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第三十四話 『約束の晩餐は遥か遠く』

 例の青年から受け取った手紙はマリアが書いたものだった。

 名前は無かったが、筆跡ですぐに彼女のものと分かった。恐らく彼女が亡くなる前日に書かれたものである。


「――」


 バロン男爵は立ちすくむ。彼の周囲だけ時間が停止していた。

 マリアと過ごした過去の日々がむざむざと蘇って来る。それはツタのように地面から登り、彼の身体を、心を、きつく縛りえぐった。


 手紙の文面は以下の通りだった。



 

愛しの貴方へっ (はあと)


 やあやあ! バロン君!

 明日は記念すべき私たち夫婦の結婚十周年の日だ!

 私、とっても嬉しいな。 

 初めは両手サイズしかなかったアガサも今では貴方の部屋にある書棚にまで手が届くとよ! 信じられん……。若いって凄いね……


 けど彼女、取っていく書物は大体、変わったモノばかり。

 例えば、『ソロモンの呪い』とか『魔女の黒魔術』、その他うんぬん……。

 この前は『百種解剖図』とかいう気持ち悪い本をニヤニヤしながら読んでた……

 

 あーもう、どうなっとーと、これ……?

 

 この際だから言わせて貰うけん。

 貴方、あんまり部屋にヘンな本を置かないで頂戴。

 彼女の将来が心配で眠れんくなるわ。昨日の夜なんてなんかぶつぶつ言いながら私の部屋の前に食塩撒いとったし。

 暗かったけん幽霊に見えたんよ……。ほんと大丈夫なん、うちの子は……

 

 ……うーん、でも今まで怪我なく元気にやってきとるしそれでも良いとかいな……ハテナ?

 いや、きっと良いに決まっとるね。だって、私と貴方の子供やし。

 無くて七癖! 個性ある子の方が可愛がり甲斐もあるけんね。あの子がどんなお嫁さんになるんか私、今から楽しみやんね……!

 

 あ、今は子供のことより私たちの話をした方がいいんかな……。

 

 ねぇ、あなた。私たち今まで色んなことで喧嘩してきたよね。お茶の淹れ方からおうちを建てることに至るまで。貴方のヘンな拘り、ほんとうんざりしとったんよ。

 特にあんな辺境にお屋敷を建てるなんて貴方が言い出した時は、凄かったっけ。

 魔法でへこんだ実家の床を見る度に、今でも思い出すわ。

 ホント偏屈旦那を持った妻は苦労するもんね……。


 でも、実際にあそこのテラスから外の景色を観た時はちょっと感動したわ。

 貴方、やれば出来るじゃない。普段は神経質な青白君なのにねー。

 けど、こんなに素敵なセンスの亭主を持っとるってのは妻として自慢できるんかな……。


 あっ、だからって別に貴方の全部を認めたワケじゃないけんねっ!

 

 お願いだから、いい加減、棺で眠るのは止めてよ。恥ずかしくってお手伝いさんに見せられやせんし!

 それに、たまには夫婦一緒に同じベッドで眠るのだって……って何言っとるんやろ、私!

 ま、まあ、今はそんなこと、どうでも良いたい! がははは!

 

 さてさて、明日のディナーは何を作ろっかなぁー。ふふん、いつもはブレードライン家のメイドさんに手伝って貰っとるけど、明日はお暇を出しているのです! 

 はあ、久々に私が腕を振るえるわ! ほんと、あそこのメイドさん何でも出来るけん、妻としての立場が無くなっちゃう。

 とほほ……。

 やけん、本気でやるわ。雪辱戦よ、これは女としての意地を懸けた戦よ……! 覚悟なさいっ

 でも、多分この手紙を読んでいるとき貴方の目の前の食卓は凄いことになっとるやろーね。

 えーと、献立は『ニンニクのごま油炒め』に『にんにく風味の三種煮物』などなど。『ガーリックトースト』なんてのも良いかも……。

 ふっふっふ……。そう! そのとーり! お察しの通り、明日の献立 (明日渡すから、今日か)は貴方の大嫌いなニンニク尽くしのフルコースにするのだ! ふはははは。たんと味わうが良いぞ、バロン君!

 

 さて、そうと決まれば明日は買い出しに行かないとね! あのサイのお兄さんが良いニンニクを沢山仕入れてくれたんだって。これを買わない手はないかなっ。

 安心なさい、このマリア様の手にかかれば貴方の嫌いなニンニク料理も、あら不思議。とっても美味しいものに仕上がる筈よ。アガサと貴方と私。三人で食べましょ!


 それじゃ、今夜はもう遅いし寝よっかな……。はあー、明日が楽しみやなぁ。眠れるやろーか? ZZZ……

 

 冗談冗談! 


大好きよ、あなた



「くっ……ぐうっ……」


 誰かが嗚咽を漏らす声がした。男爵はその場に膝からくず折れる。

 土くれが黒のズボンを汚すが、今はそんなことも気にせず肩を震わしていた。

 劣化し、黄ばみつつある紙片に数滴の水が落ちた。頬を伝うものの違和感で彼はようやくそれが自分の涙であることを知る。


「わ……、わが……、わがはい、も君を心の底から愛していた……。もっと話しがしたかった……、君のことを知りたかった……、君の作った料理が食べたかった……」


 小刻みにわななく両手に握られた手紙は、既にクシャクシャになりつつある。


「いつかのアガサの花嫁姿を二人で見たかった……。孫の世話を君と共にしたかった……」


 こんな一枚の紙に綴られた文字がここまで心をえぐるのは何故か。


「死ぬときは同時がよかった……。これから先、長い人生の全てを君と一緒に歩みたかった……」


 彼は優しくいたわるようにその表面を撫でた。


「あいかわらず、君は字が雑だなぁ……。その辺は少しくらい拘っても良かったんじゃないか……? このこと他の人たちに隠し通すのが大変だっだんだぞ……」


 苦笑しながら、そんなことでも喧嘩した日のことを思い出す。自分がくさくさ文句を言って、それにマリアが気性荒く言い返したこと。

 あの頃はうんざりしていたやり取りだったが、今となっては懐かしい。


「だが……」


 男爵は首をもたげた。雲の無い澄んだ空を幾本もの流れ星が駆け抜けていく。

 その後ろ姿に向けて彼は呟いた。


「吾輩しか知らない君の癖だ……。この手紙、一生大事にさせてもらうよ……」










――You live eternally in my heart.











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