第一話 『あー、これは死ぬわ』
話はバス車内に戻る。
取り敢えず、もうここは我慢する他あるまい。
俺は波風立てて生きることを良しとしない性分だ。確かに、彼らリア猿共のバカ騒ぎは喧しいが、別にイヤホンで塞げない音量でもない。
ここは、大目に見といてやろう。
……べっ、別に恐いとかそんなんじゃないんだからねっ!
と、俺の脳内会議が収束に向かい始めた頃、バスが都市高のETCレーンをくぐり始めた。
俺は後ろの席で窓枠に肘をつきながら、外の景色に目をやる。
料金所の受付ではこのクソ暑いのにも関わらず、道路工事に励む作業員たちが居た。
俺はああいう人たちになりたくない、と昔から考えていたが、別に彼ら土方が嫌いなわけではない。
ああいう人種は存外、高収入を得ているし、意外、礼儀も心得ていたりする。だから、俺の中ではむしろ好きっていう括りにカテゴライズされている。
真に、滅するべきだと思う人種は無自覚に周囲へ害を振りまく人間達なのだ。
そうそうこんな風に。
「あっ! 今一瞬、海見えたーっ!!」
出し抜けに茶髪ストレートのビッチ女が黄色い声を上げた。
「えっ?! どこどこ!!」
パーマをかけたヤンキー崩れのヤリ●ン(これじゃ、男か女か分かんねぇな。女だ。因みに、●に入るのはマ行の文字だよっ☆)が追従する。
うるせぇんだよ、海くらいで、ギャーギャーはしゃいでんじゃねーよ。小学生からやり直せ。いや、もう幼稚園からやり直せよ。
園児なら俺も微笑ましくペロペ……、ゲフンゲフン! 見守ってあげるのに。
このBBA共が。
「あっ、後ろの席から見えるよー!!」
うわっ……茶髪ビッチが隣り来やがった。席に靴で上がんなっつーの……。
俺は無言で身体を反対側に傾ける。
「……」
何だか、甘い香りがするお。
俺が不可抗力を装って、彼女の蜜のような匂いに酔いしれていると、前方からずんずんと似非ヤンキー女がやって来た。
うわっ! スカート短けぇー……
捲って下さい、とでも言わんばかりのミニスカ具合に俺は少々辟易とする。すると、そんな俺の咎めるような視線に気付いたのか、彼女はこっちをギロッと睨む。
更に追い討ちを掛けるかのように、バウッ! と泣く子も黙るような舌打ちをした。
きゃうん。
チワワのような鳴き声を上げて、俺はいそいそと彼女らに席を明け渡す。
はぁ……ナニコレ。
新手のアパルトヘイト? マジ、俺らぼっちの人権を提唱してくれる牧師っていないの? そんな神様現れたら、俺迷わず投票行くよ??
一応、19だから選挙権もあるし。
俺はあくまでポーカーフェイスを崩さず、彼女らへ席を譲った。
レディーファーストだもんね! 俺君マジ紳士!
代わりにこっちが車内前方に移動して、つり革を掴む。
その様子を見ていた、長い赤髪の男がぶほっ、と噴き出した。
「っべー……! あの人マジ可哀想(笑)」
彼は爆笑しながら、隣りに座るイケメン君に耳打ち。短い金髪の彼は「やめとけ」とかカッコいいこと言いながら相方を諫めていた。
真剣な顔で言ってくれてたんなら幾分こっちも救われる思いだったんだが、ソイツもヘラヘラ笑っていたのを俺の千里眼は見逃さなかった。
……チッ! 聞こえてんだよ、下衆野郎共。そんなに他人の不幸が面白れぇかよ。
これだから、俺はテメェらリア充(笑)が嫌いなんだ。
あーもう、さっさと三途の川に召されないかなー
俺がそう毒づくのとバスが大きく揺れたのはほぼ同時だった。
――ギャギャギャ!
車体を擦る大きな音がする。
途端、重力が消えたように思えた。
右も左も上も下も分からなくなる。
「ぎゃぁああああ」
「わぁあああああ!!」
「なっなっなになになに?!」
多種多様な悲鳴が車内に響き渡る。次々と窓ガラスが飛び散る中で俺はぽけーっと見ていた。
車体が宙に浮いているのを。
都市高のガードレールを乗り越えて飛び出した車体は空を飛ぶ。
窓の向こうにあるのはどこまでものんびりと広がる青い海。
こちとら絶体絶命な状況なのに、実に呑気なものだ。
やっぱ地球ってすげぇ!
と、世の真理を俺が悟っていると、眼前に海面が迫ってくるのが見えた。
昔見たテレビによると、ある一定以上の高さから水に落っこちれば、ソレはコンクリート並の固さになるらしい。
「あー……これは死ぬかも……童貞、卒業したかったなぁ……」
そう呟くと同時に、圧倒的な衝撃を受けて俺の視界は真っ暗になった。
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目覚めると俺は霧の中にいた。
「ここは……」
天国かな? と割と本気で思う。
さっきの大事故に現在のこの状況である。少なくとも、ここが現実世界でないことだけは確かだ。
幸いなことに剣山や血の川は何処にも見当たらず、ここが地獄ではないということだけは分かった。
くぅー、やっぱ神様分かってるぜ。俺みたいな人格者は天界に召されるべき人間だもんな。今まで散々不遇な人生(暗黒の青春)を送らされた分、死んだら必ず報われるべきなんだよ!
およそ、善人には、らしからぬことを考えながら、暫く真っ白な海を彷徨っていると何やら霧の晴れた場所に出た。
そこは青々とした草原が広がり、それらに侵食されるように折れたり、横たわったりしている柱がある。
神殿跡……のような場所である。パルテノン神殿とかこんな感じだっけ。
妙に神々しい聖域に俺は自らの予測の正しさを再認識。
やはり俺が招かれたのは天界だったのだ!
ということは、これから自分は天使の輪と純白の翼を神から授かり、理想の日々を確約されるのだろう。
なんて、最高なシチュなんだ。これから俺は酒を片手に絶世の美女を侍らせて自らのユートピアを建設するのだ。
わお! パラダイス! ビバ! 天国!!
さあ! 神様でも天使でも誰でも良いからさっさと俺に翼と女をよこしなッ!!
そんなことを考えながら、妄想に浸っていると、後ろから不意に誰かに呼びかけられた。
「おっ、他にも人が居るじゃん!」
おや、かなりのイケボではないですか。流石は神。
声質もゴッドでござるな。まあ、俺の一押しには負けるけど。
「スイマセーン、ちょっと良いですかぁー?」
しかし、まあアレだな。神様って結構、気さくなのね。
もっと威厳ある感じな喋り方をするもんだと思っておったわい。
俺は若干の状況の違和に疑問を覚えながらも、満面の笑みで振り返った。
相手は神様だ。つまりは、アメリカの大統領よりも偉いってこと。
失礼のないようにせねば。
と、ついさっきまで散々、天界を軽んずる発言をしていたにも関わらず、俺は素敵すぎるイケメンスマイルで振り返った。
切り替え重要なのよ節子、切り替えが。
さて、そこに居たのは何だか既視感を覚える人物だった。
ってオイ、なんで類人猿がここにいる……
俺が振り返るとそこに居たのは真っ白な歯を見せながら笑うイカした青年だった。
短い金髪に、カッターシャツの第一ボタンが開いて覗く形の良い鎖骨。
鼻をツンとつく柑橘系の清涼感ある匂い。
間違いない。さっきのバスで相乗りしていた例のリア充高校生だ。
彼は長い腕を自分の後頭部に回して、からからと笑う。
「いやー! 良かったです! 貴方、さっき僕たちと一緒のバスに乗られていた方ですよね? 良かったら、一緒に行動しませんか?」
何というコミュスキル。
赤の他人の自分になにゆえ、ここまで積極的にアプローチ出来るのだ。
俺みたいなぼっちは人に話しかけられるってことがコンビニ以外にないから、何か裏がないかと勘繰っちゃうじゃないか!
お陰で、こっちはしどろもどろダヨー。
しかし、その金髪高校生の晴れやかな顔には打算などの悪感情は欠片も見られず、完全に言葉通りのことを望んでいる様子だった。
しょ、しょうがないにゃあ。今回だけなんだからねっ。
エロゲキャラ並の股の緩さで俺は「い、いいですよ……」と承諾の返事をした。
すると、彼の表情がさらに煌々と輝く。
「本当ですかっ?! 俺も同じ境遇の人が居ると心強いっす! 宜しくお願いしますね!」
彼は鍛え上げられた細身の右腕を差し出す。突如、目の前に現れた太陽に俺は右手で日傘を作ってしまった。
眩しい、眩しいって。青春の輝きマジぱねえ。
俺は相手のあまりの照度に目を細める。しかし、助け合いの握手はしっかり交わした。
「よ、よろしく……」
どもり気味の応答を聞き取れず、彼は「ん?」という表情を作る。だが、こっちがそのまま押し黙ってしまうので特に追及はしてこなかった。
これが、世に聞くスルースキルというヤツか……
自然に空気が読める人ってなんかスゴイ。
「あっ、ツカサ居たー!! 勝手に置いてかないでよー」
――と、突然、俺の右手向こうから高い声が飛んでくる。
俺と彼は鏡合わせのモーションでそちらを振り返った。
視界の先にある霧を押し分けるようにして近づいてくるのは、これまた覚えのある顔。
濃いめの茶髪に、それをドリルにして垂らした女子高生。
スカートの短さが偏差値の低さを示している。
間違いない、例のヤンキー崩れだ。
そして、コイツも居るってことはつまり……
俺は口元をピクつかせながら、彼女に追従する二人の人影を見た。
「うぉっ?! なんか急に晴れた!!」
「ジュンペイ、肩触んなし!」
お調子者めいた驚き声と撥ねつけるようなソプラノ。
ワオ。
赤髪DJと茶髪(ヤンキー女よりも色素が薄い)ビッチじゃないか。
DJは髪を肩下まで伸ばし、如何にもオラついた雰囲気。ディスコのステージでコイツを見かけても違和感ないだろうな。
茶髪ビッチの方は顔は可愛いのだが、リンゴみたいに塗ったチークが彼女を天然に見せていた。
いや、実際、頭は悪そうである。スカートの短さが以下略である。
「ちょっ! ツカサ!! ソイツ誰?!」
プゲラと腹を抱えながら、ヤンキー女が俺を指さす。
とても下品な笑い方だ。
「ぶはは! さっきナナコ達に席とられたヤツじゃん!」
チェケラッチョが唾を飛ばしながら、大爆笑。
何わろとんねん。ブチのめすぞ、このオラウータンが。
「ちょっ、ジュンペイ失礼じゃん!」
茶髪ビッチが如何にも正義感ぶってジュンペイ君とやらの上腕を殴る。テメーも笑ってんじゃねぇか。
はあ……。
近頃の高校生は「こんにちは」すら言えないのか。やっぱ俺、こいつら嫌いだわ。
しかし、まあここまでくるとゆとり教育もいよいよだな。ああ……、俺も同じ穴の貉だったか。
かくして、一学年違いの甘ちゃん世代達が此処にめでたく邂逅したのであったとさ。
―つづけ―