四十六話 入り江
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今河は漁港へと向かっている。
船でこの島を脱出するつもりだ。
武瑠はエンジンをかける『キー』がないと言っていたが、もしかしたら悪友がバイクを盗むために教えてくれたエンジンのかけ方が役に立つかもしれなかった。
それでダメなら、その時は救命ボートで島を出ればよい。
大海へと流されてしまう海流のことは、パンフレットを読んで知っている。
だが、トニトゥルスに襲われる危険を考えれば、海を彷徨う方がましだと考えたのだ。
それに、漁港に行けば一颯や貴音がいる
学園でも10本の指に入る人気女子だ。
特に、一颯とは一度「お相手」を願いたいと思っていたのだが、いつも武瑠や直登がそばにいて迂闊に近づけなかった。
でも今なら、邪魔する者は誰もいない。
高内和幸もいるらしいが、病弱なお坊ちゃんなら一撃で黙らせる自信があった。
「バケモノがいなかったら、逃げる前にちょっとだけ『遊んで』やるか……」
いやらしく口もとが弛み、疼く下腹部が期待で膨らんだ。
商店街で『ヒト型』のトニトゥルスの接近を見た今河はその場から逃げた。
桃香と美砂江を見捨てたことについてはなんの罪悪感もない。
自分の身を守れればそれでよい
それが今河の考えであり生き方だ。
「豊樹なんか助ける必要ないだろ。友達ごっこで死ぬなんて……桃香があんなに頭の悪い女だとは思わなかったぜ」
とっくにトニトゥルスに殺されているだろう桃香と美砂江を鼻で笑った。
「くっそ、桃香だけは殴ってでも連れてくるべきだったな」
まだ手に残る桃香の胸の感触に下腹部が疼く。
桃香をモノに出来なかった不満を、ムスコに責められている感じがした。
漁港も近くなった所で、地下掘削現場への出入り口である昇降機の所に影が見えた。
「ま、またバケモノか!?」
慌てて物陰に隠れる。
昇降機の横には、機関銃を手にして周りを警戒している黒い迷彩服の男がいた。
「あいつ、なにモンだ?」
トニトゥルスではなかったことに安堵しながらも、今河はその「人間」に声をかけようとは思わなかった。
見るからに声をかけづらい容姿もあるが、声をかけないのはその雰囲気が不気味過ぎるからであった。
声をかけたり見ているところを発見されてしまえば、問答無用で撃ち殺されて
しまう。
黒い迷彩服の男からは、そんな危険な〝ニオイ〟がプンプンする。
まだ今河の存在には気付いていないようだ。
「あんなところでなにやってんだ、さっさとどっかに行けよ……」
苦々しく舌打ちして様子を窺う。他に隠れられる所もないので身動きが出来ないのだ。
五分ほどすると、昇降機をよじ登ってもう一人、迷彩服の男が現れた。
放置されていた昇降機は動かなかったのだろう。
ワイヤーを外し見張りをしていた男と短い会話をした後、二人はどこかへ向かって歩き出した。
幸いにも漁港へ向かうのではないらしい。
今河は男たちの後ろ姿を目で追いながら漁港へと向かう――――のではなく、男たちの後を追うことにした。
なんのために来たのかわからないが、この島にいるということは船で来たのだろう。
小さくて静かな島である。ヘリコプターで来たのなら、その音に気が付かないはずはない。
動くかもわからない漁港の船へ戻るより、男たちを追ってその船に乗り込むことが出来れば確実に助かる。
もし見つかってしまっても相手は『人間』。
話しが通じないわけではないだろう――。
今河は下腹部の疼きを忘れ、男たちの後を追った。
★
少し幅が狭くなった薄暗い地下通路を、武瑠と皆本が並んで歩き、そのすぐ後ろを貴音と由芽がついてくる。
「酷いニオイね……」
潮の匂いとカビが混ざり合った悪臭に、たまらず由芽はハンカチを取り出した。
「この先は海に繋がっているんだろうね~」
皆本は先の暗がりを見据えた。
島のいくつかの場所に、この地下研究施設と繋がる出入り口があるという。
まだ先は見えないが、海と繋がっているこの通路もその一つなのだろう。
天井には高速道路のトンネルでよく見るようなファンが設置されているが――今は動いていない。
70年間放置されているため、海からの潮風で壊れてしまったのだろう。
まばらではあるが、薄暗いながらも通路を照らしてくれているランプがあるというだけでも奇跡的だ。
「貴音、この先には何があるんだ?」
「こっちから来たんじゃないもん、そんなのわかんないよ」
武瑠の問いに、貴音は鼻をつまみながら答えた。
「わかんないって。貴音が“道案内が必要でしょ?”っていうから……」
「そんなこと言ったってしょうがないじゃん。桃香はこっちに行っちゃたんだからさ」
後ろで口を尖らせるが、貴音は武瑠のTシャツを放そうとはしない。
まったく、怖いなら残ってればよかったのに……
武瑠は小さくため息を吐く。
――地下に下りた武瑠たちは迷った。
階段を下りた桃香が右へ行ったのか左へ行ったのかわからない。
武瑠は仕方なく、二手に分かれての捜索を提案しようとした時、
「こっちへ行ったみたいだね~」
左の通路で、死んでいるトニトゥルスの傍でしゃがんでいた皆本が立ち上がった。
桃香がトニトゥルスの血を踏んでいったのだろう。
赤い足跡が細い通路の奥へと続いている。
「そっちなら私たちが来た方だから案内するよ!」
貴音が案内役をかって出た。
しかし通路は途中で分岐しており、桃香は貴音たちが来た方とは違う通路を行ってしまったようだ――。
「それにしても長い通路ね」
心労と悪臭で由芽がイラ立つ。
「仕方ないよ~。ここはトニトゥルスの研究施設なんだから~」
「皆本、なんで仕方ないのよ?」
後ろから突いてきた由芽に、皆本は天井を指差した。
つられて見上げたが――そこにはなにもない。
「ま、ここじゃないんだけどね~。でも、基本的に通路が分岐している所や、出入り口付近には隔離壁が下ろせるようになってるみたいだよ~」
「隔離壁? 防火扉みたいな物?」
貴音の問いに皆本は、「用途的には同じかな~」と答えた。
小屋からの階段を下りた所や、この通路に入る時の曲り角の天井には梁のようなものが突き出ており、その厚さに沿って壁には窪みがあったという。
そして外へと出られるであろう方角に、『緊急時用』と書かれた隔離壁を下ろすためのスイッチボックスが、壁の下の方に埋め込まれていたらしい。
「トニトゥルスなんていう危険生物の研究をしてたわけだからね~。何かの事故でトニトゥルスが制御不能に陥った時には封じ込めなきゃいけないでしょ~?」
通路が長ければ、それだけトニトゥルスを『外』に出さない為の時間を稼ぐことができる。
つまり、研究者たちは自分が置き去りにされる可能性を承知のうえで働いていたことになる。
というのが皆本の見解だ。
「なるほど。やっぱり、すげえな皆本は……」
武瑠は皆本の洞察力に感心すると同時に、
もし、自分が皆本ほどに強ければ篠峯聡美や赤浜佑里恵 沢部利春を救えたのではないか?
矢城希美だって死なずに済んだのではないか?
と劣等感や罪悪感を感じる。
「なに言ってんだよ~。俺から見ればさ、神楽の方がよっぽど『すげえ』ってぇの~!」
武瑠の思いを知ってか知らずか、皆本は励ますように沈んだ肩を叩く。
「俺が……すごい?」
呆気にとられる武瑠に皆本は微笑む。
「こんな状況で、神楽みたいに誰かれ構わず助けようとするなんて俺には無理だね~。特に、今河も連れていくことにした時なんて、感心を通り越して呆れたんだからさ~」
「それって褒めてるのか?」
皆本は何も言わずに微笑むだけだった。
◇
通路は部屋も分岐路もない一本道。
こんな狭いところでトニトゥルスに襲われたら逃げることも難しいだろう。
幸いなことに今のところ襲撃はないが、まだトニトゥルスの残りがいるかもしれないので警戒を解くわけにはいかない。
「和幸も佳菜恵ちゃんも怒ってないんだし、七瀬さんも地下なんかに来なくたって……」
堪え切れない悪臭を誤魔化すために、武瑠が鼻を掻いた――次の瞬間、
「うぐっ!」
わき腹に鈍痛が走った。後ろから貴音に殴られたらしい。
「痛った! な なにすんだよ貴音!」
抗議したが、逆に睨まれてしまう。
見れば由芽にも睨まれ、皆本は呆れたように口を開けている。
「な、なんだ? 俺、なにか変なこと言ったか?」
貴音と由芽 ふたりの厳しい視線にたじろぐ。
「ばかタケ! そんなこともわかんないの!?」
「な、なにがだよ?」
貴音が怒っているので皆本に救いの視線を送るが、
「おれ知~らね~」
ニヤつきながらあっさりと流されてしまった。
「桃香はね、直登のことが好きなのよ! そんなの見ててわかんないかなぁ!」
「ええッ!? そ、そうだったのか?」
貴音に言われ驚く武瑠。
皆本は笑いを噛み殺し、由芽は武瑠に詰め寄る。
「好きな人にあんなキツイ言い方されたら、顔向けできない、ここにはいられないって思っても仕方ないでしょ!?」
由芽にも怒られてしまったが、それで合点がいった。
なぜ桃香は、トニトゥルスの死体がある方へ行ってしまったのかがずっと引っ掛かっていたのだ。
きっと涙で前がよく見えていなかったのだろう。
好き好んで死体のある方へ行くわけがない。
納得した武瑠を見て、貴音と由芽はため息を吐く。
「ねえ貴音、神楽ってこういう人だったの?」
呆れ顔の由芽が武瑠を指差す。
「そうなの、こういう話は特にね。桃香がどんな目で直登を見ているかを考えればすぐに気付くのに……ほんっとに鈍い! にぶにぶにぶタケなんだからッ!」
いや、お前を見る直登の目に気付かないんだから
貴音も十分鈍いんじゃないか?
という疑問が出たが、それは飲み込むことにした。
「なに? なにか言いたそうね……」
貴音がジト目で拳を上げた。
「な、何でもない! 頼むからレバーブローだけはやめてくれ!」
さっきの一撃をもう一回喰らったら動けなくなってしまう。
そこにトニトゥルスが現れてしまったらシャレにならないではないか。
武瑠は両手で待ったをかけた――が、手遅れだった。
◇
武瑠たちが進む通路をさらに進んだ先。
つきあたりを曲がったところにある扉が半開きになっている。
そこは整地された小さな船着場になっていた。
木片の山は、無造作に積み重ねられた多くの木箱のなれの果てだろう。
見上げれば、アーチ状の断崖が屋根のようになっている。
小さな入り江。海面からはいくつもの岩が突き出ており、外海を見ることはできない。
小型ボートがやっと入って来れる船着場。
知っていなければ決して見つからないような場所だ。
桃香が桟橋の縁に座ってうつむいている。
湖のような穏やかな海面が、涙をためた桃香の顔を映していた。
追いかけてくる由芽を振り切るので必死で、どこをどう走ってきたのかわからない。
今は誰とも……少しの時間でもいいから、ひとりになりたかったのだ。
しかし孤独になってしまえば、苦しさと寂しさから誰かにいてほしいとも思ってしまう。
「どうしよう美砂江ちゃん。わたし……」
落ちた涙が波紋となり桃香の顔を揺らす。
「わたし、直登くんに嫌われちゃった……」
心の中の友は何も語ってはくれず、ただ笑顔をふりまくのみだ。
なんだか、気持ち悪い……
さっきの、腹部の疼きが戻ってきた。
「――ふう……」
足を上げ、桃香は膝に頭をつけた。
「誰が来たのかと思ったら、七瀬さんだったんだ」
突然の声に桃香は慌てて振り向く。
「皆本くんと物部さんは……死んじゃったの?」
周りに目を向けながら近づいて来るのは坂木原真治だ。
木片の山に身を潜めていたのだろう。
桃香は誰もいないと思っていただけに、心臓が飛び出そうな思いをした。
真治の問いに、桃香はお腹を押さえながら首を横に振る。
「だったらなんでひとりでいるの? 危ないからさ、せめて皆本くんの傍からは離れない方がいいよ。バケモノだけじゃなくて、妙な人たちもうろついているみたいだしね」
真治は感情を失くしてしまったような表情だ。
「坂木原くん――血が、出てる……」
真治の左腕には破ったワイシャツの袖が巻かれており、それが血で滲んでいた。
商店街で会った時にも包帯は巻いてたのだが、その時の桃香は美砂江を失ったショックで、真治に気を配る余裕がなかったのだ。
「平気だよ。これはー―たいして痛くはないから」
まるで、もっと痛いところがあるというような言い方だ。
桃香と目が合うと真治は目を細め、
「七瀬さん、その目……」
腰へ手を伸ばして一歩身を引く。
「私の――目?」
目がどうしたというのだろうか。
そういえば高崎にも目について言われたような……。と思った桃香は、真治の態度を訝しみながらも、ポケットから鏡を取り出した。
前髪をチェックするのに使う小さな手鏡だ。
「――ひいッ!」
自分の目を見て、思わず手鏡を手放してしまった。
地面に落ちて割れた手鏡。その破片が飛び散る。
な、なに? 今のはなんなの……?
泣きはらしたせいで、目が充血しているのだと思っていた。
だが信じられないことに、鏡に映った自分の目は真っ赤だった。まるで――
なにかの間違いよ……そんな、そんなわけない!
鏡の破片を拾いもう一度確認する。
しかし、何度見ても桃香の目は赤い。
皆本が、『ギガンストルム』や『ルベルス』と名付けた、あの『ヒト型』のトニトゥルスのように眼球そのものが赤かった。
真治はへたり込む桃香を見下ろす。
「何時間か前に、銭湯だった場所で柚木さんに会ったんだ。僕と会った時には柚木さんはもう柚木さんではなくなっていて……」
真治は自ら手をかけた柚木芽衣子を思い返していた。
放心する桃香に聞こえているのかはわからない。
だが真治は話を続ける。
「いきなり襲いかかってきたんだ。柚木さんも、今の七瀬さんと同じ眼をしていたよ……」
その時だった。
突如、へたり込んでいた桃香が真治に襲いかかる。
真治は下から伸びてきた手をバックステップで避ける。
なおも前へ出てくる桃香を闘牛士のように躱すと、その首筋に手刀を振り下ろした。
前のめりに倒れた桃香だがすぐに立ち上がり、
「ふウ゛~。ウ゛ウ゛~……」
赤い眼で睨みながら、獣のような息遣いで真治を威嚇する。
「……残念だよ、七瀬さん」
真治は哀しげにつぶやき、腰からサバイバルナイフを抜く。
「ちょっと真治ッ あんた桃香に何をするつもりよッ!」
半開きだった扉が激しく開かれ、船着場に由芽の怒声が響き渡った。
彼女は真治を睨みつけているが、
「――やっと……やっと会えたね」
真治の目には由芽など映っていない。
その隣に立つ男。
真治は、どうしても会いたかった人物を見つけた喜びで口が弛む。
その狂気に満ちた笑みは、戸惑いの表情を浮かべる神楽武瑠へと向けられていた。
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読んでくださり ありがとうございました。




