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第三十話 『汝、永遠の愛を誓うか This world is filled with lies.』

「マリア!!」


 沢山の汗を散らしながら、部屋に飛び込んできたのは病弱そうな顔をした若い男性。唇が妙に血色豊かで紅いのは彼が受け継いだヴァンパイアとしての特徴だ。


「バロンさん……」


 驚いたようなしわがれた声を上げたのは腰の曲がった老年男性。彼の後ろでは同じく年老いた女性がしわの多い両手を祈るように重ねている。


「マリア! マリアッ!」


 しかし、その男――バロンは彼らを一瞥しただけで、ついと視線を外した。今、彼にとって優先すべきはその老夫婦ではなく――


 彼は目的の人物の姿を部屋の隅に認め、走り寄る。シングルの簡素な木製ベッドがひとつ。そして、その上に一人の女性が横たわっていた。


 彼女の額には汗の水滴が浮いており、今はピクリとも動かず瞳を閉じている。力無く開かれた右手を見て、彼は衝撃を受けた。全身から力が抜け、がくりと膝をつく。


「あああ……そんなそんな……。嘘だ……」


 絶望に打ちひしがれたように彼は頭を抱えた。


「すまない、マリア……僕は、僕はいつもいつも肝心な時に君の傍に居てられなくて……。そのせいで君は……」


 彼は泣きながら懺悔する。仕立ての良い黒スーツが涙や鼻水でぐしょぐしょに汚れていた。男爵という爵位を預かる身分として、それは人々に晒してはならぬ痴態。

 しかし、今はそんなことも忘れておんおんと哀哭する。


――が、そんな失意の底にある彼の耳に聞き慣れぬ声が届いた。


「――おぎゃあ! ほぎゃあ! ほぎゃ!」


 目を瞠って振り返ると、そこには白衣の医者が立っている。

 そして、彼の腕の中で元気な産声を上げるのは生まれたばかりの命。


「身体に異常はありません……元気な女の子です。おめでとうございます……!」


 そっと医師から差し出された小さな身体を彼は抱き留めた。


 軽い。

 

 だが、この身に確かな心臓の拍動を感じた。

 彼はひし、と新しい命を抱き締める。赤ん坊は少し犬歯が尖り、背からは小さな黒羽が見えた。

 尻尾もついている。その特徴に彼女が自らの血の通う半身であることを実感させられた。


「ありがとうありがとう……マリア……最期に素敵なプレゼントをありがとう……きっと大事にするよ……」


 既に涙で赤く腫れた目元を彼は緩ませる。小さな掌が彼の人差し指を握った。


――と、その時突然彼は背中を誰かに殴られる。


「痛っ!!」


 危うく赤ん坊を取り落としそうになりながらも踏みこたえる。

 何事、と振り向けばそこにはこっちを恨めしそうに睨む女性。


「勝手に人を死人にするとか……有り得んっちゃけど……」


 独特に訛った喋り口。白髪金眼の女性が唇を尖らせている。

 出産に係る難事の為か髪はぼさぼさになっていた。

 だが、そんな状況でもその美貌はこの夕照に良く映える。


「えっ……! えっ……?!」


 バロンはさっきまで死んでいたものと思い込んでいた女性が口を動かしている事実に動転する。しかし、ひたとこちらをねめつける彼女からは反骨的な生の活力をひしひしと感じた。

 首を回してベッド脇に佇む老夫婦を見る。彼らが穏やかに自分に微笑みかけているのを目にして初めて自分が早とちりしていたことを理解する。


「あ、う……いや、マリアこれはその……」


 ダラダラと背中を伝う居心地悪い汗に彼はたじろぐ。

 彼女はにんまりと無言の笑みを浮かべていた。そのまま動かない表情に不気味な怒気を彼は感じる。

 引き攣った愛想笑いを返したが、それは彼女のぐいっと差し出された両腕に掻き消えた。


「頂戴」


「――え?」


 何を言っているのか分からず問い返す。すると、マリアは少しじれったいように頬を膨らませた。


「だから、私の赤ちゃん。バロン君ばっかり抱いてるなんてずるいよ」


「あ……! ああ!」


 鳩が豆鉄砲でも食ったような顔のバロンは、その一言に弾かれる。

 急いで、しかし、手元に細心の注意を払いながら赤ん坊を彼女に手渡した。


「こんにちはー。ママでしゅよぉー」


 甘いいたわるような声を彼女は自分の子供にかける。

 すると、さっきまでわんわん泣いていたのが嘘のように、その赤ん坊は泣きやんだ。

 まだ完全に開ききってない目には自分の母の面影を感じているのだろうか。それとも匂い? 何をもとに判断しているのか分からないが、とにかくその赤ん坊は自分を抱いている女性が母親であると理解している。

 そう思うと、バロンも自然と笑みがこぼれた。


「ははは、君がお母さんだと分かるんだね」


「うん……でも、なんか自分の子供って言われるとちょっと緊張しちゃう……」


「大丈夫。君ならきっと出来るさ」


 彼はにっこり笑って彼女の背中をさする。

 すると、彼女は首をゆるゆると振り、その言葉を否定する。

 思わぬ回答に手の動きを止めた彼を、彼女の金の双眸がとらえた。そして、優しく翡翠型に緩ませる。


「いいえ。バロン君と私——二人一緒じゃないと出来ないことだと思うよ」


一言一句、ゆっくりとそして断するように言い切る強い言葉に一瞬反応が追い付かない。

が、その言葉を反芻し、そして暫く後、おもむろに深く頷いた。


「ああ。僕と君の二人じゃないと出来ないことだ……」


 自分に言い聞かせるように、しかしマリアにも向けたメッセージに二人は同時にくすりと笑う。

 




※※※



 

 段々、地平線へと近づいていく朱色の太陽。

 さっきまでは熱い湯気を立てていたティーポッドも今はすっかり冷え込んでいる。

 もう彼と話し始めて結構な時間が過ぎているらしい。

 

 そろそろ最後にしなければ。


「あの……そう言えば、マリアさんは今どちらにいらっしゃるのですか?」


 話の流れを断ち切るように俺は尋ねた。

 長いティータイムもこれでオシマイ。

 どうにもさっきから恋愛沙汰の話になると過去のトラウマがほじくり返されるようで、居心地悪かったのだ。


 別に男爵との談合がつまらないわけではないが、しかし、こちらも仕事。割り切らねばなるまい。


 軽い気持ちで投げた質問に、かの男爵はグッと口を引き結んだ。何かとてつもなく痛い所をぶすりと刺されたような、そんな苦悶の表情。

 

 俺はその過敏に過ぎる反応を前に直感で理解した。

 自分がとてもマズイことを聞いてしまったことを。その問いは話の流れ上、避けられる障害ではなかった。

 しかし、どんな禍根を後に残すことになっても回避すべきだった。


 だが、宙を飛んだ俺の言葉はもう出戻らない。


 男爵は何かこみ上げるものを無理矢理飲み込んでぽつりと漏らした、



「マリアは数年前に―――









――――我輩が殺した」


と。


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