七話 断末魔の叫び
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武瑠と直登が船から降りた頃。
河添春来は団地のアパートの一室で、暗い押入れのなかに身を隠し膝を抱えて震えていた。
なんだよアイツ わけわかんねぇよッ!!
怖くてガタガタ震える身を縮ませ、ガチガチと鳴りそうな口を押さえて恐怖と戦っている。
◇
河添春来は、
遠野悠作・沢部利春・赤浜佑里恵・能海実鈴・柚木芽衣子・水城尚央
この7人で班を組んでいた。
病院の前を通りかかった時。
最後尾を歩いていた能海実鈴が転んだ。――いや、倒されていた。
実鈴には、見たこともない奇妙な黒い生物が覆いかぶさっている。
「なんだコレ? バケモノの着グルミか?」
緊張感の無い沢部の声。
映画の撮影?
あまりに現実離れしたその姿に、河添もそう思った。
だが、それは間違いであると実鈴の絶叫が教えてくれた。
バケモノは尖った尾の先端を実鈴の下腹部に突き立てたのだ。
悲鳴を上げる間もなく、柚木芽衣子もどこからか現れた二匹目のバケモノに襲われた。
「おいッ、やめろよッ!」
勇敢にも、遠野悠作が実鈴にかぶさるバケモノを引き剥がしにかかった。
それが彼の命を縮めることとなる。
バケモノに首を咬まれた遠野は、暴れながら声にならない絶叫をあげて逃れようとする。が、バチッ
とバケモノの体が短く光ると、遠野は力を失くして倒れる。
そして、三匹目のバケモノが現れた時、皆がパニックになった。
「さ、沢部くんまって! おいていかないで!」
悲鳴を上げながら病院の中へと逃げる沢部利春につられて、赤浜佑里恵も後を追った。
三匹目は、逃げた沢部らを追って病院の中へ入っていく。
「あー―あー―あ゛あ゛ぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」
恐怖で言葉にならない柚木芽衣子は、バケモノにどこかへ引きずられていく。
「いやッ! 実鈴離してよッ 離してってばッ!!」
水城尚央は、助けを求めて足にしがみつく能海実鈴の顔を何度も蹴って手を放させると、そのまま逃げて行った。
「に、に、にげ、逃げなきゃ……」
恐怖で固まっていた河添も、震える足で後ずさりした。
それを見た実鈴が悲痛な叫びで助けを求めてくる。
「か、河添くん助けてッ! おねがいッ、た、たすけてッ! たすけて河添くんッ!」
尻尾で刺された下腹部を押さえながら、実鈴は必死に身体をひきずる。
「 う うるせぇッ!! じ 自分で逃げりゃいいだろうがッ!!」
実鈴を襲ったバケモノは、もがく遠野に咬みついたままだ。
踵を返す河添へ、実鈴はさらに大きな声で助けを求めた。
「まってッ! いかないでッ! 河添くん! 河添くんッ! 河添くんッ!」
何度も自分の名を叫ぶ実鈴の声に、河添の足が止まった。
遠野悠作も、もがく力を失って草むらに倒れ、パクパク口を動かして助けを求めている。
その首筋に咬みつくバケモノは血を啜っていた。
遠野の血を啜るのに夢中になっているのか、バケモノが河添を気にする様子はない。
「なんだよぉぉぉ……。くそ~、くそぉぉぉぉッ!!」
バケモノを横目に実鈴へ駆け寄ると肩を貸す。
「ちゃんと掴まってろよ! 手を離したらそのまま置いていくからなッ!」
実鈴を抱えながら必死に足を動かした。一度だけ振り返ると、遠野を襲ったバケモノが病院の中へ入っていくのが見えた。
「あ、ありがとう。ありがとう河添くん。ほんとに、本当にありがとう……」
実鈴は下腹部の痛みに顔を歪ませながら、涙を流して何度もお礼を言った。
◇
ガチャ
部屋のドアが開く音に河添は身を固くした。誰が来たのかはわかっている。
「河添くん、どこぉ~? どこにいっちゃたのかなぁ~?」
声は能海実鈴のものだった。
でも違うッ 今いるのは能海さんだったなにかだッ!!
「河添く~ん、かくれんぼしてるのぉ~?」
襖一枚隔てた向こうで、ボロボロの畳を擦って歩く音がする。
川添は涙を流しながら息をひそめる。
音を出して見つかってしまえば、今度こそ殺されちゃうっ!
早鐘を打つ心臓の音すら迷惑だった。
今だけ、この鼓動が止まってくれればいいのにッ!
本気でそう願っていた。
人生で一番長く感じた5秒間……。
「となりのお宅にイルのかな?」
バタン
部屋のドアが閉まった。
河添は息を吐く。
「・・・っ・・・っ!フウっ、ふっ・・・!」
緊張から解き放たれた身体は、猛烈に新鮮な空気を欲しがった。
大きく息を吸えば、まだ近くにいるアイツに気付かれてしまうかもしれない。
小さく、細く、小刻みに新鮮な空気を身体に送り込む。
た、たすかった、たすかった……助かったぞぉぉぉッ!!
そう叫びたい気持ちを必死に抑えた。
もう5分隠れていることにした河添は、迷わないように船までの道のりを頭の中に描いた。
集合時間はとっくに過ぎている。
みんなどうしているんだろう?
もしかして、俺だけ置いていかれたんじゃ……
あんなバケモノがいるのだから、みんなが逃げ出していても不思議ではない。
不安で胸がつぶれそうだ。
――10分後。
そっと、少しだけ襖を開けて部屋を覗いた。もうアイツは部屋にいないとわかっていても、やっぱり怖かった。
念には念を入れたつもりだった。つもりだったのだが……
あれ? なんでなにも見えないんだろう?
次の瞬間、河添はその理由を知った。
襖の向こうから、自分を覗き返す赤い眼がある。
「か わ ぞ え くん――みぃぃぃつけた……」
眼球が赤く染まった実鈴の目が、河添をまっすぐ見据えている。
「ッ! ひッ、ひぃぃぃぃッ!」
ノドが収縮して大きな声が出ない、叫びたいのに叫べない自分がもどかしい。
狭い押入れ。後退ってもすぐに背中が壁に付いた。
それでもなお後ろに下がろうと足をバタつかせる。
ゆっくりと開いていく襖。
「河添くん アタシお腹が熱いの。熱いのよ……」
一緒に逃げてからまだ30分も経っていない。なのに、実鈴の顔は何日も何も食べていないかのようにゲッソリとしている。
そして、まるで妊娠したかのようにお腹が膨れていた。
「それにね、なんだかノドが乾いてしかたがないの。だからね……」
四つん這いになった実鈴はゆっくりと、鼻が触れあうくらいに近づいてくる。
あまりの恐怖で抵抗も出来ない河添は、子供がイヤイヤをするように顔を横に振るのが精一杯だった。
「河添くんの血、ちょ~だい……」
ここにきてようやく、川添は叫ぶことが出来た。
怖くて怖くて出てくれなかった声がやっと出たのだ。
そして河添は知った。 これが……
断末魔の叫びなのだと――。
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