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六十九話  漂流物とともに・・・

 □◆□◆


 ★


 いくら鉄筋コンクリートの建築物とはいえ、半世紀以上管理されていない建物。

 長年の海風による塩害や風雨にさらされていた建築物は、まるで高く積んだ積み木が崩れるように、大きな音を立てて次々と崩壊していく。

 廃墟の、狭く迷路のような通路は瓦礫で埋まり、次の瞬間には崩落した地中へと落ちていく――。

 坑道は全部繋がっているのだろう。地割れで崩落した大穴からは、海水が逆流する滝のように溢れ出し、全てのモノを押し流していった……。


 この『希望の島』が、まるで最初から島などなかったかのように、完全に水没してしまうまでそんなに時間はかからないに違いない――。



 ◇


 ――ゆっくりと、ドアが開かれた。


 身長の高い真治。頭をぶつけないようにドアをくぐると、机の上に横たわる聡美へと近づいて行く。


 ギガンストルムを取り逃がし、隆起した地面によって後を追うことも出来なくなった真治は、当初の予定通りに病院へと戻ってきた。

 元々、聡美を置いて島を出る気などなかったのだ。


「聡美ちゃん、ただいま――」


 まるで眠っているかのような彼女に話しかけ、気まずそうに頭を掻いた。


「これ……ありがとう」


 そう言って、左手のまだ新しい黄色のリストバンドに触れる。



 一颯に渡された紙袋――。そのなかには聡美からの誕生日プレゼントが入っていた。

 ここに戻る途中に、その黄色いリストバンドを手に取った真治は思わず微笑んでいた。




 ――「そんなこと気にしなくても……」――



 残念そうな、ふてくされるような……。可愛いく頬をふくらませ、ほっぺをつねってくる聡美の顔が思い返される。


 まだ恋人として付き合い始めの頃。周りに他の生徒がいなくなると、聡美はしきりに手をつなぎたがった。しかし真治は、それを顔を真っ赤にして拒んだ。


 気恥ずかしさもあったのだが、一番の理由は汗だった。


 真治は緊張すると大量の汗をかく。その汗が腕を伝い、聡美についてしまうことが嫌だったのだ。

 聡美は気にしないと言ってくれる――もし聡美の汗に触れたとしても真治だって気にはならない。


 汗なら互いに拭い合う


 恋人同士とはそういうものだとも思っている。


 しかし自分の汗となると……。

 真治はハンカチを忘れてしまった日は、絶対に手をつながなかった。



 紙袋にはメモも入っていた。



 ――これがあればいつだって手をつなげるでしょ!――


 家でならともかく、いまだに外で手をつなごうとすると、緊張して汗が流れてくる真治への誕生日プレゼントが、この黄色いリストバンドだったのだ。


 黄色というのは真治と聡美、お互いに共通して好きな色である。

 太陽に向かってまっすぐ伸びるひまわりのように、自分たちもまっすぐに進んでいこう。そんな話をよくしていたものだった。




「ごめんね……」


 真治は膝をつき、そっと聡美の髪に触れた。

 ルベルスの尾に貫かれた腹部。その傷から流れ出る血液が膝まで伝い、床に広がっていく。


「僕は、間違えちゃったよ……」


 その声が震えている。


「子供の頃から身体は鍛えられてきたけど、心は全然ダメだったよ。まったく成長してなくて、弱いままだった……」


 悔やんでも悔やみきれない想いに涙が溢れる。


「あの時、少しでもちゃんと考えることが出来ていれば簡単にわかるはずだったんだよね。神楽くんたちが、聡美ちゃんを見捨てるはずなんてないんだから――」


 真治も頭ではわかっていたことだった。

 だが、あまりにも大きな絶望と悲しみから、それを認めることが出来なかった。

 憎しみを増大させるさせることでしか自我を保てなかった。

 いや、友人に矛先を向けた時点で自我は崩壊していたのかもしれない。だから、聡美ならこう言って自分を止めるであろうという、頭に響いていた声を否定し続けてきたのだ。


「もしかしたら……」


 顔を下げた真治に、その先の言葉は出てこなかった。


 もし、武瑠たちを信じることが出来ていれば――

 彼らと協力していれば――


 もっと多くの友人を、クラスメイトたちを救えていたかもしれない。

 そう思うといたたまれない気持ちになる。


 不意に、頬に触れられた感じがした真治はパッと顔を上げた。


「聡美――ちゃん?」


 頬を押さえながら聡美を見つめる。


 当然、彼女が応えることはない。それでも聡美につねられた、今では懐かしいあの感触が頬に残っている。


 聡美は怒っているのだろうか、呆れているのだろうか。それとも……。


 真治は聡美の手を包む。強く、優しく――


「もうどこにも行かないよ。僕はずっとここにいるから。はじめからこうしていれば良かったんだよね」


 ――祈るように、愛しい人の手を額をつけた。


 島の崩壊による揺れは激しさを増し、かろうじて耐えていたこの部屋の天井が崩れ出す。


 もしかしたら真治の懺悔が終わるまで、なにかの力がふたりを護っていてくれたのかもしれない。しかし、もはやその力も崩壊の前ではなす術もなく――。


 いくつもの大きな瓦礫が、粉塵をあげてふたりの上に積み重なっていく……。


 仲間のために身体を張った聡美。

 自分の弱さからくる誤解はあったが、最後には仲間のために身体を張れた真治。


 友人たちの無事を願ったふたりの心は今やっと、ひとつとなった――――。



 ★



 黒い船体が、幾度となく襲ってくる高波によって大きく揺れる。


 船体が波間を飛ぶかのように跳ね回った――。そんな危険海域をなんとか脱した武瑠たちは、船内のモニター画面を呆然と見つめている。


「し、島が――沈む……」


 狭い船内に、武瑠の震える声が響く。


 あれは武瑠たちが身を潜めていたアパートなのかもしれない。島の中でもひときわ大きく、かろうじて姿を残していた集合住宅が今、海へと沈んでいった……。


 後に残ったものは何もなく、ただ水平線が横一線に広がっている。

 夕日の残光が僅かに残る茜空を、この暗い海は映してはくれない。


 友人・仲間。そして、これから仲良くなれたかもしれないクラスメイトたちもろとも、この大海は希望の島を飲み込んだ。そして、何事もなかったかのように青黒い波を揺らしている。



 チャプチャプという繰り返す波の音が、やけに大きく聞こえる。

 船内では誰も声を発することなく、島を映していたモニター画面を呆然と見つめている。

 助かったという実感よりも――


「うっ……」


 口に手を当て、一颯が嗚咽を漏らした。


「みんなが……貴音が、直登が……聡美たちも……せめて、帰らせてあげたかった……」


 あふれる涙は手では止まらず、甲を伝って流れていく。


 武瑠も、そして佳菜恵も想いは一颯と同じだった。

 トニトゥルスや島の崩壊から逃れ、助かったという実感や嬉しさよりも――悲しさの方がはるかに勝っている。



 拳をグッと握りしめ、武瑠は犠牲となってしまった皆を想う……。




 病院では助けを求めてきた沢部や赤浜になにもしてやれず、一颯を護ってくれた聡美を救えなかった。



 船のカギを探す途中で出会った武東たちにも、もっと注意をするべきだと言った方が良かったのではないかと心が痛む。



 矢城希美は自分を救うために犠牲となった。トニトゥルスから隠れ身を震わせていたのに、ギガンストルムに対して勇敢に立ち向かってくれた。

 彼女が最後に見せたあの笑顔は……一生忘れることはないだろう。



 普段の素行が良いとはいえない美砂江は、桃香を救うために奮闘したらしい。友達想いで心の優しい……それが本当の、豊樹美砂江という女の子だった。



 一年生の時に同じクラスになった縁で仲良くなり、妙にウマが合った和幸の事は残念でならない。あの時、桃香を探して出会った真治を止めていられれば、彼は今も生きていたのかもしれない。



 桃香と由芽は自分の言葉を信じてついて来てくれた。

 『トニトゥルス』というバケモノをまだ見たことがなかったにもかかわらず、協力してくれると言ってくれたあの時は本当に嬉しかった。

 そんなふたりを助けられなかった力のなさを、悔やんでも悔やみきれない。



 貴音には本当に申し訳なく思う……。部活では優しく、時には厳しく支えてくれた。

 この希望の島でも、弱気になりそうな心を支え、最後まで励ましてくれた。

 自分に好意を寄せてくれたのに、その想いに応える事は出来ず。命をなげうって窮地を救ってくれたのにお礼を言うこともできない。



 直登は何度も命を助けてくれた。

 病院で手を差し出してくれなければ、郵便局での窮地の際に来てくれなければ、後を追ってきたギガンストルムから護ってくれなければ……。

 今こうしてこの船に乗っていることはなかっただろう。



「直登……」


 まだ親友の死を受け入れられず、固く目を閉じる。




「いっ――つつつ~……」


 気絶していた皆本が目を覚まし、もそりと上体を起こした。


「皆本、目が覚めたんだな。よかった――」


 武瑠は安堵の息を吐く。


「横になってた方がいいぞ。お前が一番酷いケガをしているんだから……」


「そうよ皆本くん。あなたお腹を撃たれてるんだから、無理しないで横になってなさい」


 心配する佳菜恵の手を皆本は制し、


「いや、大丈夫だから。それより~ここはー―どこ?」


 後頭部を押さえて暗い船内を見回す。記憶が曖昧になっているのだろう。


「船の中よ。私たちね、助かったの」


 涙を拭った一颯がぎこちなく微笑む。


「船~? あ、そうか……俺、アイツに弾き飛ばされて……」


 記憶が戻ってきた皆本は目を大きく見開く。


「神楽ッ、アイツ……ギガンストルムは? 島はどうなった!?」


 しかし大きな声を出したのが腹部の傷に響いたらしく、顔をしかめてうずくまった。


「全然大丈夫じゃないじゃないか。そんなに興奮しなくてもアイツは……」


 武瑠は小さく息を吐いてから先を続ける。


「ギガンストルムは直登が倒してくれた。島は……さっき沈んだよ」


 武瑠の視線に気付いた皆本もモニター画面を見るが、そこにはもう希望の島はなく、映るのは海原のみである。


「そっか、相模が……すごいな、あいつ……」


 この場に直登の姿がないことに気付いた皆本は全てを察したようだ。そしてもう一度モニター画面に目を向ける。


 あの島に置いてきてしまった由芽の事を想っているのだろう。

 その目は哀しく、見ている方の胸が痛くなるほどの無念さが伝わってくる。





 ガン、ゴンと、何かが船体にぶつかる音。


「な、なに!? いまのはなんなの!?」


 脅える佳菜恵に、舵を握ったままの政木が振り向く。


「心配するな、ただの漂流物だ」


 指差したモニター画面から、大小さまざまな大量の木片やゴミが浮遊しているのが確認出来る。

 海流の影響なのだろう、それらの漂流物は船へと近づいて来る。


「いつまでもここにいるわけにもいかない、そろそろいいか?」


 政木の言葉に皆が頷く。


「あの……。ありがとうございました」


 一颯のお礼を背中で受けた政木は小さく手をあげた。


 政木は安全な海域まで逃れると船を反転させて、船首を希望の島へと向けてくれていた。

 島と共に沈んでいく多くの友人たちへ、最後の別れの時間を与えてくれたのだろう。


「お前たちの為だけじゃない……」


 計器をいじりながら政木は静かにそう言った。


「あの島には俺の仲間だっていたんだ。いけすかねえ連中ばかりだが、あんな死に方をするほどのクソ野郎でもなかった……」


 それは全ての隊員に向けられた言葉ではないようだ。

 きっと、そのなかに気の合う友人がいたのだろう。



 ガンッ ゴゴンッ


 大きめの漂流物がぶつかったのか、身体を支えなければならないくらいに船が揺れる。


「今のは大きかったな……もう行くぞ」


 政木がゆっくりと船を前進させる。

 ゴミをかき分けて旋回し、船首を本島の方角へと向けたところで――いきなり金属が激しく擦れ合うような音がしたかと思うと、エンジンが低い唸り声をあげながら停止した。


「スクリューに何か絡みやがった……ッ」


 苛立たしげに舌打ちした政木が、腰を押さえながら立ち上がる。


「外へ出て絡みついモノを取り除いてくるから、少し待ってろ」


「それなら俺が行ってくるよ」


 代わりにと立ち上がろうとする武瑠を、政木は手で制した。


「素人にやらせてスクリューを壊されちゃたまらん。それにずっと暇だったんでな、俺にも何かやらせろ」


 懐から投げナイフを取り出すと、


「神楽……だったか? お前は、不安そうに裾を握っているそのお姉ちゃんの傍にいてやれ」


ニッと笑いナイフを咥えた。


「え? あ……」


 そのいたずらな笑みに反応したのは武瑠ではなく一颯だった。

 顔を赤くして、無意識のうちに掴んでしまっていたであろう武瑠のズボンの裾を放す。


「神楽~。お言葉に甘えて、座っていればいいじゃんか~」


「そうよ。あなたは一度死にかけてるんだから、無理しちゃダメよ」


 気遣うような皆本と佳菜恵の言葉だが、船が動かないこんな時なのにその目はあきらかにニヤついている。


 ――いや、こんな時だからなのか……。

 危機が去ったとはいえ多くの命が失われ、絶望的な気持ちを拭う事は出来ない。


 しかし、言葉で確認し合ったわけではないが、武瑠と一颯がお互いをどう想っているかというのは、当人たちを含め周知の事実だ。そんなふたりが生きて寄り添っていられる。

 そのことが、ただ一つの心の救いとなっているのだろう――。



 上部のハッチが開かれた。


「すぐ戻る」


 ナイフを咥えたままそう言った政木、その身体が突如――


「うぎゃああああああッ!」


 絶叫とともに浮かび上がった。


「マズいッ!」


 皆本が咄嗟にその腰へしがみついて引き戻そうとするが、まるで一本釣りされた魚のようにふたりとも船外へ引っ張り出されてしまった。


「皆本ッ!」


 後を追ってハッチを上がった武瑠は絶句する。


「ッ! なんで……なんでお前がここにいるんだあああッ!」


 右手に政木、左手で皆本を持ち上げているギガンストルムへ、武瑠は怒りの咆哮を上げた。


 □◆□◆

 読んでくださり ありがとうございました。


 残り――――あと2話です。

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