表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
35/88

第三十三話 『ホシニネガイヲ』

 

 すっかり夜のカーテンが降りたバロン男爵邸中庭。

 俺はひゅうっと駆け抜けた寒風に肩を震わせた。


「あー、さむ……」


「そりゃ、もうすぐ冬だからね。夜は冷えるよ」


 そんな俺の横で薄っすらと笑うバロン男爵。

 厚手のコートを羽織り、とても暖かそうだ。

 

「冬ですかぁ……現実世界は夏真っ盛りだってのに……やっぱ異世界ぱねぇ……」


 俺が独り言のように小声でぶつぶつやると、男爵が「ん?」と言って聞き返してくる。

 しかし、俺は「なんでもないです」とほくそ笑んで下を向いた。

 なるべく身体を小さくする。

 ほんと寒い時に身体が丸まるのって何でだろうな。何か、根拠とかあるんかね……。

 高校の化学でやったが、形状記憶合金のバネのやつも液体窒素ぶっかけたら、縮まるしな。


 などとつかぬことを考えていると、ガタゴトと坂道を上がって来る馬車が眼下に見えた。

 バロン男爵が俺の帰りのために呼んでくれたのだ。


「交通費はこちらでもつよ、フルタニ君」


「恩に着ます……」


 俺は今日一日の給料と交通駄賃の入った革袋を彼から受け取った。

 ずしり、と重みを感じる。


「交通費は差し引くとして、これが今日の日給だね。占めて20000ヴァーツ」


 にこにこ笑いながら、発された金額に俺は眉をひそめた。


「え? 日給9000ヴァーツだと伺ってたんですが……」


「ああ。残りの余剰分はチップとして貰ってくれ」


「え? え? えええェエエ?!」


 今日一番の大声が出た。疲れ切っているというのに、我ながら、有り余る体力に感服する。

 しかし、それ以上に驚きなのが、男爵より払われたその潤沢に過ぎるサービスだ。

 一般的に海外のレストランなどではチップ料金、定価の20%くらいだが、今回の依頼はその倍どころの騒ぎではない。

 単純計算でも120%はある。なんと6倍!


「な……なんでですか?」


 後からたっぷり搾り取るヤミ金的商法を警戒したが、男爵の穏やかな表情からはそんな悪意は微塵も感じられなかった。いや、まあポーカーフェイスのプロなら話は別だが。


「単なる心づけだよ。吾輩は君の言葉で大切なことを思い出したんだ」


「……。あれは……」


 そんな感謝されるようなことではない。たとえ、殴られたとしても文句は言えないことだ。 

 その罪滅ぼしとして、アガサの抱えるわだかまりを解いたのだ。だが、それすらも今思うと、希望的観測に過ぎない日和見なやり方だった。

 単純に言えば、最低の所業。そんな男を男爵は評価している。


 俺が黙り込んでいると、彼はふっと静かに笑った。


「カーミラから聞いたんだ。君が娘の本心を聞きだしてくれたって。感謝していたよ……」


 思わず苦笑した。なんだ、そうだったのか。

 カーミラさんにもアガサを受け入れる意思はあるらしい。ならば、彼ら一家の復興も早いだろう。

 

「娘が殴ったりしてすまなかったね。そのお金は吾輩のお詫びのしるしでもあるんだ。是非、受け取ってほしい」


 言葉を失う。

 あっと口を開こうとしたが、男爵の真っ直ぐな瞳が二の句を許さなかった。


——ドドドドドド……


 そして、追い打ちをかけるように轟音が近づいてくる。

 振り向くと、眩いばかりの光と共に迎えの馬車が目の前に停車した。


「よっこいせっと!!」


 荒っぽい声と共に御者台から降りてきた男。首周りの肌に刺繍が見える。

 

 なんだ、行きに俺を乗せたおっさんじゃねぇか。

 彼の荷台からは大量の藁は下ろされており、恐らく仕事帰りのついでに拾いに来たらしい。

 なるほど、これでバロン男爵からも駄賃を頂戴して一石二鳥の商売をしようという魂胆か。

 見た目は完全にあっち系なのに、ホント商魂逞しいおっさんだ。


「よう小僧! 半日ぶりだな。さっさと出るからはよ後ろ乗りな!!」


 俺が差し出した交通費を彼は乱暴にもぎ取ると、親指で荷台を指した。


「はいはい、言われなくても乗りますよっと――」


 ポケットに手を突っ込んで、乗り込もうとしたとき、くしゃりという手応えが一つ。


 おっと、忘れる所だった……


 俺はさっと地面に降りると、その中身を取り出した。目の前で怪訝な表情を浮かべるバロン男爵に近付く。


「これ、マリアさんの私室を整理していたときに見つけたものです。ですが、僕が持っててもしょうがないので、お渡ししておきます」


 それは三つ折りに畳まれた一枚の便箋。時間の経過の為か少々黄ばんでいる。


「……!」


 男爵が目を瞠った。




 俺から震える手で受け取ると、中身を確認。

 その硬い表情が更に強張った。


「では、これで……」


 俺はその顔が直視出来ず、逃げるようにしておっさんの荷馬車に乗り込む。


「出してください」


「ええんか?」


 尋常ならざる面持ちで手紙を読む男爵を尻目に、おっさんは出発を躊躇う。

 しかし、俺はチラッと男爵を確認すると静かに答えた。


「構いません」


 あんな顔を見るのは俺も耐えられない……。これはきっと男爵自身の中で解決すべきことなんだ……


「……あいよ」

 

 おっさんの渋々の応答と共に馬車はゆっくりと動き始めたのだった。

 早くテトの待つギルドへ帰ろう。


※※※


 馬車は右に左に揺れながら、丘を下っていく。途中、崖際を通るときに何度もヒヤッとしたが、そこは流石プロ。

 運転手のおっさんは縦横無尽に手綱を操縦して、難無くすり抜けて行った。

 そして、勾配も段々緩やかになり、とうとう門が見えてくる。

 あそこを出れば、敷地外。一般道と合流だ。

 

 長い仕事の終わりに疲れ切ったため息を漏らすと、ふと後ろから人の声がした。


——って、——ま——って


 不思議に思い後ろを振り返ると、かなり遠くにこっちに向かって走る人影が見えた。月光に照らされる白い髪は、この闇夜に光の如く映える。


 あれは……


「すんません! 止めて下さい!!」


「——あん?」


 何ワケわからないこと言ってんだ、とでも言いたげな顔でおっさんがこっちを振り返った。彼の位置からは彼女の姿は見えない。


「早くッ!」


「わ、分かったよ……」


が、俺の物凄い剣幕に押されて、手綱を引いてくれた。

 馬達は顎を持ち上げられ、馬車は減速し始める。百メートル近く走ってようやく止まった。

 その数分後。

 息せき切って一人の少女が俺の元へとたどり着く。

 そのゴシック調のドレスは何度か転んだのか泥が跳ねている。また、整っていた髪も今は乱れに乱れていた。

 怪我はないようだが、荒い呼吸で喋るのにとても苦労している。

 そんな彼女が暫く経ってようやく、口に出来たのは


「ごめん……な……さい……」


 という一言。


「アガサ……」


 涙目で俺と視線を合わせる少女に目を見張った。驚きと共に彼女の両肩を掴む。


「バカ! わざわざそんなことを言うためにここまで来たのかっ?!」


 だが、その言葉に彼女はゆるゆると首を振って否定する。


「お母さんがよく言っとったと……」


「何を……!」


「喧嘩したら、ちゃんと謝らないかんって……」


「……は」


 言葉を失う。

 そして、遅れて確信した。このアガサという少女は心底マリア婦人の娘なのだと。

 そこには親子の固い絆が結ばれているのだと……

 だから、今もこうしてわざわざその約束を守る為だけに彼女は夜道を走ったのだ。


 俺は彼女と同じ目線に立って問い掛ける。


「なあ、アガサ」


「なん?」


「辛いときは逃げても良いんだぜ?」


「——」


 彼女の金の瞳が大きくなる。こう間近で見ると、とても綺麗だ。例えるなら、満月。

 しかし、今の彼女の心は幼い頃に欠けている。そして、そのピースはもう二度と帰ってこない。

 アガサはたっぷり数分間逡巡した。

 そして、その長考の末に一つの結論を得る。

うん、と小さく頷き、顔を上げた。


「もう少し頑張ってみる……」


「……。そっか……」


 正直、少しだけ沈んだ。このまま家出した彼女をパーティに加えたかった。

 テト、アガサ、俺。

 きっと面白い冒険が出来るだろう。

 だが、それが彼女の答えだ。ならば、俺も黙って引き下がる他ない。


「じゃあ、仕方ないな。悪い、忘れてくれ」


「ううん、忘れない」


 思わぬ方向からの反抗に俺はかくっと膝を落とす。


「いや、今のは会話を円滑に進める為の言葉のあやというか、何と言うか……」


 下手なツッコミを入れるが、それを彼女は緩やかに流し、


「絶対忘れんよ。言葉は無くならないんだから」


 説法じみた発言に俺は首を捻る。


「それも……マリアさんの受け売りか……?」


「うん」


「はは。やっぱりか」


 嬉しそうに頷くアガサに俺は小さく笑った。

 ふと、上空を見ると幾筋かの流れ星が飛んでいる。

 後ろに引かれた光線は白い髪のようで、煌々と光る光球はあの部屋で見た女性の金眼を思い出させた。

 そして、俺は理解する。


「そうか……」


 アガサにも聞こえない声量でぽつりと呟いた。


「貴女は、今もそこで見守っているんですね……」


と。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ