六十話 幻聴 ――気合いでなんとかしなさいッ!!――
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「ここが最後の正念場ッ!」
皆本は気合いの声を上げた。
ギガンストルムは――そんな皆本の2メートルほど離れた横を走り過ぎて行く。
「あ、あら? あらららら~?」
予想だにしない展開だった。
駆けて行ったギガンストルムは、今河を追っているらしい。
それに気付いた今河が悲鳴を上げている。
背中に受けた銃弾のせいでギガンストルムのスピードは落ちている。だが、体力がないうえに、振り返るたびに足をもつれさせる今河との差をどんどん縮めていく。
「子供みたいなヤツだな~……」
皆本はそうつぶやいていた。
今まで戦っていた自分を無視したその姿に――ある違和感を持つ。
トニトゥルスが人間を襲うのは、子孫を残したり食糧にするため。言うなれば生物としての『本能』だった。
しかし今、一心不乱に今河を追いかけるその姿。
このギガンストルムはあきらかに復讐を目的としている。
その〝人間っぽさ〟 が妙に引っ掛かったのだ。
「なんにしても今のうち~。さっさと戻って、はやくこんな島からおさらばしましょ~!」
撃たれた下腹を手で押さえて圧迫する。
今河を助けようという気持ちは更々ない。
俺は、神楽ほど『お人好し』じゃないんでね~
元々、皆本は今河の同行に反対だった。
彼が座間や三屋を見捨てた……。いや、『殺した』という話はアパートの管理人室で、美砂江との言い争いを聞いて知っていた。
そればかりか、美砂江が死んでしまったきっかけを作り、それによって桃香が傷つき、仲間たちが余計な危険に晒される事にもなった。
自分勝手で信用できない今河のために、命を懸けようとは思わなかった。
「まいったな、血が止まんないや~。由芽、悪いけどハンカチ貸してくれない――か?」
皆本の表情が凍りつく。
変わらず両膝を地面につけて立っている由芽だったが、その胸は血に染まっていた。
「みな……も――と……ゴホっ!」
咳込んだ拍子に血を吐き、ゆっくりと前のめりに倒れる。
「由芽ッ!」
踏み出した一歩目で下腹に激痛が走り、皆本は転んだ。
それでも木刀で身体を支えて立ち上がり、由芽を呼びながら精一杯駆けて行く。
満足に動かない身体がもどかしい。
激痛に耐えることは出来るが、逸る気持ちに足がついてこない。
何度ももつれて転びそうになるのを、食いしばってなんとか堪えた。
皆本はうつ伏せになっている由芽を抱き上げる。
「大丈夫か由芽ッ!?」
右胸に直径1㎝ほどの穴がある。
今河が撃った銃弾は、皆本だけではなく由芽まで巻き込んでいたのだ。
「み、みな、もと。ちゃんと……うご、動けるんだねー―よ、良かった……」
銃弾は肺に達しているのだろう。苦しそうに話すたび、血の飛沫が舞い上がる。
「バカっ、今は喋るな!」
皆本は引き千切るようにTシャツを脱ぎ、由芽の傷口を押さえた。
「私の胸を〝タダ〟 で触るなんて……。なんだかエッチぃよ」
「おい……」
真剣な顔でひと睨みされた由芽は、青い顔ながら楽しそうに舌を出した。
「ごめんね皆本、私の声が小さかったから……」
「話はするなって言ってるだろ!」
語尾を強くしたが、由芽は話すのを止めない。
「急に瓦礫の陰から今河が出てきてさ。あいつ、銃なんて持ってるし、皆本たちへ向けたから……私、教えようとしたんだけど……」
言葉に詰まって咳込んだ由芽。口にあてた手の隙間から血が漏れる。
「由芽の声が聞こえないわけないだろ。あれはー―俺が悪かったんだ……」
皆本は悔やむ。
ギガンストルムへ止めの一撃を与えにいく直前、皆本は確かに由芽の声を背中で受けていた。
それを“声援”と受け取ってしまった自分の浅はかさを呪う。
ギガンストルムが壁となって今河の姿が見えてはいなかったとはいえ、それがこの結果に繋がってしまったと自分を責めた。
由芽の手が皆本へ伸びる。
「なんて顔してんのよ。皆本が――理が悪いワケないでしょ」
「ゆ、由芽?」
ペチペチと頬を叩かれた皆本が目を丸くした。
「なによ? あんたが『由芽』って言い出したのに、私は『理』って呼んじゃダメなわけ?」
「いや、ダメじゃないけど……」
戸惑いの表情を浮かべる皆本に、
「子供の時は、普通に名前で呼び合ってたのにね」
由芽は少し寂しそうに微笑みかけた。
皆本と由芽が『理』『由芽』と名前で呼び合っていたのは小学生の時。
仲の良かったふたりだが、皆本少年は由芽に可愛らしい恋心を抱いていた。
同じく、由芽も『理』に恋心があったのだが、男勝りの性格ゆえに素直な気持ちを表現出来ない事に思い悩んでいた。
ある日、皆本は勇気を出してラブレターを送ったが由芽はその手紙を落としてしまう。
友人に手紙を拾われてしまい、からかわれてしまった由芽は、
「あんな奴なんとも思ってないしっ、こんなの貰っても迷惑なのよねっ!」
照れ隠しにそう強がってしまった。
偶然、忘れ物を取りに戻ってきた皆本の前で……。
皆本を見つめていた由芽がそっと目を閉じる。
「……私、理のこと傷つけた――」
その目じりから涙がこぼれる。
皆本は必死に血を止めようとするが、溢れ出る血は止まらない。
「なんの話しだよ? 俺は別に傷ついてなんか……」
言い終わる前に指で口を塞がれていた。
「理、まだ私のことを――って言ってくれたアレって……本当?」
由芽の表情が強張る。
草むらに隠れていた時、皆本は一颯たちを助けに行く前に、
ずっと惚れ続けている――
俺は由芽を守りたい――
そう告げていた。
口にあてられた手を握り、皆本はじっと由芽を見つめる。
「――俺は、由芽に嘘を言ったことなんて一度もないよ。でも……ニンジンが嫌いな由芽に、人参ケーキを食べさせたアレは例外にしてくれよ!」
軽くウインクした皆本。
意外にも皆本の特技には料理も含まれていた。
バレンタインデーには、毎年恒例となっている手作りの“義理チョコ”を由芽に貰っていた皆本だったが、ある年に貰ったマシュマロは『ワサビたっぷりチョコマシュマロ』だった。
なぜか食べることを急かしてくる由芽に不穏なものは感じていたのだが……。当然噛みしめた途端に鼻が突き上げられた。
笑い転げる由芽への報復として、皆本はホワイトデーのお返しとして恒例になっている手作りケーキの中に、由芽が大嫌いな人参を入れた『人参ケーキ』を送ったのだった。
「もう……雰囲気台無し」
固かった由芽の表情が綻んだ。
「あれは最悪だった。でも、おいしかったから許してあげる――」
そして、少しはにかみながら視線を上げた。
「――あのさ、もう一回 聞かせてくれる?」
由芽の呼吸が、浅くゆっくりになってきた。
皆本は涙をグッと堪える。
胸から手を離し、両手で由芽の手を握った。
「俺は、ずっと惚れていたよ。これからもずっと――由芽が好きだ」
求められるまでもない。
望むのならいつでも、何度でも聞かせたい言葉だった。
「嬉しい……」
手を握り返した由芽は、もう片方の手をゆっくりと伸ばす。
「小学生の時も、本当は嬉しかったんだ。私もね、理のことが――」
あと少し。皆本の頬に触れかけた由芽の手が――
――ポトリと落ちた。
皆本から血の気が失せる。
「由芽? おい由芽ッ、しっかりしろよッ!」
肩を揺らすが反応はない。
満足そうに微笑むその姿は、まるで眠っているかのようだ。
「まだ……、ちゃんとした返事はもらってないんだぞ?」
力が抜けて沈む由芽の身体をしっかりと支え、きつく、強く抱きしめた。
涙が止まらない。いや、止める理由がない。
由芽と一緒に生き残る為に、最悪でも由芽だけは生かす為に今までがんばってきた。
もういい。――もう、どうにでもなれ……
胸の内でつぶやいた。
生き残ろうとする気力も、目的も……。皆本は全てを失ってしまった。
もし、今ここにギガンストルムが戻ってきたとしても、皆本は何の抵抗もしないだろう。
むしろ、ここで死にたいとさえ思っている。
そうすれば、島が沈んでもずっと由芽と一緒にいられる
そんなことを考えていたのだが、
(ばっかじゃないの!? 理ッ、神楽たちが待ってるんだよ! さっさと立って戻りなさい! 泣くのは島を出てからよッ!)
由芽のきついお叱りの声が響いた。
もちろん彼女が生き返ったわけではない。
由芽ならばきっとそう言うであろうことを知っている、皆本の脳内が作りだした幻聴だ。
それが解っている皆本はその声を無視する。
何もしたくはないしする気も起きない。
胸が――心が苦しすぎて生きていることが苦痛だ。
このまま、由芽を抱きしめたままでいられれば……それだけでいい。
そう願っているだけなのだが――
(グズグズしないッ、理まで死ぬなんて私が許さないんだからッ! お腹や心の痛みが何よ!? そんなもの気合いでなんとかしなさいッ!)
幻聴はさらに責め立ててくる。
二時間ほど前、由芽に叩かれた後頭部までピリピリしだした。
今も彼女に叩かれているかのようだ。
それでも無視を続けるのだが――。
(ばかっ!)だの(アホっ!)だの(根性なしっ!)だの……。由芽はあらゆる罵詈雑言を並べ立ててくる。
「わかった、わかったよっ! 今すぐ戻るから、もう勘弁してくれ~っ!」
ついに、根負けした皆本が泣き言のように吠えた。
(よろしいっ!)
腕の中で微笑んでいる由芽がそう言ったような気がした。
「まったく、雰囲気を台無しにするのはどっちだよ~?」
苦笑いを返した皆本は、彼女を抱えたまま立ち上がる。
下腹の痛みで膝が崩れかけるが気合いで踏ん張る。
(ちょっと、私を抱えてどうするのよ!? また襲われたら逃げきれないじゃない!)
頭の中で由芽が叫ぶ。
「戻るならふたり一緒だよ~。何を言っても、これだけは譲れないな~」
ゆっくりと歩き出す皆本。
もうその瞳に悲壮感はなく、ただまっすぐに歩いていく。
仲間たちや、胸で眠る大切な人。
みんな一緒に、この島を脱出するために――。
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読んでくださり ありがとうございました。




