四十八話 皆本VS真治
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後ろから桃香を羽交い絞めにした武瑠は、強引に由芽から引き離す。
「やめるんだ七瀬さんッ! どうしちゃったっていうんだよ!?」
暴れる桃香を離すまいと力を込めるが、彼女の力は凄まじかった。
とても華奢な女の子の力とは思えない。
「も、桃香、お願いだから落ち着いて!」
由芽が額に大量の脂汗を浮かべて訴えた。
その傷は酷く、腕の肉が喰いちぎられた傷が大きな口を開けている。
あまりの痛みに動くどころか話すことすらつらいだろう。
それでも由芽は、桃香へ向けて両手を広げる。
「桃香、怖いのは終わりだよ。約束する、もう坂木原にはなにもさせない。だからお願い、どうか落ち着いて!」
敵意がないことを見せるというよりも、抱きしめるような構え。
「ア゛あ゛ッ! うウ゛……ッ……ガァッ!」
桃香はまるで獣のような声を出して、激しくもがき続ける。
そして武瑠は、この息づかいに覚えがあった。
まさか……そんなことあるわけないッ!
後ろから羽交い絞めにしているので確かめることは出来ないが、そうあってほしくないと心から願う。
突然桃香から力が抜けた。
「え? あー―七瀬さん!?」
ずるりと落ちていく桃香につられて前屈みになった武瑠。
その顔に、跳ね上がってきた桃香の頭突きを喰らってしまう。
「ぐぁッ! し、しまったッ!」
桃香を逃してしまった。
手を伸ばすが間に合わず、武瑠は空を掴んだ。
六メートルほどの間を取った桃香が振り向く。
「タケ、いったい桃香はどうなっちゃったっていうの!?」
貴音の問いには答えられなかった。
桃香の眼は赤く、鋭い眼光をこちらに向けている。
それは、武瑠と直登に襲いかかってきた宇津木弥生と同じ眼だった。
まだ弥生ほどではないが、膨らんでいる腹部……。
そうあってほしくないという武瑠の願いは無残に散ってしまった。
「タケってばッ!」
貴音は何も答えない武瑠の腕を引っ張る。
「貴音。物部さんも聞いてくれ」
武瑠はふたりへ向き、
「七瀬さんの体内にはトニトゥルスがいるんだ。今の彼女は七瀬さんとはいえないッ。ふたりはここにいてくれ、彼女は……」
強く唇を噛んだのち、
「彼女の事はなんとかしてみる!」
意志を込めた瞳を桃香へ向けた。
「まってよ神楽、なんとかするってなに!?……まさか、桃香を殺すつもりじゃないでしょうねッ!」
由芽が武瑠の服を掴む。
「アレは宇津木さんと同じなんだ! 殺すつもりなんてないし、取り押さえられればそれに越したことはないけど、最悪の場合は……」
視線を逸らした武瑠。
その前に大きく腕を広げた由芽が立ちはだかり、
「最悪の場合ってなに!? どうするつもりッ! 桃香だよ? あれは桃香なんだよ!?」
涙をためながら睨んでくる。
「タケ、桃香を助けることは出来ないの?」
貴音も涙をためている。
「俺だって助けたいッ! でも……もうすぐトニトゥルスは産まれてしまうだろうし、産まれる時は腹を破って出てくる。その時は七瀬さんだって……」
宇津木弥生のように、失血死してしまうのはあきらかだった。
「そんなのやってみないとわからないじゃないッ! もういいから神楽は手を出さないでッ、桃香は私が助けるんだからッ!」
武瑠は桃香へ向かおうとする由芽を止めた。
「物部さんじゃ無理だッ!」
「離してよッ、あんたなんかに……あうッ!」
手を振りほどいた由芽だったが、傷の痛みでうずくまる。
「由芽、その傷じゃ無理だよ!」
それを貴音が支えた。そして、
「ここはタケに任せよう。タケならきっと桃香を、桃香を……」
武瑠を見上げて瞳で訴えた。
友人たちの気も知らず、桃香が獣のように向かってきた。
「お願い神楽。桃香を、助けてよ……」
由芽は顔をくしゃくしゃにして懇願する。
「俺だって、諦めてるわけじゃない!」
武瑠も、桃香を助けたいという気持ちは同じだ。
トニトゥルスが産まれてしまえば桃香は死んでしまう。
けれど桃香を放っておけば、実鈴が河添を殺したように桃香によって誰かが殺されてしまうかもしれない。
上手く取り押さえることが出来たとしても、産まれてきたトニトゥルスが誰かを傷つけるかもしれなかった。
だが、武瑠も希望を捨てているわけではない。
弥生や桃香が豹変してしまったのは、体内のトニトゥルスの影響であることはあきらかだ。
その証拠に、トニトゥルスを取り除いた弥生は自分を取り戻した。
だから、腹を破って出てくる前に出産させてしまえば……
腹部を破って出てくる前に、通常の出産と同じように産道を通してトニトゥルスを出産させてしまえば、桃香は助かるかもしれない。
武瑠はそう考えていた。
「たしか、物部さんの家って産婦人科だったよね?」
「そ、そうだけど、それがどうしたって……。ちょ、ちょっとまって神楽。あなたもしかして……」
一瞬怪訝な顔をしたが、由芽は武瑠の意図を理解したようだ。
助けられる可能性はあるっ!
そのためにも、はやく桃香を取り押さえなければならない。
武瑠は、向かってくる桃香へと駆けだした。
◇
皆本と真治の攻防は続いている。
先ほどの短い攻防戦。
真治は皆本を殺す気はなかった。
それはサバイバルナイフでの攻撃を一度もしてこなかったことからもわかる。
しかし今は―――首、胸といった急所を的確にサバイバルナイフで狙ってくる。
正確過ぎるゆえに、皆本にしてみれば予測しやすい。
だが、楽に戦っているわけでもなかった。
真治の速さとキレ。
幼い頃から古武術で鍛えられているだけあって、皆本をもってしても単発の攻撃しか返すことができない。
連続した攻撃は、どうしても二発目のスピードが落ちてしまう。
その僅かな隙は、真治を相手にするには致命的なものになり兼ねない。
「すごいとは思っていたけど、やっぱり皆本くんは天才だね。正直、ここまで僕の動きについて来れるとは思っていなかったよ」
攻撃を防ぎきられた真治は、間を取って木刀を構え直した皆本へ、感嘆のつぶやきを漏らした。
「ハアー―ハアー―真治くんこそなかなかやるね~。――とてもケガをしているとは思えないや~」
「ケガをしているのはお互いさまでしょ? でもおもしろいよね、同じ箇所をケガしているなんてさ」
自分の左腕に触れた真治は、包帯代わりに巻いてあるワイシャツの袖が血に染まる皆本の左腕を見た。
「あら、ほんとだ~。ハアー―ハアー―偶然だね、やっぱり俺たち気が合うみたいじゃん? こんなこと終わりにしてさ、お話しでもしない~?」
「皆本くんが、僕の『やる事』を邪魔しなければ、終わった後に話し合ってもいいよ」
皆本はにこやかに、両手でバツをつくる。
「それはムリ~」
「じゃあ僕も無理だね。……もういいかな、息は整った?」
真治はサバイバルナイフを構えた。
「おかげさまで、だいぶラクになりました~」
理由は解らないが、時間をくれた真治に皆本は笑顔を返した。
――得物を持った戦いにおいては皆本に一日の長がある。
しかし、徐々に真治におされてしまう。
原因は持久力の差。
これは30秒もあれば決着がついてしまうような素人のケンカではない。
格闘――いや、命を懸けた『戦闘』だ。
部活をサボりがちな皆本と、毎日家の道場で鍛錬させられている真治。
体力の差だけはどうしようもなかった。
速さはほぼ互角だが、皆本は体力の低下で動きのキレが失くなってくる。
その結果、サバイバルナイフを避けきれず、ワイシャツが何か所も切れてしまっている。
血が滲んでいる箇所すらあった――。
「そ。なら、続きを始めようか……」
突進してきた真治が左のジャブを打つ。
183cmの真治と165cmの皆本。
体格の差で、離れた間合いからでも十分皆本を狙える。
しかしこれはフェイント。
本命は右手のサバイバルナイフだ。
当然のように皆本はこれを読んでいる
ジャブを潜って素早く懐に入ると、サバイバルナイフを木刀で受けた。
そして腹部へ肘打ち、さらに下がった顎への頭突き狙う――が、
「くッ!」
真治は身をひねって頭突きを避けた。
皆本は腹部へもう一度打撃を打とうとして――後ろへ身を引いた。
頭があった場所を、真治のハイキックが通り過ぎる。
「ガラあきっ!」
片足で立つ真治の足を狙って踏み込んだ皆本。だが、側頭部に鈍痛が走る。
「ぐぁッ!」
なにが起きたのかわからず、グラついた皆本の胸にサバイバルナイフが迫る。
それでも、ナイフの尖端を木刀の柄で受けた皆本。
その頭上から真治の手刀が振り下ろされるが、皆本は木刀を手放してなんとかそれを躱す。
そして木刀を蹴り上げると、大きく後退した。
反撃の機会であるにもかかわらず、真治は後を追わない。
皆本は落ちてきた木刀を、真治を見据えたまま受け取った。
「すごい芸だね。受け損なったらカッコ悪かったけど」
真治は真面目な顔で茶化してくる。
「自分で蹴り上げたからね。どこに落ちてくるのかくらいはわかってるよ~。あわよくば、そのナイフも絡め取りたかったんだけどね~」
サバイバルナイフで開いた柄の穴を指で撫で、皆本はにこりと答えた。
「真治くんこそすごい芸を持ってるんだね~。頭を狙った蹴りを途中で止めて踵落しなんて、プロの格闘家みたいだ~。どんだけ強靭な足腰してんのさ~」
「普通に蹴ったんじゃ皆本くんには当たらないからね。うまく引っ掛かってくれて良かったよ」
平然と言う真治に皆本は苦笑いする。
短期戦ならほぼ互角なんだろうけど、
やっぱりあのサバイバルナイフはやっかいだな~
真治の右手にあるサバイバルナイフ。
木刀と比べると、殺傷能力は桁違いである。
足でも切られてしまえば、10秒以内に決着がついてしまうだろう。
真治が意外な行動に出た。
サバイバルナイフは地面を滑りながら転がり、開きっぱなしの扉にぶつかって止まった。
真治がサバイバルナイフを投げ捨てたのだ。
「どうしちゃったの真治くん。もしかして、あきらめてくれたのかな~?」
願ったことではあったし絶好の機会ではあるのだが、真治の意図がわからない以上、皆本は動くことが出来なかった。
「皆本くんが邪魔そうに見てたから……」
真治は静かに拳を構えた。
「サバイバルナイフを使っていたのは、僕なりの気遣いだったんだよ」
「気遣い~?」
まだ続ける気十分だと悟った皆本も姿勢を正す。
「アレを使えば、苦しむ時間は少なくて済むからね。でも――」
真治の目が不気味に光る。
「もう――楽には死ねないよ、皆本くん……」
一気に間を詰めてくる真治に皆本も応戦する。
しかし―――
「ぐあッ!」
真治の拳が皆本の顔を捉えた。
続いて放たれた膝は避けたものの、足はさらに伸びてくる。
皆本は、膝から下を使った強烈な蹴りを木刀で受けるが、真治は流れるような動きで懐に入ってくると、下から肘を突き上げてきた。
後ろに飛んで力を逃がしたものの、肘はみぞおちに入り2秒ほど呼吸が止まる。
その間も真治の攻撃は続く。
皆本も攻撃を返そうとはするのだが――――防戦一方になってしまっていた。
短期戦なら互角? バカか俺はッ!
奥歯を噛みしめ、皆本は自分の甘い考えを悔いた。
真治の言う通りだった。
急所に集中していたサバイバルナイフでの攻撃は、本当に真治なりの気遣いだったのだ。
不慣れな得物を使うことで、微妙に動きや技のタイミングがいつもとズレてしまう。そのハンデを抱えながらでも、真治は皆本と互角以上に渡り合った。
得物を手放したことで本来の動きを取り戻した真治は、皆本を圧倒する――。
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読んでくださり ありがとうございました。




