六十三話 みんなの想い――闇のなかの光――
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真治は目を見開き、「みんなを頼む」と懇願する武瑠を睨んでいる。
「ふざけるなあッ! 聡美ちゃんを見捨てたくせにッ、聡美ちゃんを殺したくせにッ、なんでそんな勝手なことばかり言えるんだッ!」
怒り心頭の真治は、襲ってきたルベルスの爪を左手で受け止めていた。
焦ったルベルスが押そうが引こうが、真治はびくともしない。それどころか、
「うざいんだよお前はああああッ!」
穴の開いた右手を固く握り締める。
「ギギッ!?」
ルベルスの顔が歪む。
おそらく、初めて恐怖というものを感じたのであろう。しかしそれも一瞬の事。
真治の拳を喰らったルベルスはそのまま地面に叩きつけられ、顔が砕かれたスイカのように飛び散った。
頭部が無くなったルベルスを投げ捨てて武瑠へ詰め寄った真治は、その無防備な腹部を蹴り上げる。
「ぐあッ!」
苦痛に顔を歪める武瑠に、真治はさらに攻撃を加える。
「お前だッ、お前が言い出したんだろッ!? 聡美ちゃんを見殺しにしようって言い出したのはお前なんだろッ、神楽ッ!」
何度も蹴りつけてくる真治に、動けない武瑠は身を縮めて耐えるしかなかった。
「なぜさッ!? 僕が逃げたのがそんなに気に入らなかったのっ!? 聡美ちゃんを殺して鬱憤を晴らしたかったわけ!? 文句があるなら、殺したいほど腹が立ったのなら僕に来ればよかったんだッ! 何を言われても、何をされても……どんな責めだって受けるつもりでいたのにッ!」
「ぐッ!」
気絶……なのだろうか? くぐもった声を出すと同時に、暴行に耐えていた武瑠から力が抜けた。
それでもなお蹴り続ける真治。そこに、船から降りて足を引き摺りながら駆けてきた一颯がしがみつく。
「やめて坂木原くんッ、もうやめてッ! 武瑠くんが死んじゃうッ!」
「うるさいッ! お前も後で殺してやるから、今は引っ込んでろッ!」
平手打ちをされて倒れた一颯だが、すぐに起き上がると武瑠に覆いかぶさった。
「なんでこんなことするの!? 聡美が死んで、武瑠くんも……私たちだって、みんなが辛い想いをしたんだよ! ううん、今だって辛いわ! 坂木原くんと同じで、みんな悲しいんだからッ!」
顔を上げて涙ながらに訴える一颯に、真治の目がさらに怒りで燃え上がる。
「僕と同じだなんて言うなあああッ!」
真治は一颯の髪を乱暴に掴んで引き上げると、大きな手でその細い首を絞める。
「同じなわけないだろッ、同じ想いをしているわけがないッ! 聡美ちゃんを見捨てたくせにッ、あんな所に置き去りにしたくせにッ、よくそんなことが言えたなあああッ!」
一颯は言葉を出そうとするが、あまりの苦しさで息を出すことも出来ず、意識も遠くなってくる。そこへ―――
「真治ぃぃぃッ、その手を離せぇぇぇッ!」
直登が後から組み付いた。
「次から次へとッ! みんなして僕の邪魔ばかりしてぇぇぇッ!」
首に腕を回された真治は一颯から手を離し、直登を振り落とそうともがく。
「いい加減にしろよ真治ッ、篠峯が今のお前を見たら悲しむってことくらい判るだろッ!」
正気ではない真治をおとなしくさせたい直登。
皆本が今河を締め落としたように、頚動脈を締めて意識を奪いにいく。
「三島さん大丈夫っ!?」
直登と共に来ていた佳菜恵が、咳込む一颯を支えた。
「わ、私のことより武瑠くんは……武瑠くんは大丈夫ですか!?」
まだ苦しそうにしながらも、一颯は武瑠へ寄った。
感電の影響なのだろう。武瑠の身体や顔は赤黒く、火傷をした時のように水脹れになっている箇所もある。
加えて真治に何度も蹴られたために、額のアザからは血が滲み出ていた。
触れることを躊躇してしまうほど、武瑠の身体はボロボロだった。
「武瑠くんっ、大丈夫!?」
しかし、心配する声に武瑠が答えることはなく、揺らすと同時に横向きに倒れていた身体が仰向けになった。
「武瑠……くん?」
その力ない様子に一颯は固まってしまう。
これだけの怪我をしているのに呻き声ひとつ上げないのはおかしい。気絶しているだけなら良いのだが……。
慌てて武瑠の手首を取る。
間違いであることを心から願った――しかし、
「うそ――そんなッ!?」
一颯の全身から血の気が失せた。
首筋にも手をあて、胸にも耳をあてた。だが、何度確認しても武瑠の命の鼓動は止まっている。
「だめ……こんなの絶対にダメッ! 死なせない、武瑠くんは絶対に死なせないんだからッ!」
一颯は武瑠の身体に跨って胸に手を置いた。
心臓マッサージのやり方は、聡美を助けようとした時に和幸から教わっていた。
彼女の場合は傷口が開き過ぎていて、鼓動を蘇らせるどころか、さらに流血させてしまうだけとなってしまったが、武瑠は違う。
傷は多いし流血もしているが、血が噴き出すような怪我を負っているわけではない。
感電や蹴られた衝撃で心臓が止まってしまったのであれば、まだ蘇生させることが出来るかもしれない。
たしか、ここだったよね……
胸の中央部にある硬い骨(剣状突起)から指一本分上に手を重ね、肘を曲げないよう注意しながら胸骨が3~5㎝沈むように圧迫を始める。
武瑠くんお願い、戻ってきてっ!
1・2・3・4・5……15回ほど圧迫しては脈を確認。
それを何度も繰り返し、一颯は懸命に心臓マッサージを続ける。
「三島さん……」
そんな一颯の様子を、佳菜恵は哀しそうに見つめていた。
すぐ傍では、直登が抵抗する真治を必死に取り押さえている。
真治が自由になってしまえばまた脅威となってしまう。
ただひとり、大きな怪我のない自分が加勢しに行かなければと立ち上がろうとした時、あるモノが佳菜恵の目にとまった。
「――――っ」
複雑な感情が込み上げてくる。
和幸……
本当の弟のように可愛がっていた従弟、和幸の亡き顔が思い返されて胸が苦しくなった。
愛する家族を奪った憎んでも憎みきれない仇である真治は、目の前で満足に身動き出来ずもがいている。
佳菜恵はごく自然にそれへ――真治が落としたサバイバルナイフへと手を伸ばしていた。
◇
朝日が差し込む見慣れはじめた教室で、武瑠は自分の席に座っている。
「誰だ?」
誰かに呼ばれた気がして教室を見回したが、周りはがらんとして静まり返っている。
気のせいか……?
普段ならたわいもない話で騒がしいはずの教室も、今は誰もいない。その少し寂しい雰囲気からくる空耳だったのだろうか?
「それにしても……何で誰も来ないんだ?」
ホームルームまであと5分なのだが……。
「みんなして遅刻か?」
そんなはずはないだろうと思いつつ、ある事が気になった。
「って、今日って休みだったっけ!?」
慌てて席を立つ。「そういえば、俺はいつの間に学校に来たんだろう?」という疑問が頭を横切る。
武瑠は通学路の見える窓へと駆け寄る。
「うわあ~……ボケてるな俺。誰もいないじゃんか」
窓から見える通学路には人っ子一人いない。その景色に頭を抱えた。
「……帰ろ。でも、その前に――」
席に戻った武瑠は机に顔をあてた。
「少し寝ていこう。なんだか――すごく疲れてる……」
目を閉じて身体の力を抜く。すぐにやってきた眠気が心地良い。
きっとあれだ。貴音のせいで疲労が溜まってるんだな……
毎日の部活で〝地獄の貴音メニュー〟をこなしているおかげでチーム力は格段に上がった。
そのおかげで、高校生活最後になる夏の大会も自信を持って望むことが出来る。
それを思えば「貴音のせい」などと思ってはいけないのだが、壊れてしまったのではないかと思うくらいに身体中が痛い。
「鬼のいぬ間に休まなきゃな……」
地獄の鬼である貴音に金棒を持たせ2本の角を付けた姿を想像した武瑠は、思ったよりも可愛くなったことに可笑しさを感じて口を弛ませた。
「タケぇ~、『鬼』って誰のことなのかなぁ~?」
突然の声に、武瑠は顔を上げた。
「た、貴音!? い、いつの間に来たんだよ?……っていうか、今日は学校休みみたいだぞ」
手を腰にあてて仁王立ちする貴音に愛想笑いを浮かべる。
青筋を立てて見下ろしてくるその笑顔が怖い……。
「休みなワケないでしょう。寝ぼけてないで、みんな待ってるんだから早く起きなさいよ」
呆れ声で横からそう言ってきたのは由芽。
「休むにはまだ早いんじゃないかな?」
これまたいつの間に来たのか、隣に立つ桃香がクスクスと笑う。
気付けばほとんどのクラスメイトが着席していた。
みんな揃って姿勢正しく無言で前を見ている。
その微動だにしない姿が不思議ではあるが、先程の寂しさに比べればそんなことは気にならない。
「みんな! 時間だからそろそろ行くよ!」
黒板横の出入り口でそう声を上げたのは、クラス委員長の聡美だ。
無言で座っていた生徒たちが一斉に立ち上がり、教室を出て行く。
「一時限目って『移動』だっけ?」
武瑠は首を傾げながら席を立った。
『移動』というのは『教室移動』のこと。
教科が『音楽』のときは音楽室へ、『体育』の時は体育館やグラウンドへ行くことがこれにあたる。
まだホームルームも終わってないんじゃないのか?
もしかしたら少しの間眠っていて、その間にホームルームは終わったのかもしれないと思った。
武瑠は、佳菜恵を困らせたんだろうなと思うと申し訳ない気持ちになる。
「ちょっと待って、武瑠くんはそっちじゃないよ」
教室を出ていくみんなについて行こうとしたところで、後ろから袖を引かれた。
「矢城さん? でも、急がないと授業に遅れちゃうぞ?」
そう言ったが、袖を掴んだまま希美は微笑んでいる。
「あたしたちは授業に行くんじゃないよ。それに、神楽はまだ『向こう』に行っちゃいけないんだよ」
桃香の隣にいる美砂江がそう言って片目をつむった。
「なんだ? 俺だけ仲間はずれかよ」
口を尖らせる。
普段は接点のない美砂江から話しかけられたのは変な感じだが、悪い気はしないし意外と話しやすい。
いつものトゲトゲしさがなく、ふんわりとした柔らかい雰囲気があるからだと気付いたが、これが本当の彼女なのだとも思った。
「仲間はずれってわけじゃないよ。神楽くんにはやる事が残ってるでしょ?」
いつのまにか和幸まで傍に来ていた。
「和幸、いつからいたんだよ……ていうか、俺の『やる事』ってなんだ?」
和幸は、黙って後ろの出入り口を指差す。
どういうわけか、開いている引き戸の向こうは真っ暗で何も見えない。
闇が広がるその光景に、武瑠は強い恐怖感を覚えた。
「なんかさ……怖くないか?」
平然を装ったつもりだが、声が震えているのを自覚した。
向こうへ行けばなにか恐ろしいモノが待ち受けている……。
そんな確信があった。
それを承知しているのか、皆は苦笑いする。
「それでも神楽は行かなきゃいけないの。あなただけが希望なんだから……」
歩み寄ってきた聡美が肩に触れた。
「なんで俺だけが……」
あんな闇の中へ行かなければいけないのか? と言いかけた時、あることに気が付いた。
「そういえば、三島さんや直登がいないんだけど……どこにいるんだ? みんなと先に行っちゃったのか?」
見回すが、自分たち以外もう教室には誰もいない。
「どこにいるのかは、武瑠くんが知っているはずでしょ?」
希美はそう言うが、どこにいるのかなんてさっぱりだ。
「本当は聞こえているんでしょ? タケを呼ぶ一颯の声がさ……」
貴音が微笑む。
「三島さんの……声?」
広がる闇に目を移した時、
<武瑠くんっ!!>
確かに、悲痛な声で自分を呼ぶ一颯の声を聞いた。
<戻ってきて武瑠くんっ、死んじゃダメっ!>
闇の中に光が現れ、そこに涙を流して叫んでいる一颯が見える。
「そうだ。俺、行かなきゃ……」
自然と足が闇へと向かう。
武瑠は全てを思い出していた。
ヒト型のトニトゥルス『ルベルス』によって感電し、ただでさえ苦しかった胸を真治に蹴られた途端、目の前が真っ暗になったのだ。
あたりまえのように『教室』でみんなを待っていたのは、希望の島での惨劇をなかったことにして、平穏だった日常に戻りたいという願望だったのだろう。
なんてヤツなんだ俺はっ!
こんなところで死にかけてる場合じゃないだろッ!
足を止めた武瑠は、貴音たちの方へと振り向いた。
彼女たちの信頼を何度裏切ってしまったのだろう。
「俺に任せろ」という言動を取っておきながら、誰一人救えなかった事を謝りたかった――のだが、
「タケ、早く行ってあげて。一颯が待ってるよ!!」
貴音の笑顔に言葉が詰まってしまった。
貴音だけではない。和幸も聡美も、由芽や桃香、希美も……。皆が笑顔で武瑠を見ている。
「なにも言わなくていいんだよ。武瑠くんが誰よりも頑張ってくれたのは、みんな知ってるんだから!」
屈託のない笑顔を見せたのは希美だった。
「で、でも俺は……」
なんとか声を出した武瑠を由芽が手で制した。
「頑張ったことが全て良い結果になるとは限らないんだよ? でもね、これだけは覚えておいてほしい。私たちは、みんな神楽に感謝しているってことをね!」
「私なんて、神楽くんのおかげで新しいお友達が出来たんだよ!」
「そうそう、まさに『永遠の友』ってやつに巡り会えたんだ。神楽があたしを助けてくれなかったら、こんな奇跡みたいな出会いはなかったかもしれないんだ」
桃香と美砂江もそう言って、三人は寄り添う。
「神楽くんはいつも僕を気にかけていてくれたよね。ちゃんと言ったことはなかったけど、本当に感謝していたんだ。ありがとう!」
和幸は照れクサそうに頭を掻いた。
「私も神楽には感謝してるんだから! むしろ、私の為に危ない目に合わせてしまった事が申し訳ないくらいよ」
そう聡美は苦笑いした。
そしてちらりと和幸へ目を向けた後、武瑠に向かって手を合わせる。
「申し訳ないついでにもう一つお願い。真治を……真治を止めてっ! 今の真治は自分を見失っているだけで、本当はあんな人じゃないの! あなたたちを殺そうとしているのに、こんな事言えた義理じゃないかもしれけど……。お願い……」
頭を下げて懇願した。
身を震わせる聡美の肩に、和幸が優しく触れた。
「真治くんに伝えてくれるかな。誤解されちゃったみたいだけど、僕は恨んでないって。気に病むことはないって。そう伝えてほしい」
顔を上げた聡美に和幸が微笑んだ途端、彼女から大粒の涙が流れた。
「高内……。ごめんね、ほんとうに――ごめんなさい……」
崩れかけた聡美を和幸が支える。
「ああ。伝えるよ……」
武瑠が頷くと、和幸も嬉しそうに頷いた。
「タケ、そろそろ行かないと……」
貴音が促してくる。
「そうだな。元気でな……って言うのも、おかしいな」
頭を掻く武瑠を、貴音は楽しそうに見ている。
「それじゃ――またなっ!」
差し出した武瑠の拳に、貴音も拳を合わせた。
「うん、またね。でも、すぐには会いたくないからねっ!」
「すぐに来るつもりはないぞ。 足掻いて、もがいて、せいぜい長生きしてみせるさ!」
そう微笑み合い、武瑠は闇へと進む。
託された仲間の想いのため、大切な人を護るために。
見送ってくれる仲間たちの視線が心強い。
先程とは違いこの深い闇を見ても、武瑠に恐怖は微塵もなかった。
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読んでくださり ありがとうございました。




