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第二十八話 『バロン男爵とカーミラ婦人の抱える問題 To me, you are (not) essential.』

「はぁ……はぁ……」


 肩で荒い息を切る少女、アガサに俺はそっと近寄った。


 氷の女王——カーミラ婦人 と 中二病少女——アガサ


 どちらが悪い、などということは今の俺には分からない。

 背景が、状況が、行動が、その全てが理解の及ぶ範疇外だ。


 だから、さっきから「ぐす……ぐす……」という小さな啜り泣きを嚙み殺す彼女を前にしても俺には最適解など見つけられようもない。

 心持ちぽっかりあいてしまった空欄を埋める要領で口をついて出た言葉は


「大丈夫か……?」


 などという何の捻りもないツマラナイ気配り。

 だが、今の彼女にとってはそれこそが大きなお世話であり、むしろ何でまだここに居る?とでも言わんばかりの鋭い目を俺に向けて、


「いつまでそこにおるとや!! お前なんかどっか行ってまえ!!」


 金切り声でそう喚いたのであった。


※※※


 陽の傾き始めた夕刻、俺は奇妙な扉の前に突っ立っていた。

 それはついさっき勢いよく閉じられたものであり、今は鍵が掛けられている。

 廊下側の面にはおどろおどろしいタッチで巨大な眼が描かれている。やはり同じようなメッセージを、つまりは『入るな』とこちらを咎めるような視線を向けていた。


 結局、最初から入らなきゃ良かったのかなぁ……


 俺はすっかり意気消沈とした様子で肩を落とす。

 重い肩を苛むのは仕事の疲れではなく、軽率な自らの行いへの後悔。

 こんな思いとっくの昔に積み上げ切ってもうこれ以上積もることもないと思っていた。

  

 だが、この異世界においてまたその慚愧ざんきの塔に新たな一段を乗せてしまった。その事実にぞろ耳が熱くなる。

  

 俺、何やってもダメだなあ……


 軽く自己嫌悪に陥りかけたとき、背後に人の気配を感じた。

 のろのろとそっちに視線をやれば、そこには感情を押し殺したような表情のバロン男爵。だが、彼はその強張った顔に無理矢理、柔和な笑みを作る。


「——ちょっと、休憩しようか……フルタニ君」


 彼は静かにそう言うと、俺を屋敷のテラスへと案内してくれたのだった。


※※※


「どうだい? ここの景色は……。素晴らしいだろう? 吾輩のお気に入りでね……」


 バロン男爵は薄い陶器のティーカップ片手に遠い目をして語った。

 今、二人は屋敷三階の広いテラスに出て、白いテーブルに向かい合わせている。

 淹れたての紅茶が熱い湯気を立てていた。


 夕暮れ時。朱に染まりつつあるあお

 そして、その眼下に茫洋ぼうようと広がるみどり

 雄大で膨大で広大な生命の営みがそのテラスより一望出来た。


「たしかに、これは凄いですね……」


 本心からの言葉。こんなに眼を醒ますようなパノラマは初めてだ。

 だから、その感動も一潮。ただただ「ほう……」という息が漏れる。

 俺の育った街は自然の刈りつくされた市街地だった。

 森という森がアスファルトに駆逐され、無骨なコンクリートビル群が我が物顔で立ち並ぶ。


 遊びには事欠かなかったが、何か胸に風穴を開けられたようなそんな虚ろなものを抱えて少年時代を送って来た。


 だから、今それを目の前にして、何だかずっと昔に落としてしまったものを(ようや)く見つけることが出来たような気がして——


「おや——、そこまで感動して貰えるとはね——。嬉しいよ、フルタニ君」


「え——?」


 気付くと、俺は視界がボヤけかかっていることに気付く。

 思わず苦笑いが漏れた。


 なに、泣いてんだ俺は……気持ちワリい……


 男爵が懐からハンカチを出したが、俺は右手で乱雑に目元を拭った。

 なんだか、何処までも無力な自分に苛立ちが募り、遅れて、男爵の気遣いにバツが悪くなって、


「すんません……」


と取り敢えず謝る。たぶん、無意識の内に先の失態も一緒に詫びていた。

 地面が眼前へと広がるが、死界より彼が不意に息を詰まらせる気配がする。そして、静かな低い声が降ってきた。


「カーミラとアガサのことか——あれは我々、家族の問題だ。だから、君が頭を抱えるような話ではない。どうか、顔を上げてはくれないだろうか……」


 俺はこいねがうような響きもあるバロン男爵の頼みに、ゆっくりと頭を上げる。

 それを確認した彼は緩やかな瞬きを一つ。そして、すいっと残る紅茶を口にする。

 リン、と涼しげな音を立てて、ソーサーにカップが置かれた。


 それを合図にするかのように彼はふう……とひとつ息をつく。 続いて紅の瞳が俺を穏やかに、しかし、ひたと見据えた。


「聞きたいかい……?」


「ぜひ」


 俺が膝に両手をつき、そう答えるとバロンさんはふっと笑う。

 そして、深い呼吸。長い話の始まりを感じさせた。


「まず大きなことは、アガサがカーミラの娘ではない、ということかな……?」


――やはり。


 別段、驚くことではなかった。

 予めその可能性は思い浮かんでいたのだ。


 カーミラ婦人の例の発言。


『ホント、あの女の娘は私に似てるわね。会うたび虫唾が走るわ……』



 四方暗中の中で唯一明示された意味ある発言。


 それが彼女のアガサへの冷淡たる態度の骨子となっていることは直感で理解できた。

 では、何故、バロン・カーミラ夫妻の築く家庭に他所の娘が入り得る余地が出来てしまうのか。

 

 それは——



「アガサは吾輩と前の妻との間に出来た娘なんだ……」



 バロン男爵は力無くそう語ったのだった。

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