五十一話 『復讐』――無念を晴らすために――
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「和幸? どうしたの? 神楽くんたちじゃなくて誰だったの?」
佳菜恵が奥の部屋へと呼びかけるが――返事はない。
「高内くん?」
一颯も呼んでみたが、静けさだけが返ってくる。
ミシ……
奥の部屋から床の鳴る音がした。
そして部屋を仕切る枠に手をかけ、うつむきながらゆっくりと現れたのは――
坂木原真治だった。
大変な目に合ったのだろう。服は土と血で汚れ、髪もボサボサだ。
「真治? 真治じゃないか! お前生きてたのか!」
「坂木原君、よく無事で……」
喜びで興奮する直登と涙ぐむ佳菜恵。
一颯も無事を喜びたかったのだが、あるモノに気付く。
そして、近づいてくる真治に待ったをかけた。
「まって坂木原くんっ!……高内くんは? 高内くんはどうしたの?」
足を止めた真治は、じっと一颯を見据えてくる。
何も言わずに上目づかいで見てくるその目は、垂れた前髪のせいではっきりとは見えない。
その異様な雰囲気に、一颯の胸に言い知れない嫌な予感が膨らむ。
「和幸、なんで隠れてるんだよ。真治が生きてたんだ、はやく戻って来いよ!」
まだソレに気付いてない直登は、奥の部屋へ声をかける。――が、やはり返事はない。
「坂木原くん、もう一度聞くね。高内くんを……どうしたの?」
一颯はもう一度、なるべく柔らかい口調で訪ねるが、やはり真治は無言だ。
恐ろしい想像が現実になっているという不安が一颯を襲う。
「坂木原君、和幸は? あの子は何をして……え?」
言いかけた佳菜恵もソレに気付いたようで、ハっと息を飲んだ。
そこで直登もソレに気付いたようだ。
異様な雰囲気も感じ取り、壁から背を離す。
一颯はジッと真治の持つモノを見た。
「坂木原くん、なんで……ナイフから血が落ちてるの?」
下げた右腕で真治が握るサバイバルナイフからは血が滴り落ちていた。
あんな武器をどこで手に入れたのかは知らないが、真治もトニトゥルスと遭遇したのなら、その時の争いでナイフに血が付いているというのは別に不思議な事ではない。
けれども血が滴っているということは、今しがた何かあったということを表している。
そして和幸は戻ってこない――――返事もない……。
「か、和幸……。坂木原君ッ、あの子に何かしたのッ!?」
佳菜恵の悲痛な叫びに、
「彼には……」
真治がゆっくりと口を開いた。
「高内くんには、聡美ちゃんに謝りに逝ってもらったよ」
顔面蒼白になった佳菜恵が立ち上がる。
「それは……どういう意味なのッ!?」
佳菜恵を無視した真治は一颯と直登へ目を向け、
「三島さんと相模くんにも逝ってもらうね。ふたりもちゃんと聡美ちゃんに謝ってくるんだ……」
サバイバルナイフを構えた。
「坂木原君ッ! 私の言ったことに答えなさいッ!」
叫ぶ佳菜恵を、真治は五月蝿そうに睨む。
「――ろしたよ……」
「なに? 聞こえなかったわッ。言いなさい、和幸をどうしたのッ!?」
興奮する佳菜恵に真治はカッと目を見開く。
「もうわかっているんだろッ! 殺したって言ったんだッ!」
怒号が響く。
「こ、殺し……和幸が……? 死んだっていうの……?」
よろける佳菜恵。
「ああそうさッ! 殺してやったッ! こいつらは聡美ちゃんを殺したんだ、死んで当然だろッ!」
興奮した真治はサバイバルナイフを振って叫ぶ。
「俺たちが篠峯を殺した? 真治、おまえ何言って……」
立ち上がる直登に、真治はサバイバルナイフを向ける。
「聡美ちゃんは置き去りにされていたッ! 動けなくなった聡美ちゃんを、お前たちは見捨てて逃げたんだッ!」
一颯は足の痛みを堪えて膝を立てる。
「それは違うわ坂木原くんッ! 私たちも……聡美だって頑張ったの! 聡美はね、最後まで坂木原くんのことを……」
「うるさいッ、言い訳なんかするなッ!」
真治の怒りをあらわすように、再び激しい地震が襲ってきた。
床に手をついてしまう一颯たちに反して、真治は踏ん張っている。
「ふたりにも死んでもらうよ。そうしなきゃ……聡美ちゃんはうかばれない」
まずは一颯へと踏み出す真治。
「止まりなさい坂木原くんッ!」
佳菜恵が揺れに負けじと立ち上がり、声を張った。
そのおかげというわけではないだろうが、激しい揺れは治まり微振動へと戻っていく。
「……先生、そんなモノ向けて何のマネですか?」
真治は低い声で、ジロリとソレを――佳菜恵が構える拳銃へと目を向ける。
ソレは、佳菜恵が外の様子を見に出た時に大風見の遺体から抜き取った物だ。
トニトゥルスを相手にするための護身用だったのだが――。
「今すぐナイフを下に置きなさい。そして、ふたりから離れるのよ……」
佳菜恵の手が震えている。
まさか拳銃を人間に、しかも自分の生徒に向けることになるとは思ってもいなかったのだろう。
真治は呆れたように小さく息を吐く。
「そんなもの向けなくても、先生を殺したりはしませんよ? あなたは聡美ちゃんを殺してはいないんだから……」
「私が守りたいのは三島さんと相模くんです。……篠峯さんのことは残念に思います。でも、もう誰も私の目の前で死なせたりしませんッ!」
佳菜恵の気迫は凄いのだが――。
「残念? そんな言葉で片付けないでもらえますか……」
目を細めた真治のその静かな殺気に、思わず佳菜恵の身が固まる。
「聡美ちゃんはね、三島さんを助けたんですよ。その時に、動脈を喰い破られる大怪我をした……。なのにッ!」
真治は一颯と直登に向かって目を剥いた。
「バケモノから助けてもらったのにッ! こいつらはその恩に報いるどころか、友達を助けた聡美ちゃんを置き去りにして殺したんだッ! こいつらに裏切られて、聡美ちゃんがどれだけ悲しかったか、どんなに悔しかったか、先生にわかりますかッ!」
興奮した真治は、涙を流しながら佳菜恵を睨む。
横に振られたサバイバルナイフから血の滴が飛んで一颯の顔にかかった。
一颯は血を拭らない。
ただ胸を押さえ、何も言えずに真治を見ていた。
言葉がなかった。
聡美は襲いかかってきたトニトゥルスから一颯を守って傷を負い――死んだ。
それは事実だ。
あの時、一颯は恐怖で動くことが出来なかった自分を責めたが、誰も一颯を責め
る者はいなかった。
そのことが、余計に罪悪感を深めていた。
誰かに責めてほしかったのかもしれない。
責められることで、聡美の痛みや苦しみの一部を自分は負わなければならない。
――そう思ってきた。
そして真治に責められた今――――彼女は胸が潰れそうな思いをしている。
呼吸もままならないほどに苦しい。
真治には、殺されても仕方ないのかもしれない。
一颯にはそういう思いもわいてきたのだが、真治は誤解をしている。
その誤解を解いて聡美の――彼女の最後の言葉を真治に伝えなければならない。
深く息を吐いて呼吸を整えた一颯は、
「坂木原くん聞いて、聡美はね……」
震える声で真治に話しかけた。
しかし、一颯が話しかけるのと同時に直登が真治に飛びかかっていた。
サバイバルナイフを奪おうとしにいくがその行為は無謀だ。
胸の傷は血が止まったばかり。
思うように力が入らないその身体では真治に敵うはずもない。
殴られた直登は頭から床に転がる。
すぐに起き上がろうとするが、
「ぐッ! くぅぅぅ……」
胸を押さえて膝を崩す。
真治は見下す目で直登へ歩んでいく。
「ダメだよ相模くん。普通にケンカしたとしても僕の方が強いのに、そんな身体で敵うわけないよ。……安心して、なるべく苦しまないようにするから」
ふと真治の足が止まり、
「なにしてるの三島さん。できれば、キミは最後に殺したかったんだけどな」
目を細めた。
一颯は真治の往く手を遮るように、手を広げて立っている。
「一颯そこをどけッ! 真治の目を見ろ、そいつは本気だッ。本気で俺たちを殺
そうとしているんだッ!!!」
立ち上がれない直登の言葉を無視して、一颯は真治の目を見据える。
「もうやめて坂木原くん。こんなこと、聡美は望んでないよ……」
言葉を続けようとしたが、その前に平手打ちを喰らっていた。
一颯はふくらはぎの傷口が開きかけた痛みを堪えてなんとか踏ん張ったが、真治に顎を掴まれて強引に引き上げられる。
「聡美ちゃんだってこうしてほしいはずさ。特に三島さんにはね……」
真治は、唇は切れている一颯の哀しい瞳に舌打ちし、
「助けた相手に裏切られたんだ。聡美ちゃんは、三島さんを一番恨んでいるはずだよ。そんな目をしても、許されるなんて思わないことだね」
サバイバルナイフを振り上げる。
「やめなさい坂木原くんッ! ほんとに撃つわよッ!」
佳菜恵が再び真治へ銃口を向けた。
「撃てるならとっくに撃ってますよね? 先生に、人は殺せませんよ……」
銃口が震えて狙いが定まっていない佳菜恵に、真治は冷ややかな視線を送る。
一颯は哀しげな瞳で見上げたままだ。
その瞳を噛みつぶすように歯ぎしりした真治は、
「あの時……キミがさっさと逃げていればッ!」
一気にサバイバルナイフを振り下ろす。
パンッ
耳を刺すような鋭い音。
室内に響いた乾いた音とほぼ同時に、サバイバルナイフが窓を破って外へと飛んで行った。
「ぐッ! そんな……こんなッ……」
真治は右手を押さえて佳菜恵を睨む。
「わー―わ、わあああああああッ!」
パンッ パンッ パンッ……
狂乱する佳菜恵は、真治に向けて何度も引き金を引く。
真治は頭から窓に突っ込んで外へと逃れ、
「も、もう少しだったのに……くっそぉぉぉぉぉッ!」
右手を押さえながら全力で走り去る。
カチ カチ カチ カチ……
弾が無くなっても指は止まらない。
真治がいなくなっても佳菜恵は引き金を引き続けた。
「先生ッ、もう大丈夫ですから! 坂木原くんはもう、どこかに行っちゃいましたからッ!」
一颯は足を引き摺って佳菜恵に寄ると、その震える手を握った。
「あー―」
目が合った佳菜恵は、息が漏れるような声を出してその場にへたり込んだ。
「先生大丈夫ですか!?――先生っ!」
揺らされた佳菜恵の手から拳銃がこぼれ落ちた。
「み、三島さん……あなた、無事なの?」
「はい大丈夫です。先生が守ってくれたから、私は無事です」
一颯の手も震えていることに気がついた佳菜恵は、強く一颯を抱きしめた。
「よかった……。あなたたちが無事で、ほんとうによかった……」
小さく囁くような佳菜恵の震え声に、一颯は何度も頷いた。
真治には殺されても仕方ない。
サバイバルナイフで刺されそうになった時、一颯はそう思い覚悟もした。
けれどもやはり怖かった。
殺意に満ちた真治の目。
これから死ぬであろう自分を想像すると怖くて怖くて仕方がなかった。
せめて、
私が死ぬ前に、聡美の言葉を坂木原くんに伝えたい
そう思いはしたが、その気持ちとは裏腹に口も身体も動いてはくれなかった。
聡美……。坂木原くん……ごめんなさい……
何度も心で謝罪する。
肝心な時に動くことも話すことも出来ないのが情けなく、そんな自分に怒りも感じる。
今の一颯には、ふたりに謝る事しか出来なかった――。
◇
真治が一颯たちの前に現れたころ――。
武瑠たちは通路で山になっている瓦礫をどかしていた。
角を曲がれば一颯たちの待つ小屋へと戻る階段が見えるはずだった。
しかし、曲がった時に目に入ったのは瓦礫と土の山――天井が崩壊し武瑠たちの行く手を塞いでいた。
「もうッ! 崩れるなら私たちが通った後にしてくれればいいのにッ!」
苛立つ貴音が、武瑠から渡された瓦礫を投げ捨てる。
武瑠と皆本は、壁沿いの重なっている瓦礫の下に僅かな隙間を見つけ、それを広げようと懸命に瓦礫をどかしては土を掘っている。
その瓦礫をバケツリレーのように、貴音と由芽が受け取って捨てている。
変わらず小刻みな揺れは続いており、急いで地上まで戻らなければ生き埋めになってしまうかもしれない。
貴音だけではなく、瓦礫をどかしてもすぐに土砂が崩れてきてしまうこの不運な状況に誰もが苛立っていた。
「桃香、まだよ。まだ目覚めちゃダメだからね……」
由芽は手を休めずに、気絶している桃香へと目を向けた。
皆本のワイシャツで拘束されて横になっているその姿は哀れだが、目覚めた桃香はまた暴れ出してしまうかもしれないので拘束を解くわけにはいかない。
――由芽は小さな産婦人科医院の家で生まれ育った。
両親は共に医者なのだが、由芽がまだ幼い頃に離婚したため『お婿さん』だった本当の父親は出て行ってしまった。
どこかの病院で働いているらしいのだが、ただの一度も自分に会いに来てくれない父親になど関心はない。
寂しい想いをさせているという罪悪感があったのか、母親は幼い由芽に、その分を補って余りあるほどの愛情を注いでくれた。
新しい『父親』が出来てからもそれは変わっていない。
昼夜を問わない職種なので寂しくなる時もあったが、『母子』のコミュニケーションを欠かしたことはない。由芽は、話しのついでに色々と聞かされてきた。
命の尊さ。出産の苦労や喜び―――避妊の話をされた時はさすがに顔が熱くなってしまったが……。
それに、出産時の注意点なども聞いたことがある。
『桃香の腹を破って出てくる前にトニトゥルスを「出産」させる』
突拍子もない武瑠のアイデアだが、現状では桃香を助けるただ一つの方法だ。
再婚した母は、十歳も年の離れた弟を自宅で産んだ。
その一部始終を見ていた由芽だったが手伝ったわけではない。
家庭の事情で人より知識があるとはいえ、経験はない……。
そんな自分が「人」ではなく「バケモノ」を出産させなければならない。
親友の命が懸かっている重圧もある。
桃香のお腹は随分と大きくなっており、時々内から棒で突かれているかのように腹部が動いている。
桃香を救うことが出来るのは私だけなんだ!
重圧になど負けていられなかった――。
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読んでくださり ありがとうございました。




