第五十二話 『この国において最強を名乗るは』
結局、連れてきちゃった……
俺は隣りで機嫌よく鼻唄を歌っているテトを横目に、ちょっと後悔していた。
力無く握った手綱の先には、普通の牛の二倍くらいの大きさはあろうかという角獣がのっそのっそ、と馬車を引いている。貸与してくれた農夫曰く、かなり賢い動物なんだとか。
たしかに、俺の指示などなくてもちゃんと街道沿いを歩いてくれている。
これはかなり楽ちんだ。
「えぇっと……『トバゴ』までは『ウノロス』の足でおおよそ片道三時間ですね」
テトが所々破れかけた地図を、むむ……と読図しながら教えてくれた。
「そんなにかかんのか……やっぱ二十万ヴァーツぐらい請求しときゃよかった」
メルとの契約内容に未だ不満をかかえながら、ぼやく。
ウノロスもかったるそうに、『ぶぉーおおお!』と鳴いた。
さっき気が付いたのだが、こいつの名前、並び替えたら結構な悪口になる。
「何言ってるんですか、ゆーとさんっ!」
右側に座っていたテトが突然俺に噛みついてくる。
小さな身体を狭い御者台で動かし距離を詰めてきた。
近い近い近い……
馬車が道の凹凸に乗り上げ、少し揺れるたびに、俺の右腕に何かやわらかいものがむにゅっという感触を残す。
もう、色々とヤバい状況だ。
「十万ヴァーツもあれば、来週どころか、再来週も乗り切れるんですよ?! 私、また水道が止められるなんて絶対ヤですっ!!」
理性と本能の狭間で揺れていた俺を、彼女は殴りながら、切実な悲鳴を上げる。
全然痛くないのは当然として、いい感じにツボを押さえてくる。
いや、むしろこれはご褒美か……?
俺は牛車が揺れるたびに感じる至福を堪能しながら、テトの肩たたきに寛ぎを得るのだった。
※
――ロイヤルギルドアデレイド支部・支部長執務室にて
「西への遠征、ご苦労だったね。キルナ君」
執務机で薄っすらと微笑みを浮かべる少女がいた。
彼女の視界の下方では、蒼い軍服に身をまとった女性が跪き、頭を垂れている。
「有難きお言葉であります」
キルナと呼ばれた女性はなおも下を向き、瞑目したまま答えた。
普段は規律の遵守や、団での粗野な振る舞いなど問題の多い彼女だが、今目の前にいる少女の前では謹厳と畏まっていた。
「ずっとその体勢ではつらいだろう? 直っていいよ」
レイラの許可に従い、キルナは腰を上げ、居直った。
別に何時間跪いていても、彼女にとっては苦にはならなかったが。
晴れた視界には、遠征報告書を流し読んでいるレイラの全身が映る。
赤茶のロング。今は、それを肩の上辺りで緩く髪留めし、ツインテールを作っている。
そこらの町娘と遜色ない顔立ちなのに、何故か貫禄を感じてしまう。
キルナの視線に気付いたのか、レイラが、ふと目を上げる。
優しさの権化であるような瞳がゆったりと彼女を捕まえた。
「どうかしたかい? キルナ君」
僅かに笑いながら少女が眉を上げた。
「い、いえっ……! なんでも……ただ、相変わらずお綺麗だなぁと」
頬を上気させてしまい、キルナは慌てて目を逸らした。
くすっ、と誰かが笑う声がする。
「……!」
次の瞬間、突然背中からの抱擁を受けた。
目の前の椅子から忽然とレイラが消えている。
驚いて、首を回せばそこにはあの優しそうな顔が。
キルナでさえ追えない速度で動いた少女は、目を合わせるとにっこり笑んだ。
そして、思いっきり彼女の背中に顔をうずめる。
「はー……キルナちゃん、相変わらずいいにおーい……ふんふん」
キルナは固い表情を崩さぬよう努めるが、くすぐったいのと照れくさいのとで、頬が緩みそうになってしまう。必死に耐える。
「もー、キルナちゃんがいない間、私大変だったんだからね?」
さっきとはうって変わって砕けた口調のレイラがそう愚痴を漏らした。
実はキルナは、彼女が自分にだけ見せる気を使わない態度を誇りに思っている。
本当は素直に答えてあげたいが、立場上そういうわけにもいかず、
「……大変だったとは?」
と問い返すだけ。心根から『副長』という自分の立場を恨む。
「ここの団員さんたちのことだよ。なーんか、私のこと信用してないっていうかさぁ、面従腹背ってヤツ?」
「それは――」
そこまで言って言葉に詰まった。
たぶん、その原因はレイラ自身が最も理解しているのに違いないから。
背後の彼女はふっと軽い溜息をつき、
「分かってるって。ま、頑張るしかないね、っと」
背中から、レイラが、ふわっと距離をとる。
キルナが振り向いたときには、執務室の入り口に佇んでいた。
その距離およそ数十メートル。
まさに人間離れした芸当である。
「そーいえばさっき敷地内に凄い子がいたみたい。キルナちゃんは気付いた?」
レイラが声を張って窓の外、拘置所の方を指さす。
やはり感じ取っていたか。
ずっとこの部屋にいながらして、外界の様子を察知していたとは。
改めて彼女の実力の高さを思い知る。キルナは、表情には出さず感心した。
そして、続くように脳裏を掠めるのはあの冴えない顔の青年。
とんでもない魔力を内に飼っていた。
「はい。まさか、一般市民にあれほどの力を持つ者がいるとは……」
キルナが答えると、レイラは微笑を浮かべながら背を向ける。
取っ手を引っ張り、扉が閉まる瞬間に「もしかしたら、私より強いかも、ね?」とうそぶいた。
――カチャーン
硬質な音を末尾に部屋には静けさが降りる。
ロイヤルギルド副長、キルナ・トリスタンはついさっきまで『ロイヤルギルド支部長』が腰掛けていた椅子を眺めた。
思う。
そんなことがありえるだろうかと。
もし仮にあの青年が、彼女よりも強いとすれば、それはつまりこの国において敵無し、ということに等しい。
「レイラ・レインブラッド……」
まだ成人も迎えてないであろう上司の名前を口にする。
それが彼女の本名なのか偽名なのかは今でも分からない。
実に謎多き人物。
たしか二つ名はこうだったか。
「『剣聖の域に踏み込みし者』か……」