四十五話 暴走感情
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小屋に入った武瑠たち。まずはケガ人の手当てをすることにする。
壊れかけた椅子に座る時、足の痛みで一颯の顔が歪んだ。
幸いといっていいものか、ふくらはぎに当たった銃弾は貫通しており、骨も無事なようだ。
痛みは相当なものであろうが、これなら走れないまでも支えれば歩くことは出来そうだ。
見た目が酷いのは直登の胸の傷だった。
左の腹部から右肩にかけて斜めに裂傷が入っている
内臓に届くほど深くなかったのが不幸中の幸いだ。
残り少ないペットボトルの水でふたりの傷を洗う。
手先が器用な武瑠が針で傷口を縫う。
針は佳菜恵が持っていた裁縫道具だ。
一緒にあった裁縫用の糸を使おうとしたが、皆本に止められた。
見た目は汚れていなくても、繊維にどんな細菌がついているかわからない。
専門的な事はよくわからないが、皆本が言うのならやめておいた方が良いのだろう。
しかし、病院で縫合に使うような糸なんてあるわけがない。
「ないものは仕方ないからさ~、代わりに……」
皆本の提案で当人たちの髪の毛を何本か貰い、水で洗って代用することにした。
以前、糸がないからケガ人の髪の毛を使って縫合するという、どこかの国の映像を見たことがあるらしい。
裁縫用の糸を使うよりは〝まし〟なのかもしれない。
緊急時とはいえ人に針を刺す。
武瑠は緊張で手元がおぼつかず、呆れるくらい下手くそな縫合になった。
当然、麻酔なんてものもあるはずもない。
叫びたくなるような痛みだったに違いないが、直登も一颯も歯を食いしばって呻き声一つ上げなかった。
痛がってしまう事で、武瑠に与えてしまう精神的負担を思ったのかもしれない。
傷を塞ぐだけの縫合になったが、いま出来る治療はこれが精一杯だ。
その後、気絶していた和幸を起こした。
横になっている直登に合わせて、みんなで円になって床に座り、一颯たちがどうしていたのかを聞いた。
一颯たちが隠れていた船に高崎が逃げ込んできた。
その後すぐにトニトゥルスの襲撃があり、高崎の案内で酒場の隠し部屋に逃げ込んだところで、特殊部隊が救助に来ることを聞かされる。
地下研究施設を通って合流地点へと向かう途中で、佳菜恵と利子に再会したが、眠っていたトニトゥルスが目を覚まし襲われてしまった。
到着した特殊部隊によって救われたが、隊長の大風見に武瑠たちの救助を頼んでいる時にまたも襲撃をうけてしまう。
そこに武瑠たちが来たのだという。
そこまで聞いて――重い沈黙が流れた。
特殊部隊の隊長だという大風見や、二人いた隊員は死んでしまった。
それに利子も……。
身を震わせて利子の死に耐えている一颯を察し、誰一人として利子のことを口にするものはいない。
この数時間で多くの友人たちが死んでしまったが、『死』というものに慣れることはないのだ。
由芽が重い空気を破るように、
「トニルル……じゃなくて、トニトゥルスー―だっけ? あんなの研究してどうするつもりなの?」
言葉を噛んでしまったが、言いなおして和幸を見た。
「それは僕にもわからないんだ。今さらあんなもののサンプルを持ち帰って、何をするつもりなのか……」
和幸は沈痛な面持ちで首を振った。
武瑠たちは話しの途中で、あのバケモノに『トニトゥルス』という名前があることを聞かされていた。
『トニトゥルス』
ラテン語で『雷』を意味するらしい。
体内で作りだした電気で攻撃してくるあのバケモノにはお似合いな名だ。
「それなら、あの『大形』のトニトゥルスは『ギガンストルム』って呼ぶことにする~?」
突然、皆本がそんなことを言い出した。
「ぎ、ぎがん……なんだって?」
発言の意味がわからない武瑠は、思わず聞き返していた。
「たった今ひらめいた造語だよ~。ここはラテン語つながりでさ、巨人を意味する『ギガンテス』と、怪物を意味する『モンストルム』をくっつっけて『ギガンストルム』。あのクソったれにはもったいないくらいカッコイイ呼び名になるけどね~」
さらに皆本は、
「あとは、短足で腕の長い『コウモリ顔』。コウモリは確かラテン語で、ウェスペル……なんとかって……。よく覚えてないからそのまま『コウモリ顔』ってことにして、小さいヒト型は『赤い眼』をとって、『ルベル・オクルス』。強引に略しまくって『ルベルス』っていうのはどうだろ~?」
と空気も読まず、自画自賛の発想にご満悦だ。
「いや、そうじゃなくてだな……」
改めて、武瑠は皆本のマイペースぶりに困惑した。
わからない。やっぱり皆本ってよくわからないな……
確かに『コウモリ顔』・『ヒト型』・そしてあの『大形』。
3種類のトニトゥルスがいるのだが、それぞれに名前を付けたからどうだというのだろう?
武瑠はポリポリと頬を掻く。
「あんた、ラテン語なんてどこで覚えるのよ?」
由芽も呆れたような視線を皆本に送った。
「ねえ……」
うつむく桃香の、その小さなつぶやきは皆の耳には入らない。
「いくつかの単語を知ってるだけだよ~。それに、俺たちも何気にけっこう使ってるしね~……」
褒められたわけではないのだが、なぜか照れる皆本。
「ねえ……」
二度目の桃香の声は、皆本の話声で消えてしまう。
「例えばさ、『ホモサピエンス』って教科書にあったでしょ~? あれってさ、ラテン語で『賢い人』って意味だし、『月』のことを『ルナ』って言うのもよく聞くよね~。それに……」
皆本が披露する雑学を、
「ねえってばッ!」
桃香の大きな声が遮った。
由芽が、ぎこちない動きで桃香の肩に触れる。
「ど、どうしたの桃香? いきなり大声出して……」
桃香はうつむいたまま、由芽の手をそっと掃う。
「どうしたのじゃないよ。あんなバケモノの名前なんてどうでもいい」
その肩が小刻みに震えている。
「一颯や貴音たちも大変だったのはわかった。でも、これだけは聞いておきたいの……」
顔を上げた桃香は、和幸に鋭い視線を送る。
「あのさ、こんなことになったのは高内くんのせいなの?」
和幸の表情が固まった。
彼は何も隠さずに、自分の……おそらく父親が関係していることも話していたのだ。
「も、桃香。別に高内が悪いってわけじゃ……」
貴音がフォローを入れようとする。
「そ、そうよ桃香。高内のひいお爺さんがトニトゥルスの研究してたっていうだけで、高内がなにかをしたわけじゃ……」
由芽もなだめようとするが――
「なんでよっ! 高内くんは、あの『トニトゥルス』ってバケモノのことを知ってたんでしょッ!? 知っててみんなに黙ってたんだから同罪じゃないッ!」
興奮して立ち上がった桃香は和幸を睨む。
それを正面から受け止めた和幸は悲痛な面持ちで何も言えず、唇を震わせた。
一颯が身体を引き摺ってふたりの間に入る。
「待って桃香! 高内くんが話を聞いたのはまだ子供の頃だったんだよ。それにこの島に研究施設があるなんて知らなかったわけだし、罪があるなんて言いすぎだと思う」
興奮する桃香は一颯をも睨む。
「なんでそうやって高内くんをかばうのッ!? 嘘をついているかもしれないじゃないッ! そもそも高内くんがいるクラスが、この島に来ることになったなんて話しが出来過ぎよッ!」
これには佳菜恵が口を挟んだ。
「七瀬さんそれは違うわ! 修学旅行のコースは先生たちみんなで決めたの。このクラスが島に来ることになったのはくじ引きの結果なのよ!」
「……じゃあ、佳菜恵ちゃんもグルかもしれないんだね」
「え――?」
冷たい目を向けられた佳菜恵は言葉を失う。
「佳菜恵ちゃんと高内くん。ふたりは従姉弟なんだよね? 知らなかったなんて言ってるけど、実はふたりとも高崎の仲間なんでしょ? トニトゥルスのサンプルを回収する高崎の動きを、ふたりでフォローしてたんじゃないの!?」
「なんてこと言うのよッ! 三人がグルなら、逃げた高崎と一緒にふたりも逃げてたばずでしょ!? でも佳菜恵ちゃんも高内も、みんなを助けようとしていたじゃないッ! 桃香だって見てたでしょ!?」
言い過ぎだと由芽が叱るが、桃香は引かない。
「それも演技かもしれないでしょッ! 今河くんみたいに、平気で人を見殺しにしたら罪が重くなるから、生きて島を出た時に、少しでも自分の罪を軽くしたり誤魔化そうとしているのかもしれないッ! このふたりと一緒だとまた誰かが……」
「桃香ッ!」
まくしたてる言葉のその先は、由芽が言わせなかった。
乾いた音が響き――――この場を静寂が包む。
由芽は泣きそうな目で桃香を見つめている。
皆本も哀しそうに眉間を寄せて、桃香に目を向けている。
このふたりは和幸の曾祖父、高内吉政がトニトゥルスの研究をしていたという件から、桃香の表情が険しいものになっていた事に気が付いていた。
だから皆本は『研究』から、強引に『トニトゥルス』というラテン語へ話題を持って行こうとしたし、由芽もそれに乗ってみせたのだ。
「――死んじゃったんだよ」
赤くなった頬をそのままに、桃香が静かに口を開いた。
「聡美だって……三十五人もいたクラスの、ほとんどの人が死んじゃったんでしょ? 希美や――美砂江ちゃんも死んじゃったよね。誰のせい? 誰のせいでこんなことになっちゃったのよ……」
うつむいた桃香から、一粒の涙がこぼれ落ちた。
次々と襲いかかる命の危機のなか、目の前で友人たちの命が失われていく。
とうに気が変になっていてもおかしくない状況で、誰もが精神的に辛い想いをしている。
そして、桃香の精神も極限状態だった。
理不尽な現状を『なにか』の、『誰か』のせいにする
それは、自我を保つために行う一種の自己防衛なのかもしれない。
「誰のせいでもない……」
誰もがかける言葉を失うなか、横になっていた直登が桃香を見上げた。
「わ、悪いけど相模。私が言って聞かせるから、あんたは黙っててくれない?」
慌てた様子の由芽が間に入る。
しかし、和幸に支えてもらい上体を起こした直登は先を続けた。
「和幸や佳菜恵ちゃんだって被害者なんだ。俺たちと同じなんだよ」
「だからここは私に任せて、相模は……」
そう言ってくる由芽に、直登は顔を振る。
「例え本心じゃなかったとしても、いま七瀬は言っちゃいけないことを言おうとした」
直登の責める視線に、桃香は目を見開きわなわなと震えている。
「相模くん、僕たちなら気にしてないから……」
「そうよ、こんな状況だもの。つい言葉が出てしまう事だってあるわよ」
和幸と佳菜恵も庇いに入るが、直登は厳しい顔を崩さない。
「和幸も佳菜恵ちゃんも、必死になってみんなと助け合っているんだ。それを演技かもしれないなんてよく言えたな。このふたりが一緒だとなんだって言うんだよ?」
桃香は震える口を開く。
「わ、私はただ、もう誰にも――直登くんにも死んでほしくなくて……」
「俺? 俺がなんだ? ふたりが一緒だと、俺は死んじまうのか?」
桃香は、直登の視線から逃れるように後退る。
「ち、違うよ、そうじゃなくて。わたし、わたしは……ちがうの、ちがう。わたし、そんなこと思ってなんか……」
自分の言ってしまった言葉。
それをあらためて思い返した桃香は首を振る。
今度トニトゥルスに襲われれば次は自分が、もしくはまた大切に思う人が死んでしまうかもしれない。
桃香は先の見えない不安と恐怖で、胸がつぶれそうなくらいに苦しかっただけだった。
でも、その感情を和幸にぶつけるのは筋違いだった。
桃香から後悔の涙があふれる。
「俺も、さっきの言葉が七瀬の本心だとは思ってない。だからひと言、ふたりに謝れ……」
直登も、そしてみんなも、この状況を誰かのせいにしたいという桃香の心情はわからなくはない。
誰かのせいに出来ればどんなに心が楽になるか……。
不安や恐怖。
行き場のない怒りを誰かにぶつければ、溜まりに溜まっているストレスも少しは晴れるのかもしれない。
しかし、それは一時的なものにすぎない。
どんなに誰かを責めても状況が変わるわけではない。むしろ、一度爆発してしまった感情は収拾がつかなくなり周りにも伝染する。
そうなってしまっては、どんなに仲の良い仲間同士でも見境なく傷つけあってしまう修羅場となってしまう事がある。
そんなことにならないためにも、直登は暴走しかけた桃香を止めたかったのだ。
だが、このことが思わぬ展開を呼んでしまう――――。
「あの、わたし……ごめ、ごめんなさいッ!」
深々と佳菜恵と和幸に頭を下げた桃香、部屋の奥へと走り去ってしまう。
「桃香ッ!」
キッと直登を睨んだ由芽が後を追う。
「直登……」
渋い顔をする直登の肩に、武瑠は手を置いた。
「ああ……。ちょっと、言い方がきつかったかもな……」
直登は渋い顔で唇を噛み反省を表した。
バスケ部でキャプテンを務める直登は、なによりも「チームの和」を重んじている。
中学生の時にもバスケ部のキャプテンだったらしいが、試合で思うような結果が出せなかった時、チームメイトの不適切な一言が仲間をバラバラにしてしまった。
キャプテンであるはずの自分は何も出来なかった。
昨日まで笑い合っていたのに……。バラバラになっていく仲間たちを止めることが出来なかったのだ。
そのことを聞かされている武瑠、一颯、貴音はなんとも言えない顔になる。
確かに直登の言い方は厳しかった。しかし、暴走しかけた桃香をなんとしてでも止めたかった直登の気持ちもよくわかるのだ。
「ちょっとみんな来てッ! 桃香が、桃香が……」
躓きながら戻って来た由芽が奥の部屋を指差す。
「ゆ、由芽、大丈夫!? なにを慌ててるの?」
貴音が転んだ由芽に駆け寄った。
「私のことはいいからッ! 桃香を 一緒に桃香を探してッ!」
由芽は涙を浮かべて貴音にしがみつく。
「七瀬さんを探してってー―どうゆう事なんだっ!?」
尋常ではない様子に武瑠は立ち上がった。
桃香は奥の部屋で、気持ちを整えているのかと思っていたのだ。
「地下に……階段を下りて地下に行っちゃったのっ!」
それを聞いた一颯たちが青ざめる。
和幸は立ち上がり、
「マズいよそれはっ! まだ目覚めていないトニトゥルスがいるかもしれないのに!」
「それで、七瀬さんはどっちに行ったの!?」
続いて佳菜恵も立ち上がった。
由芽は首を振る。
「追いかけたんだけど、階段下りたところで見失っちゃって……」
はやく行こうと言わんばかりに武瑠の腕を掴んだ。
皆本が木刀を手にして駆け出す。
後を追おうとする武瑠の手を一颯が掴んだ。
「まって武瑠くん、私も行くっ!」
痛みを堪えて立ち上がろうとするが、
「その足じゃ無理だよ。 三島さんはここで待ってて。七瀬さんは必ず連れ戻すからッ!」
「あ」
ほどかれて床に手をついた。
「直登ッ、お前も休んでろ! 傷が悪化して動けなくなったら元も子もないんだからな!」
武瑠が、壁に手をついて立とうとする直登を一喝した。
「和幸たちは、直登と三島さんを頼む!」
返事を待たずに武瑠は由芽と駆けて行く。
「タケ、私も行くっ!」
貴音が後を追って行った。
残された一颯は悔しさから床に爪を立てる。
自分がいなければ、篠峯聡美や九条利子は今も生きていたかもしれない。
何かの役に立とうとしても満足に動くことも出来ない。
そんな自分が情けなくて仕方がなかった。
「私ってダメだね。 みんなの足を引っ張るだけで何の力にもなれないよ……」
うつむいて自虐の言葉をつぶやいた。
それを聞いた直登が壁にもたれ、
「俺も、さっき足手まといになり下がったからな。一颯の気持ちはよくわかる。この状況を作っちまった俺が、七瀬を連れ戻しに行けないなんてな……」
胸を押さえてズルズルと座り込む。
「今は少しでも休むのがふたりの務めだよ。神楽くんがいるんだから大丈夫! きっと無事に、七瀬さんを連れて帰ってくるよ!」
明るく振舞う和幸に、ふたりは黙って頷いた。
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