第四十七話 『私のものです。誰にも譲りません』
「うぁあー! 助けてぇ、助ヶてぇ!!」
手錠を掛けられ、両脇をがっちり固められたメルがこっちに叫ぶ。
ごめん、無理……。
俺は両手を前に出しながら、苦笑い。こっちも窃盗容疑をかけられるのはごめんだ。
彼女を連れて行く前に、長谷川の奴が俺をひと睨みし、「邪魔したら、アンタも共犯だから」と圧を加えてきたのだ。ようやく生活に慣れてきた矢先、そんな面倒ごとに巻き込まれたくはない。
「ごめんなさいー! ごめんなさいー!!」
メルはわんわん泣きながら、謝るが餅田が「お、お話しは支部でうかがいますから、ね……」とたしなめて、彼女らは遠くへ行ってしまった。
ふぅ、と俺はため息をつく。
「帰るか」
メルが移送されたロイギル方面を見る。西日の差す方向に向かって、「ガンバレ」と何とも他人事な感想を吐いた。
※
マックスギルドに着く頃には、既に空は闇が迫りつつあった。朱色が紺に侵食される様子は何だか嫌な予感を感じさせる。
なんか、重要なことを忘れているような……。
しかし、ついさっきのてんやわんやですっかり忘れてしまった。
んー?と首を傾げつつ、ギルド入口の布を開く。
「ただいま戻りましたぁ――ってのわッ」
突如、身体が浮上した。
服の背中部分が引っ張られていた。そして、叩き落ちる雷のような怒鳴り声。
「ごらぁあああ! お前はテトちゃんに何したとかぁぁぁぁ!」
「へ?」
見上げると、すぐ間近に血管を浮かせたデイジーさんが。一瞬、赤鬼に見えた。……いや、般若そのものである。
「な、なな……」
物凄い力に逃げることも出来ず、俺は言葉に詰まる。
そして、彼女の口から出た『テト』という単語から全部思い出した。
そうだ、俺はあいつに妙な勘違いをさせてしまう現場を見られて……、
「ちょっと待ってくださいッ! 誤解です! 誤解なんですッ!」
今にも食っちゃらんとする迫力のデイジーさんに俺は弁解する。
だが、彼女に聞く耳はない。
「ああん?! そんな言い訳が通用すると思ってんのかえ?!」
「ええ……いや、ホントですから」
埒があかない。どうすれば……。
と、そのときふと俺をぶら下げる巨体が揺れた。
「今日という……今日……は……ホン……マ……に……」
――どずーん!
ゾウかよ、と突っ込みたくなるくらいの衝撃を起こしながら、デイジーさんは地面に落ちた。
「な、何が……?」
ぎりぎり転倒に巻き込まれるのを回避した俺は、よろよろと立ち上がる。
さっきまで血気盛んだったデイジーさんがいびきをかきながら、眠っていた。
すると、頭を掻きながらこちらに近付いてくる男がいる。
「やれやれ、やっと薬が効いたか……どれだけタフなんだよ、この人は……」
頭に緑のバンダナを巻いた、これといった特徴のない男。年齢は二十代くらいか?
あまり手入れしてないのか、顎ヒゲがちくちく生えている。
「あんた……は?」
「なぁに、通りすがりの冒険者だ。そんなことより、お前さん早くあの子んとこに行かなくていいのか?」
そう言いながら、男は親指で階段の方を指差す。バンダナに半分隠れた目を茶化すように緩め、
「女の子を泣かせるたぁ、情けねぇ話だなぁ」
と一言。
少々、イラつく。だが、デイジーさんの魔の手から救ってくれたのも、この男なので何も言い返せない。
「どうも」と短く礼を言って、部屋のある階へと急いだ。
「テトー……ただいまぁ……」
部屋の鍵は開いていた。つまり、例の男が言った通り、彼女はもう買い物から戻っているはず。
中は随分と薄暗かった。ここは建物の陰になる部分で、夕方でも夜のように暗い。
だから、僅かな日照を頼りに進む他ない。
テトが、電灯を消しているのは就寝中だから、というのは希望的観測に過ぎるか。
そして、不釣り合いに大きなベッドが占有する部屋に辿り着いて、俺は肩を落とした。
足元には散乱した買い物袋。乱雑に脱ぎ捨てた小さな靴がふたつ。
恐らく、帰宅してそのままベッドに飛び込んだのだろう。
寝具の上には、こんもりとした山が出来ていた。
裾野の方から狐尾が生えている。
それだけで、毛布をかぶっているのが誰か分かった。
「寝てる?」
部屋に踏み入ったとき、僅かに山が動いたので、起きていることは知っている。
少しつついてみるが、無反応。無視を決め込む腹らしい。
じわり。
俺の中の嗜虐心が少し刺激された。
「起きてる?」
今度は若干強めに突っつく。やっぱり無反応。
「そっか、そっか……」
俺は呟くと、わざとらしく手荷物の音を立てた。中身を手近なテーブルに載せる。
葉で巻かれたとある食べ物を皿に盛った。
「せっかくテトの大好物買ったんだけどなぁー。食べないんだったら、俺が平らげようかなぁ」
たぶん、今彼女は想像もできない葛藤の中にいるのだろう。
ひとり不機嫌を演出している手前、俺のこんなトラップを踏むわけにもいかない。その毛布を取り払ったが最後、厳しい態度は緩んでしまう。
「お酢が染みとおったヤツを買ったんだけどなー。美味しそー」
わざと聞こえるように声を大きくする。俺が何か発言するたびに山が動くから面白い。
だが、それでも彼女は耐え忍ぶ。
俺はひとつため息をついた。さすがにここまでされると、もう手が無い。
ならば、最後の手段――
「おりゃおりゃ!」
俺は山に手を突っ込んで、くすぐった。
「……っ?! ……っ!!」
小さな身体が無言で暴れ、くすぐり地獄から逃れようとする。
少し可哀想だが、容赦はしない。
一歩的な蹂躙に、とうとう彼女はベッドから転がり落ちた。
「……」
ぼさぼさの金髪がふわりと重力に引かれる。
俺はベッドに腰掛けたままその狐少女を眺めていた。
さて、毛布という城壁を壊された主はどう動くのか?
テトは俺に背を向けたままテーブルに寄った。
そして、俺がお皿に盛っていた『油揚げ』を両手でもぞもぞ食べる。お腹が減っていたらしい。相変わらず食欲には忠実だ。
だが、一番の好物を食べているにも関わらず、狐耳や尻尾は力なくへたっていた。
計三つの揚げを完食したテトがこちらを振り返る。
目元が少し赤くなっていた。たぶん、いや、間違いなく泣いていた。
俺は女の子にこんな顔で睨まれた経験が無いため、言葉を失ってしまう。
半ば目を逸らしてしまうが、テトのじとっとねめつける視線からは逃れられない。
両者の間に重い沈黙が流れる。何か冗談でも言って場を和ませたいが、こういうときに限って碌なアイデアが浮いてこない。
しかし、こちらから動かねば――そう思っていた矢先、テトが動いた。
二歩と歩かず、俺の前に辿り着く。
「……立って下さい」
小さな声。だが、断固とした命令。
「はい……」
俺は一も二もなく了承し、身体を持ち上げる。
テトがこれから何をしようとしているのか分からず、表情で探ろうと試みる。
だが、長めな前髪に隠され、その意図はつかめない。
突然、彼女が腕を広げた。重心が揺らぐ。
――ぎゅうっ
静かな抱擁の敢行。
頼りない細腕が必死に俺の身体を巻き取ろうとする。
彼女は顔面を俺のお腹に押し付けていた。
何も語らない。俺も口を開かない。というより、開けない。
何も訊くな、と言われている気がした。
暫く、彼女は離れなかった。俺も好きにさせた。
だが、こちらも腕を回すほどの度胸はまだなかった。
――ゴトッ
ふと、入り口の方から物音が。反射的にそちらを見ると、白黒のおっさん二名と見慣れたバンダナが一名。
ずっと物陰から見物していたらしい。
なんだ? あんなかっこいいこと言っていたわりにやってることは、それかよ……
俺は不愉快な表情で彼らに「出ていけ」と目で指図する。
だが、何を勘違いしたのか彼らはニヤっと笑んで、立ち去った。
※
この後、俺が事の詳細をテトに説明し、全て誤解であったことを教えるのだが、そのときの動転具合といったら(笑)