第三十九話 『鉄くさい女、メル』
メインストリート沿いのとあるカフェテリア。
そこのウッドデッキテーブルで俺は、とある女と向かい合っていた。
――しゃっくしゃっく……
彼女は無心で青リンゴに食いついている。さっき俺が援購した果物だ。何だかエッチな形をしている。
――しゃくしゃく、しゃくしゃく……
相当腹が減っていたのか、彼女は俺に目もくれない。目線は次のリンゴに向いている。
リンゴ食いながら、次のリンゴ食うことを考えている。プラ姉かよ。
俺は手持無沙汰に、手前に置かれた『ショート』のホットコーヒーを啜った。
ちいさく『S』表記された木のコップを恨みがましげに睨む。
実はさっきこんなことがあった。
※
「えーと、じゃあ……この、キリマンジャロコーヒーをスモールでー」
「はい、かしこまりました。キリマコーヒーのショートサイズですね? フードの方はいかがいたしますか?」
「は?」
俺の動きが止まる。ショートサイズ? 俺はスモールを頼んだのだが……。
と、俺は後ろに並ぶ女の子たちがくすくす笑っているのに、気付いた。
「え? え?」と戸惑っていると、連れてきた女が俺を無視して注文を始める。
「ショートノンティーマンゴーパッションティーフラペチーノアドホワイトモカシロップアドエクストラローストエクストラソースをひとつ」
ねぇ何、その呪文? なんでいきなりドラクエの復活呪文、店員にぶちかましてんの?
俺が口をあんぐりと開け、阿呆ヅラを晒していると、店員は涼しい顔をして、
「ショートノンティーマンゴーパッションティーフラペチーノアドホワイトモカシロップアドエクストラローストエクストラソースですね。かしこまりました、あちらのカウンターでお待ちください」
と復誦した。
彼女は難なく先へと通される。ってか、料金の支払いが無かったのでたぶん俺が支払う破目になるんだろう。渋々、財布を取り出していると、いきなり彼女が顔を近付けてきた。
左耳に女の吐息がかかり、ビクッとしていると彼女は呆れたような声音でこう囁いた。
「ショートってのは、ドリンクSサイズのこと。アンタ、そんなことも知らないの?」
女は随分と渋い顔で俺を見ていた。
やめろ……、やめろ……! そんな憐れむような目で俺を見ないでくれッ!
そうだよ! その通りだよっ! 俺は喫茶童貞なんだよ! なんか悪いかァァァ?!
「先に席、座っとくから」
俺が奥歯をガチガチ鳴らして赤くなっているのを尻目に、彼女はさっさとカウンター向こうに行ってしまった。
レジには、愛想笑いが凍ってしまった店員さんと、完全に腫れものとなった俺が取り残されていた。
有り得ないほど小さいコーヒーの下に敷かれたコースターには、『スモール様☆』とペイントされていた。バカにされているのではない、と信じたい。
それとも、俺の息子のことを言ってんのか、ああん?!(泣)
「なんであんた泣きそうになってんの?」
頬にリンゴを大量に溜め込んでいるハムスター女がぶしつけに聞いてきた。
しかし、こうも食い意地が張っていると、美人が台無しだ。いや、お世辞じゃなくて……。
それが証拠に近くのテーブル席に座っている他の客もちょっと引いている。
店員さんとか、さっきから完全にこっちをマークしている。アイコンタクトだけで他の店員と連携するプレーには、手練れの空気を感じる。
たぶん、裏の厨房では、パターン青! 総員第一種戦闘配置!なんてアナウンスが流れているんだろう。
さながら、向こうは特務機関で、俺たち二体は本部に侵攻中のエンジェルか。
女と俺につけられた識別コードは『リンゴエル』とか『スモウル』とかだろう。そう考えると、なんだか逃げちゃ駄目な気がしてくる。
俺は、女に意味ありげに、目配せする。彼女は、チラッと俺の視線の先を辿り、その意図を理解したのか、こくりと頷く。
敵への牽制として騒音攻撃が始まった。
俺は、『ずぞぞォッ!』という麺でも啜るような音とともに、コーヒーを胃袋に収める。肺に入った訳ではないが、『べあ゛ー!! ぐえ゛っほ、ゲっほ!! シィィイッ!』とうるさく咳き込む。
彼女も『くっちゃくっちゃ!!!』と喧しい音を立てながら、追撃に協力する。ただ加減が分かってないのか、『こァーッ!! ペェッ!!』という非常に不快な音と共に、種を床に吐き捨てた。ゴメン、そこまで求めてナイ。痰とか混じってなくて本当に安堵する。
しかし、胸を撫で下ろした俺とは対照的に、客と店員は苦虫を噛み潰したような渋面を作っていた。
俺は鼻で彼らをせせら笑う。
ふん、さっき俺様をバカにしやがったお礼だぜ、感謝しな。
因みに、女の方も、ピンポンダッシュに成功した子供のようにニヤニヤ笑っていた。彼女が一番、楽しんでいたらしい。
さて、気分は爽快、ストレス発散も終えた所で、もう一度質問を整理する。
リンゴエルは、すでに捕食を終えたようで、テーブルクロスで口を拭っていた。いや、さすがにそれは……。
これには流石にサンドバッグにしていた他の人間たちも、苛立ったようであっちこっちで悪口が聞こえた。
さすがにやり過ぎましたスンマセン、と周囲の人に心の中で詫びつつ、俺は彼女へと視線を移した。
「奢ってやったけど、そのぶん俺の質問には答えてもらうから」
ここまで好き勝手暴れたんだ、もうこのカフェには入れない。だったら、貰えるもんは全部貰っとかなきゃね。じゃねぇと赤字じゃん。
すると、彼女はドリンクの氷をぐっしゃぐっしゃと噛み砕きながら、
「ああ、なんでも聞いてね。アレだったら、スリーサイズも答えてあげるよ」
と返してきた。こっちが強く出たつもりが、逆に威圧されてしまった。
なんて堂々としているんだ……。
俺は、腕を組んで悠然と瞑目する彼女に、危うく惚れてしまうところだった。もし、自分が女だったら翌朝には告ってフラれちゃうレベル。結局、フラれるのか……。
「んんーっ!」
俺は咳払いで呼吸を整えて、人差し指を立てる。
「一、お前は何者だ?」
「アタシ……? アタシはメイン通り裏にある鍛冶屋の主人だよ。名前はメル。よろしくねぇー」
「そうか、メルさん。俺は古谷悠人ってんだ。マックスギルドで冒険者とかやってる、よろしくな」
自然な流れで握手を交わす。なんか、手を離した後、掌が煤でクッソ汚れたが、触れないであげといた。俺は気遣いができる男だからな。
正直言って、さっきから鉄と油の臭いがこの女から発されていて、鼻でも摘まみたい気分なんだが、それも我慢しといたげる。俺は気遣いができる男だからな。
チャックの開いたメルの通学鞄には、トンカチ、釘、ハンマー、ノコギリなど物騒な仕事道具がこんにちわしていた。見なかったフリをする。俺は気遣いができる男だからな。
わたし、気になりません!
帰ったら、テトの笑顔と下着で保養しておこう。
よろよろぉー♪、と気さくに笑む彼女に、俺は得意の営業スマイルを浮かべて、次の質問へと移る。
「二、日本って知ってる?」
すると、彼女は三度瞬きをして、「にっぽん……?」とオウム返しをしてきた。
「そ、ジャパーン。近頃、景気が低迷気味な社畜天国少子高齢化社会ニッポン。メルはそこから来たんだよな?」
「違うけど」
彼女は、俺の僅かな期待をバッサリと切り捨てた。
「なーんかシャンパンみたいな名前の国だなぁ……」とか呟きながら、彼女は氷をぐるぐる回して弄んでいる。
至って自然体なメルに対して、俺は困惑していた。
その恰好で日本を知らない……? どういうことだってばよ。
「な、なあ……その服ってさぁ、どこで手に入れたの?」
『三』と冒頭につけるのも忘れて俺は前のめりに尋ねる。
「ん? ああ、コレのこと?」
うんうん、と首を縦に振る。ヘドバンでも始めちゃいそうな勢いで振る。
ヴォオオオオオオオ!(デスボイス)
混乱気味の俺に対して、彼女は一言簡潔に「つくった」と答えた。
「は?」
「いや、だから自分で一から作ったんだよ」
ふふーん、と少々自慢げにメルは胸を張る。ブレザーの胸の部分がグッと強調された。たぶん、テトが同じことやったら、ぺたーんってなっちゃうんだろうなぁ……。
だが、俺は世の無情を嘆く暇もなく、それ以上に呆気にとられてしまう。
え? 作った? もしかして、とうとう制服も手作りの時代なの?
過去に下着職人として名を馳せた俺でさえ、セーラー服の製造は断念するほど、その作業は困難を極める。まず、そういうのを作りたい、と思ったらモデル品が必要なのだ。
たしかに、俺も密林で参考になれば、とセーラーのコスプレ品をオーダーしたことはある。だが、届いた商品はとてもじゃないが、モノホンには遠く及ばず速攻で雑巾にした。
コスプレ品が使い物にならないのなら、本物を買ってやんよ。
プロ意識の高い俺は、制服洋品店へとセーラー服を求めに行ったのであるが、これがにべもなく買い取りを拒否されてしまった。
店主曰く、「制服は学生証を持っている人にしか売れないんだよ。……それに、君、男だよね?」
女物のカツラが曲がっていたことに気付かず、その計画は水泡に帰してしまった。あの時はガチで警察呼ばれそうになって、人生のオワリを感じたものである。すぐにヅラかって助かった。ヅラだけに。
まあ、俺のファンキーな過去話はどうだっていいや。
目下、気になるのはメルが何をモデルにその制服を作ったのかってこと。
「なんか見本とかってあったの?」
「それは、もちのろんだよ。技術ってのは、何でも真似ごとから始まるんだからね――」
深いー。思わずレバーを倒しそうになった所で、メルの顔色がサッと青くなった。
「やばいっ!」
彼女は小声で悲鳴を上げると、テーブルの下に潜り込む。
「おい? 何して――のわっ?!」
言い終わらぬうちに、俺も机下に引きずり込まれた。
光の遮断された狭い空間。すぐ近くにメルの大きな瞳があった。
「ちょ、お前なにして、もごごごご」
彼女の手で塞がれる口。何ともスチールな臭いが鼻腔に充満した。鉄分のエアー摂取である。いやぁ、最近貧血気味だったから助かったわー……なんてボケをかます余裕もなく、むせる。
「あ、ごめんね。けど、少し静かにしてて」
メルは小声でしーっ、と人差し指を立てる。そして、クロスの隙間から外の様子を窺っていた。
「……?」
俺も一緒になって隙間から覗き見る。
メインストリートの真ん中を数名の男女が歩いている。
彼らは、何だか格式高い紅白の洋装に身を包んでいる。と、すぐ近くに座っていた男性客らの会話が聞こえてきた。
「おい、見ろよ。ロイギルの連中だ……」
「うぉっ、ホントだ。こんな所に、珍しいなぁ……」
「ってか、あれ、昨日噂になってたトラベラーの連中かもな。見ねぇツラだし」
「へぇー、そうなのか、あいつらがかぁ……」
俺は思わず目を見張った。
「あいつらは……」
四人組で仲良く道を歩いていたのは、俺と一緒に異世界召喚されたトラベラー。鏑木、餅田、長谷川、飯島のリア充集団であったのだ。