第四十九話 『冷鬼の視線』
「別に無視しても良かったんだけどなぁ……」
俺は荘厳としたロイヤルギルドの支部を前に、ひとり呟いた。
本当はテトも連れてこようと思っていたのだが、何せ「ゆーとさん抱っこしてくださーい、だっこぉー」と幼児退行しているので、置いて来ざるを得なかった。
デイジーさんの厳しい追及や、白黒のおっさん達の「子供はいつ出来そうか?」などという品性皆無の質問などからエスケイプするように街へと繰り出し、
「何か用かね?」
ロイヤルギルド番兵の前に気付くと来ていた。
正直言って俺はお人好しに過ぎるんじゃないだろうか。
件の吸血鬼一家のひと悶着といい、何だか首を突っ込み過ぎな気がしないでもない。
「あ、いや、そのー面会をお願いしたいんですけど」
努めて愛想よく振る舞う俺に、番兵は疑るような目を向けてくる。
「どなたにご用がおありですかな?」
そういえば、この門番と俺は顔見知りである。
たしか、推薦書無しにここの門をくぐろうとして、追い返されたんだっけ。
懲りずにまた来訪しているのだから、俺も随分と恥知らずな人間になったものだ。
「えぇっと、メル・なんとかストスって人なんですけど……」
すると、門番が苦虫を噛み潰したような顔になる。
「ああ、昨日捕まった泥棒ですか。分かりました、少々お待ちを」
そう言うや、彼は踵を返して、敷地内に姿を消した。案内でもつけてくれるのだろうか。
十分近く待たされる。
ガチャーン、という音がして大きい方の門が開いた。わざわざ開けてくれたらしい。ありがたい。
思わぬ厚遇に内心驚きながらも、開門中の入り口に近寄った。
すると、突然背後から怒鳴りつけるような男の声が、
「おいッ! 邪魔だろうが?! どけぃ貴様ァ!」
びっくりして振り返ると、いつの間にか後ろに大勢の人間が。
彼らは二列に整列し、行軍している。
その頭に立つ大柄な男が俺に怒鳴ったのだ。
なんだよ、こっちのために開けていたのか……
チッ、と舌打ちして道路に唾を吐き、悪態をその御者に示して――
――なんてことは出来ず、
「すすす、すびばぜんッ!」
と音速で謝った。光速で脇にずれる。
心臓がどっきんどっきん、あんまり他人に怒られるのには慣れてない。
庁舎に入る前から、俺の頭は後悔で埋められつつあった。
本当なら、今日も適当なバイトして日銭稼いで、帰宅してテトとほんわか同棲生活を楽しむ予定だったのに。
それもこれもあの鉄女のせいだ、クソ。
――ざっざっざ
規則正しい音を立てながら、ロイギルの兵士たちが入城する。
その時、ふと最後尾の誰かと目があった。
金髪碧眼の精霊みたいな容姿の女戦士。
ショートボブの髪は強めなパーマで乱れている。
装備は他の人間が盾や兜で重武装しているのに、彼女は胸元の鉄覆い一枚という軽装。
青系統の衣装は紅白を基調とした部隊の中では随分浮いている。
極め付けは、くちもとの煙草。
他の人間が一糸乱れぬ行進をしているのに対し、彼女は紫煙をくゆらせながら、だらだらと後ろを歩いていた。
――ふっ
病的に光る目をこちらに向けながら、ニヤリと笑む。
何か得体の知れないものの恐ろしさを感じ、突如背中に何らかの気配が忍び寄る。
怖気が全身を走った。
「――ねぇ?」
「のわッ?!」
背後からいきなり呼びかけられた。
驚いて振り返る。
「うわ、ちょっと……ビックリしたぁー」
口に手を当てながら目を丸めているのは、餅田比奈。
ロイギルの制服に身を包んだ彼女が、本日の案内人らしい。
なるほど、下っ端らしい仕事だ。
「あー……いや、わりぃ」
「もー、いきなり大きな声出さないでよ! 心臓止まるかと思ったじゃん!」
餅田は頬っぺたを膨らませながら、きゃんきゃん怒る。何チワワですか。
しかし、俺の注目は、既に建物に消えつつあるさっきの女性の背中に向けられていた。
反応の薄い俺に、餅田は声を高くする。
「ねぇ? ちょっと、聞いてる?」
「ああ。なぁ、あの人、ここの兵士……?」
眉をしかめた餅田に尋ねた。
「あの人?」
そう言うと、彼女は俺の隣に立ち、向こうを眺める。
ちょっ……、近いな……。それとも、リア充たちの間ではこの距離感が普通なのか?
「何? もしかして、惚れちゃった?」
にしし、と笑いながら餅田がおちょくってくる。
おまけに肘で突っついてくる。脇腹は弱点なので、思わず「ひゃぁん!」と悲鳴を上げてしまうところだった。
「ちげーよ。なんか他の人と雰囲気とか装備が違ったからちょっと気になったっていうか……」
「あー、たしかにキルナさん自由人だからねぇ」
「キルナ?」
「そ、キルナ・トリスタン。アデレイド支部の副長さんなんだよ?」
へー、と返す。
副長というと、ここのナンバーツーという具合だろうか。
たしかに、かなり手練れの雰囲気を感じた。
あと、ちょっと恐い。長谷川とはまた違った恐ろしさがある。
「ここの人たちの間では『冷鬼』なんて呼ばれ方されててさ。みーんなから避けられてる」
「ふぅん」
ちょっと親近感を覚えた。
特に周りから距離を置かれているあたり、過去の俺と似通ったところがある。
「なんかちょっと可哀想だよね」
もはや姿の見えなくなったキルナ・トリスタンの影に向かって、餅田は呟く。
「そうか?」
思わず、反駁してしまった。
えっ、と餅田が俺の横顔を見る。
それは一種の違和感。集団に上手く合わせて生きてきた彼女には、理解のできぬ俺の価値観。
「いや、何でもないや。さっさとアイツに会わせて」
餅田の疑問には答えてやらず、話を進めた。
彼女は、「あ、うん」と頷くと敷地内に向かう。
俺と餅田がくぐり終わると、ギギィーッと音を立て、門が閉まり始める。
かなり威圧感のある建物を前に俺は一瞬立ち止まってしまった。
だが、餅田はすいすいと離れ、建物の内部に入っていく。
慌てて、その後を追った。
窓から先ほどの女性『キルナ・トリスタン』が、ずっと俺を観察していたのにも気づかず。