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六十二話  武瑠の願い・真治の『絶望』

 □◆□◆


 ◇


 ――怒りは冷静さを失わせる――


「できれば、真治くんをもっと怒らせてくれると助かるんだけどな~」


「どんな人でも、見境なく怒ると攻撃が単調になってムダな動きも増えるからね~」



 武瑠は走りながら、船着場で皆本が言った言葉を思い返していた。


 今まで、武瑠はなるべく真治を刺激しないように努めてきた。

 言い争っている時ではないし、なによりも聡美の事に関する誤解を解く為には真治に冷静になってほしかったのだ。


 しかし今は一刻の猶予もない。


 真治を怒らせたいわけではなかったが、何を言っても聞く耳を持ってくれないのならば、いっそのこと怒らせてみようと思ったのだ。

 皆本の予見通り、今の真治の動きにはムダがあった。

 武瑠のフェイントを読んでいたとしても、その蹴りや裏拳は素人が見ても明らかな大振りだった。


 冷静な真治ならば裏拳ではなく肘を打ち下ろしていただろうし、そもそも懐に入り込むことすら出来なかっただろう――。



 ◇



 ヒト型のトニトゥルスである『ルベルス』には触角がない。


 だから、直登と政木に気を取られていたルベルスが武瑠の接近に気が付き振り返った時、武瑠は目の前で棒を振り上げていた。


 ギガンストルムに力ずくで折られた棒の断面は歪で、いくつものトゲが立っている。


「いまさら気付いても遅いんだよッ!」


 ここは短期決戦!

 武瑠は気合いを入れて突き刺しにいく。


 慌てて避けるルベルスだったが間に合わず、棒は左肩に深々と突き刺さった。

 叫びながら右の爪で引っ掻きにくるルベルスの攻撃を、武瑠は棒を手放して避けた。


「次は尻尾が来るんだろっ!」


 その予測通り、尻尾が足を払いにきた。

 武瑠はそれを跳んで躱しただけでなく、ルベルスの顔面に膝蹴りを喰らわせる。

 さらに体勢を低くして、下から拳を大きく振り上げた――が、拳は顎をかすめるように当たっただけでクリーンヒットはしなかった。


 それでも、ルベルスの足取りはおぼつかず、まるで酔っぱらいのようにフラついている。


  よしっ、上手くいった!


 武瑠は心で拳を固めた。


 今の一撃は、あえて顎をかすめるように打つことで脳震盪を起こさせるのが目的だったのだ。


 動きが止まって見えるその頭を掴んで、今度は顎に膝蹴りを見舞う。



 果実が潰れたような音を出して顎の骨が砕けた。


「よっしゃああああッ!」


 力なく沈んだルベルスに、武瑠は吠えた。



 午前中にトニトゥルスに襲われた。

 今はもう、太陽が水平線に半分も沈んでいる夕方。


 命懸けで何度も逃げたり戦ったり――。

 トニトゥルスにどんな特徴があるのかなんて、嫌でも観察する破目になった。

 だから、このルベルスがどんな攻撃をしてくるのか、何に気をつければよいのかは大体解ってきていた。



 ルベルスにしてもギガンストルムにしても、


「人間を基準とした姿をしているからにはさ、きっと急所も同じに違いないよね~」


皆本は人間から産まれた事実からそう考えていた。


 今河に連れ去られた桃香を探す為に別行動をする前、皆本が役に立ちそうな人体への攻撃方法の〝技〟をいくつか教えてくれていた。

 脳震盪を起こさせたのはその技の一つだ。

 肉弾戦はしないに越したことはないのだが、今回はそれが役に立ってくれた。



 武瑠はうつ伏せになって動かないルベルスから棒を回収しようとしたが――背後から身の毛もよだつような殺気を感じて身を躱した。



 ヒュンッと耳の傍を風切り音が駆け抜ける。


「なぜけるッ!? 逃げるんじゃないッ!」


 サバイバルナイフを振り下ろした真治が、血走った目を向けてきた。


「む、無茶言うなっ、避けるに決まってるだろっ! それより俺の話を……」


「問答無用ッ!」


 真治は聞く耳を持たず、サバイバルナイフを逆手に持ち替えて突き上げてくる。


 武瑠はその腕を押さえてナイフを止めた――が、真治の力は凄まじかった。

 単純な力だけならば、武瑠と真治はほぼ互角のはずなのだが、怒りによるアドレナリンは、冷静さを失わせる代わりに潜在的な力を解放させるようだ。


 なんとか踏ん張る武瑠だがナイフを止めることが出来ず、その切先が徐々に迫ってくる。


「ぐ――く、くそぉぉぉ……」


 小刻みに震える切先が首筋にあたり、一筋の血が流れた。


 その血に興奮したのか、真治が嬉しそうに口もとを吊り上げる。


「もう終わりだね神楽くん。このままキミの首を掻っ切ってあげるよ」


 勝ち誇る真治だったが、突如目を見開いたかと思うとナイフを押すのを止めた。


 何かの策かとも思ったが、武瑠は真治の力が無くなったこの隙にサバイバルナイフを押し返した。


「なんだ? なにが起こったんだ!?」


 真治から離れた武瑠は、まだその異常に気付いてはいなかった。


 真治はうつむいたまま立ちつくしている。


 あのまま押し切られていれば、自分は今頃死んでいただろう。

 そう思う武瑠から冷や汗が出てくる。


 しかし、自分を殺す絶好の機会だったにもかかわらず、なぜ力を抜いたのか?

 その答えは、苦悶の表情で片膝をついた真治の腹部にあった。


 わき腹から、先端が針のように尖っている突起物が突き出ており、砂埃で汚れている真治のワイシャツに赤黒い染みが広がっていく。


 その突起物はルベルスの尻尾だった。


「死んだんじゃなかったのかよ、あのバケモノは……。待ってろ真治ッ!」


 真治の後ろ。起き上がったルベルスを見た武瑠は駆けだす。


 ◇


 石やナイフを投げられて獲物に近づくことも出来なかったことに、ルベルスは相当イラ立っていたのかもしれない。

 しかし今、ゆっくりと起き上がってくるその顔には歓喜の様子が見て取れる。

 完全に立ち上がっても、真治に止めを刺しには行かない。

 やっと捕らえた獲物を、どういたぶってやろうかを考えているかのようだ。


 痛みに耐える真治は、そんなルベルスをイラ立ちながら睨みつける。


「どいつもこいつもぉぉぉ……」


 背中に手を回して強引に尻尾を引き抜くと、振り向きざまにサバイバルナイフを振る。

 だが簡単に避けられてしまった。

 その代わりにと、ルベルスが振ってくる爪を避けようとした真治だったが、激痛が突き抜けて動けない。


 まともに側頭部へ喰らってしまった真治はまいに見舞われる。

 歪む視界でも、下から振り上げられた爪を身をひねらせて躱したのは達人の勘だったのだろう。しかし、体勢を整えられずに倒れてしまった。


 その拍子にサバイバルナイフが手から離れて滑り転がっていく。


 強い殺気に顔を上げると、上げられたルベルスの尾の先端がこちらに向けられている。


  こんなところでッ! まだ僕は――


 ぐっと噛み締めた真治に止めを刺そうと、尻尾が槍のように振り下ろされた。


「――まだ僕は死ねないんだぁぁぁッ!」


 右のてのひらを貫かれながらも、真治は尻尾を受け止めていた。


「ぐッ。おあぁぁぁぁッ!」


 激痛を気合で吹き飛ばし、蹴りを放ってルベルスの足を払う。


 横倒しになったルベルス。

 真治は上体を起こして左の拳を強く握り、だらしなく垂れている砕けた顎に狙いを定めた。


「僕の邪魔をするんじゃないッ!」


 正拳突きを放つ――が、ルベルスは尻尾を振った。

 右手が貫かれたままの真治の身体が流れ、その拳は届かなかった。


「ちぃぃッ、しぶといんだよッ!」


 右手から尻尾を抜いた真治は、再び拳で突きに行こうとしたところで動きを止める。


 呼吸を荒くするルベルスの体が、青白く発光しだしたのだ。


 一旦距離を取ろうとした足がもつれて、真治は尻餅をついた。


「マズイッ!」


 立ち上がろうとするが、腰に力が入らない。

 もたつく真治の前で、ルベルスの輝きが増していく。


「なにか……なにかぶつけないとッ!」


 とっさに砂を掴んで投げつけた。



 トニトゥルスは青白く発光しながら体に電気を蓄え、その光がが完全な白いになると体当たりしてくる。

 その、人間をも黒焦げにする電撃はやっかいではあるが、触れられる前に石などをぶつけて刺激を与えると、トニトゥルスの意思とは関係なく放電するという欠点がある。


 真治は、何度か経験したトニトゥルスとの戦闘でそのことを知っていた。



「放電させてしまえば、お前なんか僕の敵じゃないッ!」


 しかし真治の思いは裏切られ、ルベルスの発光は止まらなかった。


  そ、そんな……。刺激が足りなかったのッ!?


 砂粒程度の刺激では放電スイッチは入らないのだろう。


 発光が続くルベルスが一歩踏み出してきた。

 真治は視界に入ったサバイバルナイフへと手を伸ばすが――届かない。


「くそぉ……くっそぉぉぉッ!」


 その時、真治の上を影が跳び越えたかと思うと、青白い輝きが離れた。

 ほぼ同時に聞こえたのが、呻き声のような低さで響いた絶叫だった。


「な、なんで……? なんで僕なんかを助けるのさッ、神楽くんッ!」


 真治は、転んだルベルスの隣でうつ伏せに倒れている武瑠へと叫んだ。


 完全な白い光になっていなかったのが幸いだったのだろう。

 武瑠はまだ生きていた。


「ぅぅ……に、にげるんだ、しん――じ。い、今のうちに――みんなを……みんなを、たのむ……」


 必死に動かない身体へ鞭を打ち、武瑠は起き上がろうとするルベルスへ手を伸ばす。


「そんなこと……。感電して頭がおかしくなったのッ!? 僕はキミたちを殺そうとしているんだよッ!?」


 困惑する真治。


「あ……」


 もう少しでルベルスの肩に刺さる棒を掴みかけた武瑠の手が空振る。


 起き上がったルベルスは真治へと前傾姿勢を取った。

 動けなくなった獲物に加え、もう一匹の獲物も仕留めようというつもりなのかもしれない。


 だが、真治はそんなルベルスなど眼中になく、「逃げてみんなを助けてくれ」と懇願する武瑠を睨みつけていた。


  な、なにが……なにがみんなを助けてくれだッ!

  自分たちのことばかりじゃないかッ! そんなに……

  そんなに仲間想いなら、なんで聡美ちゃんのことを見捨てたのさッ!


 武瑠の願いは、真治の悲惨な想いを再び呼び起こしていた。



 ◇



 ―――病院で聡美を治療する物を探していた時。


 武瑠たちから離れ、倉庫からどこをどう逃げたのかは憶えていない。

 我に返ると、真治は暗い一室で膝を抱えていた。


 急に現れたバケモノが恐ろしかった。


 コウモリのような顔をしたバケモノ。

 あのつり上がった黒い眼からは殺気しか感じなかった。それも並大抵の強さではない。


 恐ろしい容姿に背筋も凍るような殺気。

 それに気後れしてしまったというのも大きな理由だが、なによりも聡美への想いが強かった。


  僕がここで死んじゃったら、誰が聡美ちゃんを護ってくれるのさ


 仲間想いの武瑠たちを疑うわけではなかったが、聡美を護るのは自分でありたかった。


「例えこの島で死んでしまう事になっても、聡美ちゃんが生きて脱出することが出来る状況を確認出来るまでは、僕は死ぬわけにはいかないっ!」


 恐怖から直登を突き飛ばしてしまったのは不可抗力だった。

 しかし、ああしなければ自分が襲われて大怪我を負っていたかもしれない。

 そうなれば聡美を護ることが出来ないと、そう自分に言い聞かせていた。


 でも――――


 真治は爪を噛む。

 とっさとはいえ、あんな事をしてしまった罪悪感がないわけではない。

 聡美を心配し、なんとかして助けようとしてくれている武瑠たちは無事だろうかと心が痛んだ。


 ・

 ・

 ・

 ・


「そ、そんな――。こんな――ことって……」


 聡美の待つ部屋へと戻ってきた真治は、予想しなかった光景に目を疑った。


 机の上に、ひとりで残されている聡美。

 この部屋が、まるでホコリまみれの霊廟に見えた。


「聡美ちゃん……」


 震える真治の声に、彼女が答えることはない。


 そっと触れた聡美の頬は透き通るように白く、そして驚くほどに冷たい。

 確かめるまでもなく、命を紡ぐ鼓動は停止し、再び動き出すことはないのは明らかだ。



 武瑠たちがこの部屋から去った後に真治が戻ってきたというのには理由がある。

 彼は武瑠と直登を探していたのだ。


 あの後――隠れていた真治は落ち着きを取り戻すにつれ、自分は人として最低な事をしてしまったと悔やんだ。

 そして、勇気を搾り出して武瑠たちといた倉庫へと戻った。

 武瑠と直登なら、あのバケモノを倒しているかもしれないと思っていたからだ。


 しかし、倉庫にふたりの姿はなかったことで選択肢が生まれる。


 聡美の元へ戻るか?

 武瑠と直登を探すか?


 真治は迷わず武瑠と直登を探す方を選んだ。


 このまま戻っても、まだふたりが帰っていなければ聡美にこっぴどく怒られてしまうに違いないだろうし、何よりも最低な事をしてしまったと、ふたりに謝りたかったのだ。



「真治、あなたは強いんだから……怖がらずに冷静になればあんなバケモノなんかに負けたりしない……」



 部屋を出る前に、聡美が言ってくれたこの言葉が真治を支えていた。


 あのバケモノの動きを見た限りでは、気弱で臆病な自分を抑えれば決して勝てない相手ではない。

 今もどこかで追われているかもしれないふたりを助けられるのは、自分しかいないと思っていた。

 謝っても許してはくれないかもしれない。

 それでも、聡美のために行動してくれただけでなく、いつもからかわれてしまっている自分を助け、『仲間』だと言ってくれている武瑠と直登を、今さらではあるが『仲間』として放ってはおけなかった。しかし――――



  これが、僕に対する仕返し――なの……?


 乱れている聡美の髪を指で整えながら、真治は胸の内でつぶやいた。


 武瑠たちに対する不信感がこみ上げてくる。



「真治が俺たちを裏切りやがったんだ」


「危うく死にかけたぜ」


「最低ね、そんなヤツ置いていこうよ」


「聡美はどうする?」


「裏切り者の彼女なんでしょ? 放っておけば?」


「そうね、連れて行っても足手まといだし」


「どっちにしても死んじまうんだろ? なんなら止めでも刺してやるか?」


「その方が楽に死ねるかもね。血で汚れちゃうし、止血なんてヤメヤメ」


 笑いながら、助けを求める聡美を見捨てていく武瑠たちの声が聞こえる。



 長い間からかいの……いや、イジメの対象になっていた者は、時として思いやりのある言葉や行動も、自分への嫌がらせとして受け取ってしまう事がある。

 自分に対する全ての言動を『悪意』と感じることしか出来ないのだ。


 まさに、今の真治の心境がこれにあたる。


 この時の真治にとって、誰もいない部屋に聡美の亡骸が放置されているこの状況が全てだった。


 加えて、罪悪感という負い目や、短時間での極度の緊張、ストレスなどが影響して聞こえた幻聴によって、真治の心は――


「許さない……」


 ――――壊れた。


「待っててね、聡美ちゃんを見殺しにしたあいつらは……。必ず僕が殺してあげるからね」


 血の涙を流しながら交わしたは『絶望』の味がした。


 それが、さらに真治の憎悪を駆り立てていった――――。


 □◆□◆

 読んでくださり ありがとうございました。

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