分かる」
「はん。見えてるからだよ」
男は汚い歯を見せながらニヤつくと、体毛だらけの指で俺の隣を指差した。
「え……」
突然指差されたテトが声を洩らした。
「何が言いたい……」
奥歯がぎりぎり鳴りながらも、自制して問い返す。
男はますます愉快そうに唇の端を上げた。
「おーいおい! 察しがワリぃなあ、兄ちゃん! 『人身売買』も知らねぇのかァー? そこにいる狐娘はこの辺じゃあ珍しいから、値が弾むんだよぉ!」
げっはっはっは、と男が笑うとウロノス車を取り囲んだ他の人間たちも笑い始めた。
不快な響きの大合唱が森にこだまする。テトに至っては完全に目から光が消失していた。
何も知らぬ無垢な少女が、見てしまった世の中の汚い側面。
お決まりな展開なので俺は別にどうということはないが、純真な彼女にとっては衝撃だったのだろう。
「ぇ……? え……?」
声にならない悲鳴を上げながら、テトは肩を震わせていた。
かちかち鳴る彼女の歯。意地汚く舌なめずりしつつ距離を詰めてくる輩。
実に、不愉快だ。
「ごめん、テト。ちょっと待っといて」
俺は、怯える彼女を荷台の方に押しやると幌の入り口を閉めた。
「ゆ、ゆーとさん……!」
卑猥な辱めを受けて傷心している筈なのに、彼女は健気に俺の身を案ずる。
やっぱり、良い子だ。
だからこそ。
俺はにっこり笑むとテトの頭を優しく一撫で。
前髪の隙間に揺れる双眼が見える。じっとこちらを見つめる瞳は心配げだ。
ぎゅっと袖を握る手が、俺を離そうとしない。
泣きそうになっている。
優しく、彼女の手を解いた。
「大丈夫。俺、超つえーから」
根拠のない自信であった。だが、今回も発動することを期待して。
「ゆーとさん! ゆーとさん!」
幌の扉は閉まりつつある。
「テト。俺とお前は旅の仲間だ」
目は眼下に広がる沢山の敵を見つめながら。
思い出すのは、アデレイドの片隅で交わした二人の約束。
その後に少し修正があったりしたものの、俺と彼女が結んだ互助の関係は変わっていない。
「やめて! やめてくださいっ!」
だったら、守るのが俺の務め。
※
私の心は深い恐怖と後悔のせめぎ合いの中にあった。
みっともなく、暗くて狭い闇の中、泣き続ける。
内側からは開けられない扉は、いくら叩いてもびくともしない。
「開けて……ゆーとさん……」
ただ彼の身を案ずる。
僅かに外側から漏れ聞こえる悲鳴に彼のものが混じってないのが分かるたび、頼りない安堵を覚える。
だが、あの人数差だ。
彼が冒険者としてどれだけの実力を有しているのかは知らない。
しかし、あれだけの敵を倒すとなると、とてつもない実力が必要なことも分かっていた。
それこそ、かつて王国を席巻したあの『銀髪の近衛騎士』のような……
いつ彼の断末魔が聞こえてくるのかと思うと、私は不安に押し潰されそうだった。
かみさま……
何度も家族の無事を祈っては裏切られた相手。
そんな天上の存在に、めげずにお願いする。
どうか、彼を助けて下さい、と。
十分くらい経った頃であろうか。
――ガチャッ、ギィー
不意に暗闇の中へ光が差し込んだ。
誰かが荷台の扉を外側から開けたのだ。
そういえば、さっきまで悲鳴などが聞こえていたはずの外が急に静かになっている。
戦闘が終わったのだ。
扉を開けた人間が私のもとに歩み寄る。
暫く闇の中に浸かっていた目では、逆光でその人間の顔が見えない。
目をぐしぐしと擦った。
そして、見上げる。
果たして、その人物は――
「……」
自分と同じ齢くらいの少年。
ここまで一緒にやって来た彼ではない。
左目の目元に小さなほくろがあるのが特徴的な盗賊の一味だった。
「ゆーとさんは――――っ?!」
彼の安否を尋ねようと口を開けた瞬間、いきなり口を押えられた。
「声を上げちゃダメ」
耳元で女の子のような男の子のようなどっちともつかぬ声が喋る。
「むー! むーっ!!」
抵抗すると、少年は突然私の頬を叩いた。痛みに声が出なくなる。
へたり込んだ私を少年は無理くりに引っ張り上げると、私と同じ目の高さでこう言った。
「静かに。ボクは味方だ。あの人の勇気ある行動を無駄にしたくないのなら、黙ってボクの言うことを聞くんだ」