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第二十一話 『行き止まりと、小さな決意と、うぃずゆーふぉーえばー』

「ふん、ふふふーん♪」


 少し狭めの浴場に楽しげな鼻唄が反響する。

 キュッ、と温水栓を捻る音がした。そして、沢山の湯水が床と衝突する水音が始まる。

 熱い水は、真っ白な湯気をもわもわとはき出し、鼻唄の主の滑らかな裸体にベールをかけた。


 その人間は頭から大きな狐耳が生えており、お尻の少し上の所からはボリュームのある狐尾が生えている。

 そして、今その尻尾は楽しげな円弧を描いていた。


 ——きゅいっ


 またしても栓を捻る音一つ。既に排水溝では泡の沼が出来上がっていた。

 少女は自分の前に設置された鏡を小さな手で拭う。曇りガラスが晴れて、彼女の端正な顔が映った。雫を落とす前髪から目を出し、彼女は少し思わしげな顔をする。


「やっぱり、汗くさかったかなぁ……」


 彼女は昨晩の出来事に思いを馳せた。

 突然の自分のお願いに目を丸くしていた青年。気を遣ってくれたのか、彼はベッドを譲り、自身は椅子で寝てしまっていた。

 本当に昨日から、彼のおんぶに抱っこ状態だ。


「抱っこ……」


 その単語で、青年が自分を抱えて、街からギルドまで走ってくれたことを思い出す。ぽうっと顔が火照るのを感じた。

 肩を小さくして目を伏せる。つい独り言が漏れてしまった。

 

「もう一度してほしいなぁ……」


「何をだい?」


「——! きゃああ!!」


 突然、背中にかけられた荒々しい声に、ビクリと後ろを振り向いた。


「なんでそんな化け物に()うたような反応するかね……? 一応、あんたらの雇い主なんやが……」


 不機嫌そうな表情で背後に立っていたのは全裸の中年女性。ギルド長、ことデイジー・マックスさんだ。何も身体に巻いてないので、色々年相応のものが見えてしまっている。

 

 彼女はあわあわと視線を泳がせる。あまり直視したくない、というのも一つにあるが、それ以上に独り言を聞かれたことへの恥と焦りが勝る。


「えう……。あの、いえ……!」


 そんなことをもごもごいいながら、狼狽える少女を前にデイジーさんは「ぶふっ」と笑った。


「なんや、恋の悩みかい?笑」


「んなっ?!」


 少女は、顔に朱を乗せ、うわずった声を上げる。

 デイジーさんのその発言は自分の中に湯気の如く渦巻くもやもやした想いを瞬く間に形にしてしまった。


 思えば、自分が彼に抱いているこの気持ちとは、恋慕の想いなのかもしれない。

 

「あはは。図星のようやな、お嬢ちゃん」


 デイジーさんは「よっこらせ」と言いながら、彼女の隣に置いてあるバスチェアにどっかと座った。そして、自身もシャワー水を顔に当てて、バシャバシャやり始める。


「まあー、頑張ることやな……。恋は女を美しくするとも言うしねぇ」


「こ、恋は女を美しくする……」


 ごくり。

 聞き慣れぬ格言に少女は息を呑んだ。

 彼女の復誦に、デイジーさんはゆっくりと頷く。


「うむ。あれは、言い得て妙な話やわ。あたしも恋をやめてから急激に歳をとった気がしたからねぇ……」


「……」


 疲れ目をぐりぐりと指で揉む彼女に、一瞬、かける言葉を見失っていた。

 何か言わなきゃと考えて、無理くりに質問した。


「あの……デイジーさんは旦那さんとかいらっしゃらないんですか?」


「死んだよ」


「え……?」


 身体が固まり、喉が詰まる。

 随分と淡々とした返答だったが、何だか触れてはいけない話題を持ち出してしまった気がした。

 硬直する彼女を前にデイジーさんは、変わらず繰り返す。


「だから死んだんさ。魔獣討伐に行った折に、バケモンに食われちまったんだと。生前は精力的な男やったが、人間死ぬときゃ随分と呆気ないもんだねぇ」


「あ、あの……」


「ん?」


 おずおずとかけられた声に、髪を洗っていたデイジーさんは目だけ動かして彼女を見る。


 ぺこり、と少女の小さな頭が下げられた。


「申し訳ありません」


「何で謝るのさ。別に嬢ちゃんが気にすることじゃないやん」


 予想してはいたが、随分と大仰な謝罪にデイジーさんは面食らう。


「いえ、気にします……。私は大切な人を亡くした方の痛みが分かるはずなのに……。なのに、こうしてまた人を傷つけました」


 含みのある少女の語り口にデイジーさんの眉が上がった。


「それは私と似たような人間におうたことがあるっちゅうことかい?」


 少女はこくこくと頷く。


「お母さんが」


 短く返って来た少女の答えに、デイジーさんは視線を落とした。


「なるほどな。そりゃ苦労したんやろ」


「はい。だから、私はここに来たんです」


「つながりが見えんな。お母さんのことが心配なら、親元を離れちゃいかんやろ」


 少し非難するような目を彼女は隣りの小さな少女に向ける。

 しかし、少女は目線を合わせず、前髪に目元を隠したまま語った。


「お母さんは病気で手術が必要なんです。お祖母ちゃんたちが今は面倒を見てくれていますが、いつまでも頼りにするわけにもいきませんし……。ですから……」


「だから、あんたが金を稼ぎに来たという訳か」


 ふーん。デイジーさんは何かを考えるようにして天井を仰いだ。

 そして、目を細めながら彼女に問うた。


「なんぼや?」


 潜めるような声で尋ねられた少女は肩を落とす。

 暫しの沈黙が落ちたが、ゆっくりとその金額を口にした。


「——です」


 デイジーさんはそのあまりに高額な手術費に大きなため息をつくしかなかった。



――――――――――――――――――――――――――――――――



「と――さん――ゆーとさん……」


 意識と無意識がせめぎ合う微睡まどろみの中、俺は自分の名前を呼ぶ声を聴いた。

 それは女の子の声で、何だか気遣うような、しかし、少しばかり困り果てているようなそんな調子を持っている。


 あれ……? 俺の目覚まし時計ってこんな設定音だったっけ?

——いや、違う。

 実家から離れて一人暮らし。毎朝6:00に俺を叩き起こすのはスマホの無機質なBeep音だ。こんな甘い鈴のような声で起こしてくれる少女など……


「ん……」


 重い瞼をゆっくりと開いた。暗い視界が晴れ、光で満たされる。

 そして、俺は自分が見慣れない部屋に居ることを認識した。


 ああ……そうか。転生……したんだっけ?

 昨日まで夢かと思っていた現象は幻でなく、たしかに今日も現実として目の前に広がっていた。


 そして、もう一つの幻が俺の眼前で苦笑いを浮かべている。


「おはよーございます。ゆーとさん」


 柔らかく朝の挨拶を俺にしたのは、キツネ耳の金髪少女、テト。

 彼女は今、首にタオルをかけており、何だか石鹸のような良い匂いがした。

 シャワーでも浴びたのだろうか。

 

「下の階でデイジーさんが朝ごはんを作ってくれてますよ。一緒に摂りませんか?」


「んえ……。あ、ああ……そうだな」


 特に断る理由もないので、二つ返事で了承した。

 窓の外を見ると、まだ陽は低い位置にある。こんなに朝早くから起きたのは久しぶりだ。


 スニーカーの踵を潰しながら、少々埃っぽい廊下を渡る。

 後ろから小さな足音がついて来ているのが分かった。

 そして、その先にある階段を下り始めると、いきなり後ろから「あの……!」という声に呼び止められる。


「どうした?」


 階段の上には両手を握って立つテトが居た。陽光が彼女の背中から射しているため、逆光でその顔は見えない。

 彼女は少し震え気味の声で懇願するように言った。


「ゆーとさんは、突然何処かに行ったりしませんよね……?」


 唐突な問いに俺は言葉を失う。

 だが、すぐに持ち直して、背中を向けた。日差しが強いから直視が出来なかったとか、そんな単純な理由ではない。

 人差し指で頬を掻いた。


「俺は仲間を見捨てたりはしないよ」


 もう一度振り返った。

 テトはそこに居る。

 太陽に雲が掛かったのか、逆光が消える。

 彼女は笑っているのか、泣いているのかよく分からない微妙な表情を浮かべていた。


「それに……、俺たちはパーティだろ?」


 確認するように、俺はゆっくりと言った。その発言に、彼女の眼が瞠られる。

 

――そして、華が咲いた。



「はい……!」

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