第二十五話 『依頼主は吸血鬼(ヴァンパイア)一家?! 〜尻敷かれ男爵の新妻〜』
信じられないものを見た。
扉を開けたその先は何かがぎっしりと詰め込まれていたのである。
暗闇というのは誤解で、正しくは真っ黒な生き物たちがうぞうぞと蠢いていたのだ。隙間なく。
「ああああ!」
足の裏から頭のてっぺんまでそぞろ鳥肌が立つ。
そして、俺が後ろ足を踏み、距離を取ろうとした瞬間――
――その塊は爆発した。
『キィキィキィ!』
耳をつんざくような甲高い鳴き声を上げ、その生き物たちは俺に殺到。
「ぶらららららら!」
沢山の翼が俺の顔面を、腕を、脚を殴りつける。
俺は成す術なく、真っ黒な群れに煮るなり焼くなりされるしかなかった。
そして、嵐が過ぎて行く。
彼らは澄んだ青空に黒い粉をまぶしたような景色を作っていた。
「こ、コウモリ……」
そこで、ようやくその正体を認識。どうやら入口にたむろしていたのは彼らだったらしい。
しかし、あり得ない量だ。数千匹は下るまい。
ってか、なんで人家にあんなのが――
「おっとっと……ペットが迷惑をかけたようだねぇ」
突然、思考を寸断するのは若干、ナルシストにも聞こえる高めな男の声。
扉の内側、暗闇の中からだ。
次なるは何奴、と身構えると、そこにはスラリとした長身の男がいた。
彼は、中世映画でよく見かけるような礼服で身を包んでおり、気品の高さをうかがわせる。
だが、それを着た本人は随分と血色の良くない面立ちだった。
というか、胃痛でもしてるのかと思うくらい病的な印象。
漆黒の髪と、爛々と光る紅目が妙なコントラストを演出していた、
「君がマックスギルドのフルタニ・ユウト君だね? 待っていたよ」
「あ、いえあの……」
ずいっと差し出された彼の右手に困惑。
あっちはこっちのことを知っていらしいが、こっちはそっちのことを知らないのだ。
戸惑う俺は取り敢えず、依頼主か確認しておくことにした。
「あの、貴方はバロン男爵ですか?」
バロン、とは今回の依頼主の名前である。先にデイジーさんから教えてもらっていたのだ。
「ふふ……」
俺の問いに彼はニヤリと口を横に広げた。
「……!」
驚愕。
俺は衝撃的な形貌を目撃する。彼が白い歯を見せた瞬間、その違和感に気付いた。
異様に発達した犬歯。
その先は鋭利に尖っており、もはや牙の様相を呈していた。
データベースに記録された彼の特徴が統合されていく。
青白い肌……紅い眼……尖った犬歯……爵位持ち……
その特徴は昔に見た洋画の主人公そっくりであった。
「ヴァ、ヴァンパイア……」
俺がそう呟くのを聞くと、目の前の男はバサリとマントを広げる。そして、丁寧なお辞儀。
「如何にも。吾輩は当家の主を務め、吸血鬼一族の血を引く者。国王陛下に忠誠を誓い、男爵の爵位を頂きし非人……」
静かに、そして慇懃に彼は口上を述べる。そのあまりに自然な動作にこっちもつい頭を下げてしまう。
俺の挙動を上目に確認すると、バロン男爵はさっと上体を起こした。
いちいち動作の機微が洗練されている。その立ち居振る舞いこそ、男爵という人間に相応しいものなのだろうか。
うつけたような表情をする俺を前に、彼は不意に破顔した。
「はは、固くなることはない。何、これはただの余興さ」
急にフランクな口調になる彼に俺は水に打たれたように我に返る。
「え?」
「いやね、今日の仕事は吾輩と君の共同作業でもあるんだ。他人行儀な振る舞いは取り敢えず引っ込めよう! 吾輩もずっと気を張っているのは疲れるのでね……!」
そう言いながら苦笑する彼を前に俺は急に肩から力が抜けていくのを感じた。
よかった……、どうやら良い人そう……。最初の依頼主が親切な人で助かったわ……
俺がほっと溜息をつき、
「こちらこそ宜しく――」
と言いながら握手を求めようとしたが、動作が止まる。
目の前から忽然と男爵の姿が消えていた。
「え?」
と頓狂な声を出した瞬間、背後で何かが地面を転がる音がする。
首を巡らしてソレを見ると、消えた筈の男爵がそこにいた。
顔面から地面に寝そべっている。
しっかりアイロンの掛けられた礼服とマントが泥まみれだ。
「ばば、バロンさんっ?!」
俺は慌てて、咳き込む彼に駆け寄る。
彼は今にも死にそうな顔をして……いや、それは常時か。
とにかく、苦しそうな顔で言葉を漏らした。
「す、すまない……ユウト君。どうやら、妻の琴線に触れてしまったらしい……」
「え? 奥さん?」
言葉の意味を計りかねていると、後ろから女性の詰り声がした。
「ちょっと……。一体、何時までのんびりしているつもりかしら? さっさと仕事に取り掛かって欲しいのだけれど……?」
それは囁くような声でありながらも、有無を言わせぬ圧がある。
声の主は、両手に赤ん坊を抱いた綺麗な若女であった。
透き通るような純白の髪、神々しさを醸し出す金の瞳。そして、豊かな双丘。
まるで、女神を思わせるような容姿である。
だが、キツ過ぎる目つきがその大幅なプラス要素を絶望的に引き下げていた。
「か、カーミラ……他人の前で私を蹴飛ばすような真似はやめてくれと……」
「喧しいッ!」
バロン男爵の弱々しい苦言は彼女の鋭い罵声で一蹴された。
途端に彼はしおらしくなってしまう。
俺の隣りに来ると、小声で彼女のことを教えてくれた。
「しょ、紹介するよ……フルタニ君。我が妻、カーミラ婦人だ」
「え、奥さん……」
少し驚いた。
何故かというと、そのカーミラさんという人はどこからどう見ても人間の女性だったからだ。
ドラキュラの妻は昔からドラキュリーナと相場が決まっているものだが、どうやらこの夫婦はその例外に当て嵌まるらしい。
「何かしら……?」
俺の視線に気付いたのか彼女はイライラの矛先を今度は俺に向けてきた。
「い、いえ……!」
誤魔化すように地面に目を向ける。あ! 蟻さんがいるぞっ!
実に下らない発見をした。
静まる場の雰囲気にカーミラ婦人の舌打ちが一つ。
「はよ仕事やれ」とのことらしい。
それに弾かれるようにして、バロンさんが俺の肩を持った。
「さ、さあ……! フルタニ君、我輩が案内致そう……!」
彼を如何にも落ち着いている様を取り繕い、俺を館内へと招き入れた。しかし、口調の端々に焦りが透けて見える。
この人も大変な奥さんを持ったものだ。
やっぱ結婚ってクソだな! だから、おら、一生童貞独身貫くだ!
切実にそんな決意を固め始めた。だが、テトの優しげな笑顔が脳裏を霞む。
……前言撤回! やっぱり彼女と結婚するのだ! へけっ
熱い掌返しが炸裂してしまった。
「おぎゃあ! おぎゃあ!」
突然、バロン夫妻の赤ん坊が泣き出す。
すると、腕に抱いた子供のぐずりに気付いた彼女が一瞬にして、その鉄面を崩した。
「あー、よーちよち! お腹ペコペコだもんねー。すぐにおっぱいあげるからねぇー」
「……」
対応のあまりの変容に暫く空いた口が塞がらなかった。
バロン男爵はというと、俺よりは見慣れている光景なのか、黙ったまま少し瞼を瞬かせるだけだった。
しかし、彼も未だその気質に慣れていないらしい。
不自然に表情が歪んでいた。
と、二人の注視に気付いたのか、カーミラ婦人が射るような視線を飛ばしてくる。
「さっさと仕事しな!!」
「「は、はい!!」」
まるで自衛隊員もかくやあらん、という綺麗に揃った返事を俺と男爵は返すのだった。
さあ、お仕事だぜ!