第四十二話 『メルの私宅にて』
「おーい。いい加減起きろー」
ぺシペシと頬を叩かれる感触。その声は何だか楽しんでいるような、それでもいい加減飽き飽きしたかのような調子の声であった。床の軋む音が鳴り、声の主は何処かに遠ざかる。
「な……んだ……?」
沈んだ意識を上層へと押し上げつつ俺は、疑問を抱く。
何故か、今朝の目覚ましはテトではない。最近、あの甘くて優しい声に起こされるのにハマリつつあったのだが……。
今日の目覚ましも女の子によるものであったが、テトに比べると少々ガサツだ。
で、それがなんでかというと
「どこだここ……?」
視界に入って来たのは、随分低めな石天井。
横に身体を向けると、沢山の戸棚が並び、それらの中には一つの空きもなく、工具が詰め込まれている。部屋の隅には、カラフルな岩石が乱雑に積み重ねられていた。
「よっ、古谷くん。君、ちょっと寝過ぎじゃない?」
唐突に後ろから人の声。
振り向くと、そこには椅子の上で身体を捻らせたメルが、にししと笑っていた。
彼女の手前にあるデスクは何だか作業場のようになっており、手元は魔法石ライトで明るく照らし出されている。ついさっきまで使っていたのであろうドライバーやピンセット、レンチが机の上で散らばっている。そして、それらの中心には……
「ごめんねぇー。勝手に取って分解するのはさすがにアレな気もしたんだけどさ……。けど、我慢できなくって」
片手を立てて謝りつつ彼女が差し出してきたのは、俺の腕時計。
針で動くタイプのヤツだ。
「いやぁー、これ凄いよ……。君、一体何者……? こんな技術がこの世界にあったなんてなぁー」
心の底から感心したような深い驚きをメルは顕わにする。
こんな技術って……。
別にその辺で買った3000円の安物時計なんだけど……。
と、そこまで考えた所でココが異世界であったことを思い出す。
そういえば、この世界には時計も、自動車も、飛行機も、拳銃も、その他現代科学の手により作られた様々なものがこの世界には存在しないのだ。そういうのを考慮すると、メルが今しがた俺の時計を解体解析したこの出来事は、トンデモナイ産業革命になるのではなかろうか。
「けど、ひとつ謎なのはさぁ、こいつの動力なんだよねー」
そう言いながら、メルは腕時計の裏側を見せる。一部のパーツが外れて、その中は空洞になってい。当初、そこに嵌まっていたものは、
「アタシはこいつがこの時計を動かしてたんじゃないかと睨んでる……」
メルが片目を細めながら、電灯にかざしたのは錠剤のように小さな金属物体。つまりは、リチウムイオン電池。
「魔法石の類かというのも考えたんだけど、どうも違うんだよね。じゃあ、コレは何?」
かなり目を輝かせて彼女は俺に問うてくる。そんな期待を俺に持たれたって困る。
たしかに、大学の専攻は機械だけど、まだ一年の俺にそんな実践的知識は皆無に近い。
ややあって、取り敢えず一般常識だけでも答えてやろうとする。
「電気って知ってるか? メル」
「でんき……? ああ、魔術師とかが放ってるあの痺れるヤツ? なんか、触ったらビビッてくるヤツでしょ?」
俺と彼らの間で、エレクトリックへの認識の乖離はあまりないらしい。
ひとつこの世界の技術進歩度合を理解し、俺は再度質問を重ねる。
「じゃ、水晶は?」
馬鹿にしてんの?とでも言いたげに彼女は眉をしかめる。だが、知っているという事実が分かればそれでいい。俺は時計に関する簡単な説明をした。
「水晶ってのはな、電圧を加えると定期的に振動するんだ。で、そいつを機械力学的見地でもって時計に再構成しているわけ。その小さな金属物は電池って言って、電気を発することが出来る、まあ、化学合成物みたいなもの……?」
かなりざっくりした説明ではあったが、それらのいちいちを彼女は手元のノートに記録していた。こういう勤勉な努力は、エンジニアの卵としても是非習いたい。
丸められたメルの背中向こう、俺は机にぶら下げられた半紙を目にした。
そこには、俺の腕時計を解体したことで得られた詳細な解剖図が描かれている。
普段、手元に置いてあるものがこれだけ精密な作りがされているのか、と思うとなんかこうゾワゾワくる。誰だ、今語彙がねぇとか言った奴は。
「こんな説明でよかったか? 俺もあんまり詳しくないんだ」
「十分!」
彼女はそう言うと、また俺の時計を興奮した様子でイジり始めた。どうやら、返してくれないらしい。まあ、でも自分のモノにあそこまで熱中してもらえると、所有者としては特に悪い気はしない。暫くは彼女に貸しておいてあげよう。
ベッドのスプリングを軋ませながら、立ち上がった俺にメルは背中で話しかける。
「上、あがってもいいよー。色々教えてくれたお礼に、アタシも作業所見学させたげる。危ないものもあるから、その辺気を付けてねー」
上……?
俺は首を巡らし、すぐ近くに階段を見つける。
それにしてもここは何階だろうか。部屋の中に窓がないので、今の時間も分からない。
おまけに、時刻を知る手段は、現在メルの手で解体中なわけだし。
しょうがないので、俺は階段を登り始めた。
入口までたどりついたところで、階下からメルが「おーい」と呼んでくる。
「なんだぁー?」
「顔ー。拭いとったほうがいいかもー。だいぶ面白いことなってるからぁー」
失笑を残して、彼女の姿が階段下より消える。
俺は首を傾げて、入り口扉を押し開ける。
茜色の日差しが飛び込んできた。さっきまでいたところに比べると随分と広い場所だ。
たぶん、この階下は地下室だったんだろう。
「あっつ……」
俺は唐突に背中に襲ってきた熱波に顔をしかめる。汗が噴き出た。
後方の奥、一段降りたところで細かい火の粉が多数舞っているのが見える。
『危ないものもある』というメルの注意を思い出しながらも、そっちに俺は歩を進めた。
「なんか、すっげーなぁ。鋳造所……?」
そこは石窯のようなものが沢山並び、小さく開けられた穴から吹き潮のように、火炎が飛んでいる。壁には、ハンマーや鉄のトングみたいなのが引っ掛けられていた。
しかし、それにしたって熱い。今は時期的に冬の筈だが、この場だけ夏が訪れたかのようだ。
室温に追い立てられるようにして、俺はその後も建物内部を歩き回った。
そうやって色々見学するうちに、素人の俺もここが何なのか理解が及ぶ。
『武器屋』
RPGなどではお決まりのように登場する店だ。
そこは、剣や槍、防具など様々な武具が売られている。そして、ここはその店の裏手なのだ。俺は色々な扉を開けるうちに、何やら他の場所より小奇麗に整った部屋にでた。
外へと通じるショーウィンドウには、現在『CLOSED』と書かれたプレートが出ているらしい。
「ん?」
ウインドウに映った顔に違和感。何か汚れがついている。
壁掛けされた鏡に駆け寄った。
「あんの女ァ……」
盛大に墨で落書きされていた。やっぱりあんな丁寧に教えてやる必要は無かったかもしれない。
服の袖で乱雑に拭ってから、俺はカウンターに目を向けた。
ガラス張りにされた商品棚には、何やら高級そうなナイフや、鋭利な剣、鉤爪など色々が並べられている。一つ一つのクオリティーが今日見て回った店のどこより質の良いものであることが分かった。
が、驚くべきはその値段。
「ご、五万ヴァーツ?! これが……?!」
高すぎるのではない。安すぎるのだ。かなり手ごろな金額。
ローンでも組めば、不景気な俺でも手が届く値段だ。
「へぇー、へぇー!」
そうなると、と俺は店内のガラス外に出されたものたちに目を向ける。
少々陳列の扱いが下手なヤツはもっと安いものに違いない。
手当たり次第、手にとってはブンブン振り回したり、架空の敵に突いてみたりした。
そして、そんな風にして一通りカッコつけてみた所で、俺は店内を覗き込む人影に気付いた。こっちには気付いてないらしい。
『どんどんどん!』
かなりガタイの良い男が三人。施錠された入口扉を叩いている。
「おい! 開けろっ!!」
先頭に立つ男が荒げた声を上げる。
そこで彼らの恰好に気付いた。紅白の制服。腰の辺りには、長い騎士剣。
腕のあたりには、虎を模した紋章が刺繍されていた。
――メルの店にロイヤルギルドの連中が来ていた
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