第四十六話 『仕事終わりの一杯』
場所は移り、マックスギルド。
そのおんぼろ屋敷の一階ロビーで一人のバンダナ男が疑問符を浮かべていた。
何故か。
ついさっきの出来事である。
彼は例の如く、達成した仕事の報酬を貰うため、ギルドの窓口に出向いていた。
掲示板であらかじめ確認した達成報酬は、約一万ヴァーツ。
牛糞で汚れた市役所前の掃除というなんとも骨の折れる仕事ではあったが、これで暫くは食いつないでいける、男は若干軽めな足取りで給金を貰いに行った。
だが、彼はその手続きで面食らうことになる。
何と手渡された金額は十万ヴァーツだったのだ。桁が一つ多い。あまりの大金にそのまま貰い逃げることも出来ず、彼は「報酬額間違ってますよ」と訴えていた。
窓口で対応に当たったデイジー・マックス ギルド長は「ああ……」と何とも気の抜けたような声を出して、余剰分の九万ヴァーツを金庫に戻していた。
いつもは金の扱いに糸目のない老女だ。それが、今日はなんで。
「オイ。今日のギルド長、ちょっと様子が変だぞ」
気になった男は、その異変の正体を探るために、他の冒険者に尋ねた。
彼の目の前には、昼間から賭けチェスを打っている男が二名。二人とも四十代近いようで、ぼさぼさな髪に、小汚い服とどちらも浮浪者のよう。見分ける方法は、黒髪か白髪かの色の違いくらい。
不潔な男二人は、男の問いに『あぁ』と同じ返事を返した。
その内、白髪の目立つ方の男が、こう続ける。
「それがよ、さっきキツネ族の女の子が泣きながら、帰って来てよ。で、あん人、それ見てえらく動転してさ」
すると、今度は白髪男の対面でビショットを動かした黒髪男が、
「何度も『どうした? どうした?』って尋ねてたんだけど、なーんにも答えてもらえなくってね。そんで、今、魂ぬけたみたいになってる。やっこさん、その女の子を自分の娘かなんかと勘違いしてんじゃねぇか?」
と次句を継いだ。男は「ふーん」と鼻で納得する。
なるほど、自分のあずかり知らぬでそんなことが。
そして、『そういえば……』と思い出す。
ついさっき街を歩いていたとき、妙な修羅場を見た。
あれは中心街から少し外れた路傍市場だったか。
たしか、妙な恰好をした女が、これまた見慣れない恰好の男に詰め寄っていたところを見かけたのだ。
わらわら集まっていた野次馬に混じって見物していると、突然目の前で買い物袋を落とした少女がいて……で、それはたしかキツネ族の亜人で……
「ははーん、なぁるほどね」
男は顎をさすりながら、にやっと笑った。場合によっては、面白いモノが見られそうである。
何やら訳知り顔のバンダナ男に、チェスに興じていた二人は、
「オイ、知ってんのか? あんちゃん」
「俺らにも教えてくれよ。こっちも情報やっただろ」
とギブミーな態度で彼に詰め寄る。二人とも小汚い出で立ちなので、どうしても乞食に見えてしまう。仕事しているのだろうか。
しかし、バンダナ男も大概、汚い仕事には慣れっこなので「へっへっへ、構いませんぜ、旦那がた。今日の依頼はもう片付けちまいましたからね」と言って手近な椅子に腰かけた。
すると、二人共嬉しそうにまたチェス台についた。
黒髪男が気分を良くしたのか、受付のデイジーに向かって声を張る。
「おーい、女将! こっちにビール二本くれやぁ!」
「はいよー……」と意気消沈した返事がだらだら飛んでくる。
――こりゃ、重傷だな……
バンダナ男は苦笑しながら、上着を脱いだ。
「なんだぁ? 今日は随分、気前が良いなぁ、お前さん。恩に着るぜェ」
白髪男がこれまた白い歯を見せて対面のおっさんに言う。しかし、彼は「あ?」と眉を八の字にした。
「今のは、俺とそっちのバンダナ兄ちゃんに頼んだんだよ。おめぇのはねぇぞ」
「はああ?! オイ、そりゃねぇだろぉ?!」
「るっせーよ、バァカ。ほら、はよ打てや。あと三手で俺の勝ちだぜ」
白髪男は「くそっ! 嫌な奴……」と毒づき、テーブルの卓を睨む。
しかし、怒りに染まった頭では冷静な判断が出来ない。このままでは、黒髪男の競り勝ちだ。
――このおっさん、それも狙いか……。手慣れてんな
バンダナ男はサイドテーブルのおしぼりで顔面を拭きながら思う。
――けど、ちょっと気に食わねぇ……
おしぼりで覆った視界の隙間から、こっそり眼下の局面を観察した。
――おや、これは(笑)
男はなるべく自然な風を装って呟く。
「たしかに、あと二手でチェックメイトですね」
黒髪男が眉をひそめた。
「は? 何言ってんだ、兄ちゃん。俺が勝つには最低でもあと三手は……」
と、ここで何かに気付いたのか黒髪男の小さな両眼が瞠目する。白髪男は椅子から腰を浮かせていた。
「なっ?!」「うぉっ! ホントだ!!」
モノクロのおっさん二人が悲鳴と歓喜を混ぜた。
白星を上げたのが白髪のおっさんで、黒星が黒髪のおっさんだったとは、またネタになる。
バンダナ男はタダで手に入れたビールを喉に流し込みながら、そう思った。
ビール代と賭け金をもぎ取られた黒髪男の頭には、白髪が数本見える。もしかすると、この一戦で増えたのかもしれない。
「今度は白星上げられんじゃねーの? おっさん(笑)」
バンダナ男が茶化すと、彼は真っ赤な顔で「うっせェ!」と吐き捨て、ビールをがぶ飲みした。