第十七話 『星に願いを 〜キツネな少女とぼっちの俺〜』
「え、マジ?」
そんな感想が漏れた。
いや、まあ恐らく仲間になってくれるだろう、という自信はあった。だが、いざ結果が分かるとどうにも信じられない。
彼女は俺の発言に目を二三度パチくりさせると、「まじです!」と元気よく返した。
さっきの恥ずかしげな振る舞いは何処にいったのだろうか。
段々、彼女から緊張の色が褪せている。
これは、アレだろう。恐らく、ぼっち達特有のシンパシーみたいなものだ。
それが証拠に俺の方も少しばかりリラックスして舌から痺れがとれるのを感じた。
「そ、そっか……! じゃあ、早速ついて来て欲しいんだけど……あ、なま「ゴゥーン!」
名前を尋ねようとしたが、それはデカい鐘の音に掻き消されてしまった。
俺は音源を振り返る。広場中心部にある時計台から。
長針と短針が『19:00でござるwww』とけたたましく笑っていた。
「やべぇ!!」
確か、マックスギルドの閉店が「19:10」だ。あと、十分しか残されてない。
ここに来るまでにかかった時間を鑑みても、うだうだしている暇はない。
途端に取り乱し始める俺に、狐の少女は「あの……どうしたんですか……?」と裾を引っ張る。
うん、ずいぶん萌える仕草だが、今はそれに構っている余裕がない。
「すまん! ちょっと走ってくれ!!」
俺は彼女の薄い背中を力強く押した。すると、混乱しながらも彼女は俺の隣を一緒に走り始めてくれた。
キツネなのだから、とてつもなく素早い足運び――であれば良かったのだが、内股でよてよてといったフォーム。こっちが随分と速度を緩めないと置いて行ってしまいそうだった。
しかも、中心街を抜けた辺りから更に彼女の足運びが鈍重になる。
「はー……はー……」と呼吸も苦しげだ。
おいおい……大丈夫か……?と俺が心配した矢先、信じられないことが起こる。
突如俺の視界から彼女の姿がフッと消えてしまったのだ。
「えっ?!」
突然の出来事に俺は急ブレーキをかけて振り返る。何のことはない。
彼女が足を石か何かに引っ掛け、転んだのだ。
石畳の上に黄金色の物体がぺちゃん、と潰れている。
お……、起き上がった。
「うっ……」
細い両手で顔を持ち上げた彼女の両目は雫を溜めてうるんでいた。
よろよろ立ち上がることで見えた膝小僧は完全に擦り剝けている。
案の定、弱音が小さな口から洩れ始めた。
「ご、ごめんなさい……。やっぱり私では力になれそうにありません……。どうか、他の人を……」
彼女は自ら願ってもないチャンスを蹴ろうとする。
だが、俺にとってその発言は非常に歯がゆくてもどかしかった。
その悲しげな目が何よりも「置いていかないで」と語っているではないか。
「悪い! ちょっと触んぞ!」
「―――ひゃっ!」
殆ど、セクハラじみた行為だったが、この時ばかりはもう勢いで乗り切った。
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――だっだっだっだ!!
宵闇が迫り、人家から光が漏れ始める刻限。
慌ただしい足音が住宅街に響き渡る。
少女は気付くと、自分の身体が持ち上げられていることを認識した。
頭の中を『お姫様抱っこ』という単語が駆け巡る。上気した顔で自分を抱き抱える青年を見上げる。
決して、イケメンとかそういう類の顔つきではない。
だが、その腕には確かな男らしさと安心感があった。その青年は鬼気迫った顔をしているが、自分の視線に気付くと、にかっ、と破顔する。
「ごめんな! 今は手段を選んでいる場合じゃないんだ!!」
彼は彼女を両腕で抱き抱えたまま、細い路地を疾走する。
もうすぐ目的地に到着する。
だが、ああ何だろうか、この気持ちは。
まだ下ろさないで。どこまでもどこまでも遠くへ連れて行って。
もっともっと貴方のことが知りたいです。
彼女は自然に頬が緩み、そして、自分の腕を彼の首に回した。
彼は「お、おい……!」と狼狽えるが、彼女は止めない。ニコッと微笑んだ。
「頑張って下さい! もうすぐです!」
大きな声など出し慣れていないが、この時ばかりは彼を応援せずにはいられなかった。
少女の村には「女は男を支える者たるべし」という不文律が浸透していた。
昔は、変な教えだ、と思っていたが今は少しだけ理解できる。
力の無い自分が力ある男の人に身を委ねるとき、こちらからも差し出すものとは。
それは、信頼。
さっきは突然、話しかけられ戸惑ったが、だが、不思議と彼から何かを企むような気配は感じられなかった。
それこそ、この街に来てから、邪険な扱いしか受けてこなかっただけに、それはもう光輝いて見えた。
少女は快活に笑う。
何だか、さっきまで恐がったり、恥ずかしがったり、照れたりしていたのがバカみたいだ。
一人ぼっちだったのが、突然、手を差し伸べられ、今は抱きかかえて貰っている。
昔、お母さんから聞いた童話の主人公みたい。
願わくば、これが夢でありませんように……
そして、彼こそが私の旦那さんになってくれますように……
秋の夜空に流れ星が一つ飛んだ。
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「ぜはー……ぜはー……」
こんなに走ったのはいつぶりであろうか。
少なくとも、高校の時の持久走大会以来だ。確か、あの時はトイレに行っているフリしてずるしたんだっけ。
だが、今回ばかりはそんな逃げも許されなかった。
しかも、両腕には年端のゆかぬ女の子。ここで、ダサい姿を見せるのは流石の俺もプライドが許さなかった。
「行きましょう! えっと……」
俺の腕から降りた彼女は膝に両手をつき、肩で息する俺の腕を引っ張る。
「悠人だ……。古谷……、悠人だ……」
ぜぇぜぇ、と自己紹介をする。
「ゆーとさんですね!」
こんなに間延びした不思議な発音をされたのは初めてだ。
俺は、キョトンとした顔の彼女にふふっと笑いながら、急いでマックスギルドの暖簾をくぐった。
このとき、彼女が
「えっ?! ちょっ、ゆーとさん!」
と何かに驚いていたのだが、ぼんやりしていた俺はその声が聞こえなかった。
バッと壁際の時計を見た。
『19:08』
ギリギリセーフ……。
奥の窓口では受付婆が登録用紙をヒラヒラ振っていた。
「はよしなー、おたくら。あたしゃ、そんなに気が長くないもんでねぇ」
最後の力を振り絞って、受付まで足を運ぶ。
手渡された万年筆のようなもので、名前を記入した。
取り敢えず、『リーダー』と書かれた項目に自分の名前を。漢字は……使っていいか。
続いて、『メンバー』という欄に移る。そこにも同じく『古谷 悠人』と書き込む。
そして、続いて隣に居る狐っ娘の名前を……。
と、ここでようやく彼女の名前を尋ね損ねていたことに気付く。
「あ……」
と横を振り向けば、そこには、むーっと頬っぺたを膨らます少女が一人。
「ゆーとさん……、あんまりです……。自分だけ名乗っておいて、私の名前を聞かないなんて……!」
「わ、わりぃわりぃ。急いでたから、そこまで頭が回らなくてさ……」
たはは、と笑って誤魔化す。
やっちまった。ぼっち特有の固有スキル、『ナマエナンダッケ』の発動である。
まさか、被害者になるのではなく、自分が加害者になってしまうとは。
こればかりは反省。
俺は紙とペンを彼女に示しながら、精一杯の愛想笑いをつくる。
すると、彼女は「貸してください」と言って俺からその二つをもぎ取った。
手渡しのときに僅かに触れた彼女の手はマシュマロのように柔らかく、温もりが籠っていたことをここに記そう。
彼女は壁に紙を当てると、その上から万年筆で名前を書こうとする。どうやら、小柄な彼女の背丈では受付台で作業が出来ないらしい。
だが、当然、万年筆を横にして使用すると、ペン先からインクが出なくなってしまう。
彼女は「あ、あれぇ……」とか「ううーん……」とか言いながら、がりがりと壁を削っていた。
ってか、紙破れてんだけど……
おとぼけな彼女に、俺は軽く目眩を覚えながら、ペンと紙を取り返した。
「俺が書いてあげるから。名前教えて」
「あっ……。むー……」
彼女は自分で書くことが出来ずに、若干、不満げな表情を作る。
しかし、観念したように名乗った。随分と響きの良い名前であった。
俺はそれをスラスラと空欄に綴る。
そして、彼女の眼前に紙を差し出して訊いた。
「これでいいか?」
「ちっ、ちがいます! 『ブ』ではなく、『ヴ』ですっ」
彼女は口を突き出してぷんすか怒る。一々仕草が可愛い。
「はあ……そうなん? でも似たようなもんじゃね?」
「ぜんっぜん違いますよう!」
「わーったよ。……。ほれ、これで良いだろ?」
いちいち注文の多いやつだ。そのうち料理店とか開きそう。
そして、『ブ』と書かれた所に、大きくバッテンされ、その上に正しい文字『ヴ』が置かれた。
「な、なんかすごく雑なんですけど……。まあ……、良いでしょう……」
不承不承といった感じで彼女は承諾してくれた。
俺はそれを受付婆に提出する。
「はいよ、収めました」
彼女はやれやれ、といった感じで受理。
俺は、メンバー欄、自分の名前の下に綴られたカタカナの列を見る。
『テト・イーハトーヴ』
それが、キツネな少女の名前だった。
イーハトーヴとは宮沢賢治の造語で、「理想郷」という意味があったりします。
ソースはWiki