第三十七話 『初々しいふたり』
「今日こそはベッドで寝て下さい」
いくら身長小さめカワイイ系獣女子でも、そんな風に詰め寄られれば、にべにも断れない。加えて、晩飯に出されたクソマズ料理のショックが尾を引き、消耗中のこちらとしては、その頼みにも歓迎気分だった。
だが……
……やっぱり断わっとけばよかったぁあ!
クイーンサイズベッドの左端に横たわる俺は、後悔の渦に呑まれていた。
こっちは今、壁側を向いているが、その後ろではテトが横になっている。
背中合わせになるほど幅狭い寝具ではないが、しかし、彼女の呼吸はすぐ近くで感じる。一定のリズムを打つそれだけでは、もう寝てしまったのか、まだ起きているのかは判別がつかない。だから、
「テト、もう寝たか?」
小声で問うた。返事は返らない。もう寝たのか、という判断に帰結しようとしたとき――起きてます、と小さな声が返って来た。
その答えはかなり遠慮気味に抑えられ、彼女も緊張しているのが窺えた。俺には未だ彼女のことがよく分からない。少し積極的に動いてきたかと思えば、それはすぐ尻すぼみになりそれ以上の接近を中断する。
『おっかなびっくりの冒険家』
それこそが彼女という人間を評するに相応しい言葉ではないかと思う。
「掃除……ありがとな」
俺はすっかり埃っぽさが取れたシーツを触りながら言う。これだけではない。食事後、部屋に戻ったときに、最初入る扉を間違えたのでは、と思ったほどだ。お化け屋敷の中に、突然高級ホテルの部屋が埋め込まれたような感覚だった。
料理の腕は絶望的にして破壊的な彼女だが、掃除や整理整頓のスキルにおいてはかなり高い技量を有していた。そして、それら全てを無償でやってくれた彼女にはこんな御礼だけでは足りない。
「……。そうだった……」
俺はテトと共有している掛布団から抜け出して、椅子の上に置かれた革袋に歩み寄った。ズシリという確かな重みのある小袋を取り出す。バロン男爵から報酬として貰った給金。
ベッドの方を見ると、少々、金髪の乱れたテトが膝を曲げて座り、俺のことを見つめている。その表情は何処か不安げで、この月夜においては随分と儚い。
はだけたネグリジェから顕わになった彼女の肩口に俺は躊躇いを覚えながらも、彼女に近寄った。
「これさ、山分けしないとな」
そう言うと俺は小袋からヴァーツ銀貨5枚を取り出した。価値にして、10000ヴァーツ。そして、その額とは、つまり、ちょうど……。
「なぁテト……」
俺は差し出されたお金に目を丸めた少女へと語りかける、
「昨日の約束覚えてるか?」
ふっと彼女の翠目が揺れた。忘れているわけが無い。昨日の今日である。
そして、これこそは二人がバディを組んだ契約の規約。
――この関係は自分たちがソロで冒険者登録が出来るための一時的なもの。
つまり、単独登録が可能な金を溜めたら、コンビは解消である、ということ。
「もちろん、覚えてます……」
テトは目の前のお金から視線を外し、俺の顔をまじまじと見上げた。
その真っ直ぐな視線に俺は居心地悪くなって気持ち、横を見る。
「ホントは、もっと時間がかかるかと思ってたんだけど、雇い主の人が太っ腹でさぁ……」
未だヴァーツ銀貨を宙に持ち上げたまま。だが、彼女は受け取る素振りを見せない。
その遠慮の意味が分からず、俺は僅かに混乱する。テトにとって、俺とは冒険者として歩み始めるための足がかりでしかない筈だ。妥協の結果、俺と暫くの共同登録を受け入れてくれただけの……
すっと俺の手が優しく押し戻された。暖かくて柔らかい手の感触を受けて俺は彼女を見る。テトはたおやかに微笑んで、
「ゆーとさん」
俺の名前を呼んだ。
「は、はい……」
動揺が隠せず、思わず敬語になる。狼狽える俺を見上げ、テトはぷくっと頬を膨らました。すいっとベッドの上で立ち上がる。いくら身長の低い彼女とはいえ、俺より一段高い所に立たれると、俺は見上げざるを得なくなる。そして、少しむくれ気味の顔を捉えるより前に、
「ていっ!」
額にチョップが振り下ろされた。全然痛くない。
彼女は右手を下ろし、そのまま両腰に手を当てる。
「ゆーとさん、私は今とっても怒ってます……!」
「そ、そうなのか……?」
全然そんな風には見えない。
自分の感情をダイレクトに表現出来ない、という点で可愛い子は不便だ。
彼女は、今度は腕組みし、人差し指を立てる。
「いいですか? たしかに、ゆーとさんは私にそのように言いましたね。ですが、どうして私がその約束に乗ったと思ったんですか?」
「そりゃ……。承諾が得られたから」
昨日の俺は必死だった。とにかく日が暮れる前に地に足つけねば、と彼女に譲歩入りの協力を取り付けた。10000ヴァーツ溜めるまで、という条件は、その場でとっつけた装飾に過ぎない。
だが、彼女はそんな俺の稚拙なお誘いに乗ってくれたのだ。当然の如く、俺は、その付け焼刃な誘い文句が功を奏したのだと思っていた。
「勘違いしないで下さい。私が惹かれたのはですね、お金が溜まるまで、なんて話じゃないんですよ?」
カンチガイ、と若干カタコトになりながらも、彼女は力説する。
その顔は僅かに上気していた。彼女は恥を忍んで自分の思いを語っている。
「私はですね、ゆーとさんの人柄に惹かれたんです。私みたいなのに手を差し伸べてくれる、そんな人についていきたい、とそう思って首を縦に振ったんです」
「そ、そうだったのか……?」
勝手に彼女の行動を誤解釈していた。
途端に、自分がとてつもなく失礼なことをしているのに気付いた。
突き出すように差し出していた銀貨を引っ込める。
要するに、この行動は、俺が、彼女の行動は単なる金目的のものである、と決めつけているのと同じなのだ。それは怒らせるに決まってるだろう。
「すまん……。お前がそんなことを考えていたなんて、思いもつかなかった」
人の心を読む、というのは案外難しい。それは他人との関係の構築に長けたリア充たちにも困難なことだ。
ましてや、俺のような大学ぼっちにそんなスキルがあるはずもない。
だからこそ、他人のキモチを聞かされる。それは新鮮な体験だった。
テトはゆっくりとベッドから床に降り立ち、俺の目の前に立った。
今度はちゃんと彼女の目を見る。テトは少しばかり首を傾げ、くひっ、とぎこちない笑みを浮かべる。彼女も照れ臭かったらしい。
俺は既視感のあるその姿を前にして昨日までは知らなかった名前を口にする。
「テト」
「はい」
「これからも一緒にいてくれるか?」
人との交流が苦手な人間。現在大学一年生の19歳。友達はゼロ、彼女いない歴イコール年齢の冴えない青春デビュー失敗男――古谷悠人は静かに少女へと尋ねた。
「よろこんで――」
そう言うとテトは花咲いた。俺はその笑顔と同時に窓の外で舞った白に気付く。
「わぁーっ!」
テトが尻尾を振って窓際に駆け寄った。俺もその後を追い、彼女と一緒になって空を見上げる。
雪が、沢山の粉雪が街に降り注いでいた。
「初雪ですねぇ……」
「そうなのか?」
「そうですよぉ。まだ新聞には降雪のニュースは無かったので……」
この世界にもメディアというのがあるのか。また新たな発見をした。
どうやら、現実世界とは結構似ている所があるらしい。なれば、と気になって彼女に問う。
「なあ、この国、クリスマスってある?」
俺の顔を不思議そうに見上げ、彼女は瞼をパチクリ、と動かす。
「あるに決まってるじゃないですかぁー。ヴァーツの国家行事ですよ?」
やっぱりあるのか。
「そっか、いや何でもないよ」
毎年、彼女の一人も出来ずそのイベントを孤独に過ごした日のことが蘇る。カップル達にとっては楽しい行事でも、その様を見せつけられるだけの人間にとってはそれは苦痛でしかない。外出中に仲睦まじく肩を寄せ合った男女にどれだけ呪いの言葉を浴びせまくったか……。
ま、この年になるとそんな下らない考えは止めて家で静かに過ごすようになったけどな。けど、得られなかったモノへの追慕は残る。
クリスマスデートなんて、自分には手の届かないものであってもいつも妄想してしまう。冬休み明けの、学校でイヴに彼女と過ごした者たちの自慢話を聞いてどれだけ歯噛みしたものか。どれほど、誰にも相手にされない自分に苛立ったものか。
陰鬱な気分に浸っていると、突如、右腕を誰かに抱かれた。
小さな顔がほころんで俺を見上げる。
「楽しみですね、ゆーとさん」
……訂正。今年のクリスマスは最高の一日になりそうだ。
「……」
俺は赤くなった顔を誤魔化すように、無言で窓の外へと顔を向けた。
けど、しっかりと答えは返す。テトの寒そうな手を自分の掌で包んだ。
「あ……」
彼女は唐突に生まれた感触に、声を漏らしてちょっと驚く。
だが、暫しの後、彼女の方から指を絡めてきた。二人の間に言葉はない。
ただ、片手を通じて相手の体温を、心を感じていた。
そんな俺達を見守るように冬の夜は深まっていった。
次回、新章スタート――