第十四話 『童貞ぼっち』
三年間顔を合わせないうちに、かつての想い人は随分と様変わりしていた。
髪はカラー剤でブラウンに染め上げ、化粧もしている。
女性というのは少しの手を加えるだけでこうも変容してしまうのか、と改めて驚かされる。
今も十分可愛らしいが、しかし、黒髪ぱっつんだったあの頃の亜子ちゃんはもう帰って来ない、と思うと何だか途端にやるせない気分になった。
「あ……ひ、ひさ……「あれーー?!?! フルタニじゃーん!!」
俺が詰まりながら、彼女に話しかけようとすると、それがデカい他の女の声に遮られる。
「うぇ?」
亜子ちゃんの隣席に金髪の派手派手しい女が座っていた。耳にピアスを開けており、俺は得も言われぬ嫌悪感を感じる。
……っていうか、思い出した。こいつ、中学のとき同じクラスだったやつだ。確か、いっつも亜子ちゃんと一緒に居たっけ。
その女は一瞬で血の気を失った俺を見てゲラゲラ笑う。目が汚物でも見るような忌避と侮蔑の混じった色に染まっていた。
「うっわ! フルタニマジかよ! お前、またあーちゃん狙ってんのか?!」
「え、いや、そんな……これはたまたま」
背中にじんわりと冷や汗が流れた。忘れかけていた過去のトラウマが一挙に目の前に押し寄せる。
「誤魔化すなよ。お前、まだ懲りずにあーちゃんに何かしようとしてんだろ? あーホントキモいわ」
「ちょ……、××ちゃん……」
久しぶりの再会にも関わらず、俺を罵倒する彼女を亜子ちゃんは小さな声で止めにかかる。しかし、そんな弱い抵抗は戦車女の砲撃にいとも簡単に破られていた。
剣呑な空気に周囲の学生達がお喋りを止めて俺たちに注目し始める。ああ、またこの空気だ。中学の家庭科のあの日がむざむざと蘇って来た。頭がくらくらする。
「おい、××どうかしたか?」
会話に見知らぬ男が入って来た。ワックスで立てたツンツン頭に金のメッシュ。
首からはよく分からない十字架のペンダントを下げている。クリスチャンだろうか。
しかし、どう見てもヤン男である。アーメン。
「いや、こいつがセクハラしてきてさぁー」
女はこれ見よがしに、その男に助けを求めるような上目遣いをする。彼は女の言葉を信じたのか俺に不審な目を向けた。
「お前、何したの?」
「い、いや……何も」
かひゅっと喉から息が漏れた。男と自分は体格の上では似たり寄ったりだが、こうも険しい顔で睨まれると動けなくなる。
「何もしてねぇってことはないだろ、ああ?」
「だ、だからっ!」
まるで、取り調べ室の警察と容疑者。こんなヤンキー刑事が相手ではさぞかし、被疑者も大変であろう。あることないこと自白して、楽になりたい気分だ。
そんな修羅場に誰かのすすり泣く声が聞こえた。
亜子ちゃんだ。
彼女は机に伏して、肩を震わせている。
「あ、あーちゃん……?」
女が狼狽えるようにして、机と腕の隙間から彼女の横顔を窺おうとする。
居るよねー、こういうヤツ。人が泣いているときに、覗き込んでくるバカ。
俺も小学校で女の子に泣かされた時、同じことされたわ。ダサすぎて実に胸が痛い。
しかし、その場の雰囲気がそんな格好を気にしてられないほど、ささくれだっていることに俺は気付いた。
「ってめぇ……、ちょっと表出ろや」
ヤン男が額に皺をつくりながら、席から腰を上げる。殺る気100%といった低い唸り。
何それ。そんなので怖がるとでも思ってんの。
お前とか別に恐くないし震えてないし、お化けのほうがよっぽど恐いし、ガキ過ぎるし、マジでそんなのでビビるとでも――ナニコレ、スゴク動揺してる。
「ううう……!」
俺は素早い動作で足元のリュック引っ掴む。
そして、両手で抱き抱えるとその場から大脱走。
講義室の外に出る時、後ろから教授の「おーい、君どこ行くのー?!」という間延びした声と他の学生たちの爆笑が聞こえた。
翌日、俺は掲示で自分が、その講義の登録を抹消されたことを知った。どうやら、昨日の講義終わりに配られた登録用紙に名前を書かなければならなかったらしい。こんなのってないよ。
あと、俺がその日、講義室から逃げ出した様子は誰かの手でtwitter上に拡散されていた。
日陰者から一躍その大学の有名人である。悪い意味で。
因みに、その動画には『奇行種www』とか『キメェ(笑)』とかいう辛辣なコメが寄せられた。
某まとめサイトにも取り上げられたらしい。
リアルにも、ヴァーチャルにも誰一人、俺を庇おうとする者は現れなかった。
辛みの極み。
それと、その日以来、俺は学科内で敬遠の対象となってしまった。つまり、晴れて大学ぼっちが確約されたのである。
しかし、ぼっちで有名人ってどういうことよ……。
もう食堂行けなくなったじゃん。まさか、大学入っても便所飯とは。この世界は実に生きにくい。
あ、そうそう。どうでも良いことだが、その後亜子ちゃんと口をきいたことは一度もなかったよ☆
※※※
苦い大学でのエピソードを思い出して俺が顔を顰めていると
「大丈夫ですか……?」
と下から覗きこんでくる瞳があった。青みがかった黒目。
薄色の髪と綺麗なコントラストを作っている。
桃色の唇が誘惑するような艶やかさを放っていた。餅田 比奈だ。
彼女は形の良い眉を下げて、俺を心配する。
ピュアピュア男子なら、今の一撃で「惚れてまうやろー!!」なのだが、生憎そこんとこ俺様は童貞プロ。
そんな、やっすい『心配している私マジ女神!アピール』には引っ掛からないぜ!
とか、頭の中では思っていても身体は正直なんだな、これが。心臓がバクバク鳴っている。
というか、餅田の演技が本当に洗練されている。まるで、本気で俺のことを気遣ってくれているかのようだ。
俺がおっかなびっくり顔を上げると、横から誰かの視線を感じた。
「……」
赤髪チャラ男の飯島が目を細めている。そういえば、コイツ餅田の彼氏なんだっけ?
ならばマズイ。
これ以上彼女に接近するとコイツの『殺る気スイッチ』をONにしてしまうかもしれん。
「あ、ごめん。ちょっと用事思い出して……」
テンプレな言い訳でその場を逃れようと試みる。
だが、それは鏑木の素っ頓狂な声で阻まれた。
「えっ、そうなんですか? あの、せっかくお会いできたので、宜しければ一緒に行動したいのですが……」
お前、実は空気読めねぇだろ。
お前は良いかもしらんが、明らかに飯島は俺を警戒しているし、長谷川も部外者の俺が入ることにはどこか不満げだ。
餅田に関しては……よく分からん。
「い、いやーせっかくのパーティ申請だけど。ごめんね、俺もう他の人と組む約束をしてるから……」
鏑木は「あっ。そうだったんですか!」と納得するが、もろちん、これも嘘。
こういう手合いは実に騙し易い。状況的には俺の方が可哀想なんだけど。
「うん、だからごめんね」
「あ、いえ! 何か僕も古谷さんの事情を知らなくて失礼しました」
軽く頭を下げる鏑木に俺は愛想笑いで返す。
本当は今すぐにでも首を吊りたいぐらいにメンタルズタボロだったのだが。しかし、ここは歯を食いしばって耐えた。
「じゃね」
俺はさすらう旅人のように片手を上げて彼らに別れを告げる。
「また、今度!」
「あ、お気を付けて……」
鏑木と餅田だけが、それに応えてくれた。根は良い奴なのだろう。
長谷川と飯島はもうギルドの敷地内に姿を消している。あまり、俺には興味が無いらしい。
俺だって、お前らには興味がない。それは鏑木と餅田も含めてだ。
リア充とぼっち。
この二要素に共通集合など、存在し得ないのだから。
こうして、四人と一人の冒険者はそれぞれ違う道を歩き始めたのだった。
後者が茨の道であることなど、俺はとうに気付いていたはずなのに。
次回、ヒロイン出します……たぶん