四十四話 一時の安息
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利子の無謀な行動は、結果的に武瑠が一颯たちと合流する時間を稼いだくれた。
「三島さんっ! 貴音、佳菜恵ちゃんも、大丈夫か!?」
なんとか追いついた武瑠。だが、地べたにへたり込んでいる一颯の様子がおかしかった。
左のふくらはぎにうけた銃創も痛々しいが、それよりも呼吸が荒い。
いや、激しいといった方がいいのかもしれない
胸に手を当て、かなり苦しそうにしている。
「タケ、一颯が……一颯が大変なのッ!」
貴音が青い顔で見上げてくる。
「三島さんどうしたの!? 苦しくても頑張らなきゃ、私に掴まりなさい!」
佳菜恵は必死に励ましているが、焦っていて症状が見えていない。
一颯の症状はあきらかに過呼吸だ。
利子の身に起こったことは武瑠も見ていた。
一颯と利子は親友だった。
学園だけではなく、休日も一緒に過ごすことが多かった。
その親友の、あの死に様――。
気が狂いそうになるほどのショックを受けたに違いない。
一颯は、立つどころか動くことも出来ずに苦しんでいる。
「佳菜恵ちゃん、いま三島さんを動かすのはムリだよ!」
そう言って、武瑠はズボンからくしゃくしゃのハンカチを取り出す。
「貴音、これ使えッ!」
投げられたハンカチを受け取った貴音は、その意図を理解した。
過呼吸を抑えるため一颯の口にあてる。
ビニール袋でもあればよかったのだが、ないものは仕方がない。
「少しでも落ち着いたら、三島さんを抱えて逃げるんだッ!」
武瑠は、こちらへ向いた『大形』から三人を守るように前へ出た。
「タケは? タケはどうするつもりなの!」
「俺は……」
武瑠は心配声の貴音に振り返らず、
「俺は、お前たちが逃げる時間を稼いでみせるッ!」
棒を構えて『大形』を見据える。
「それなら私も手伝うッ!」
ハンカチを一颯の手に握らせて、貴音も立ち上がる。
「な、なに言ってんだ! 貴音がいなかったら三島さんはどうするんだよ!?」
「佳菜恵ちゃんがいるから大丈夫だよっ!」
動揺を隠せない武瑠に、貴音は真剣な眼差しを向けた。
「無茶言うなッ! アイツは別格なんだ! 『ヒト型』のバケモノが、『コウモリ顔』のバケモノを共喰いして、デカくなったバケモノなんだぞ!」
「だったらなおさらじゃない、一人より二人だよッ! 私のこと戦力になるって言ったのタケなんだからねッ!」
貴音は一歩も引かない。
「か、佳菜恵ちゃん。なんとか言ってやってよっ!」
困った武瑠は佳菜恵へ視線を送る。
「あ、アレが……共喰いしたの?」
驚愕の顔で返してくる佳菜恵に、武瑠は天を仰いだ。
「そ、そうじゃなくて! 三島さんを連れて逃げるには、貴音もいた方がいいよな!? な!」
「え? え、ええ……それは、佐藤さんもいてくれた方が心強い……」
どことなく上の空な佳菜恵だが、気にする余裕は武瑠にはない。
「だろ! ということだから、貴音たちはさっさと逃げてくれ!」
「タケだけ危ない目に合わせるなんてもう嫌ッ! 絶対に離れてあげないんだからッ!」
「足手まといだッ! 貴音の面倒をみる余裕なんてないんだよッ!」
武瑠は心を鬼にして怒鳴る。
こんなキツイ言い方はしたくなかったが、貴音まで危険な目に合わせたくはないのだ。
いつもならシュンとしてしまう貴音だが、今回は違った。
「面倒をみてほしいなんて言わないよ! 私だって……あ」
何かを思い出し、
「私だって自分の面倒くらいは見れるもんっ! タケの援護だって出来るんだからねッ!」
リュックサックのように背負っていた手提げバッグの中から、ピストル型の照明弾を取り出した。
由芽に持たせたのと同じものだ。
救命ボートにあったのを拝借してきたのだろう。
「そんなの持ってるなら、なんで使わないんだよ!?」
「怖すぎて持ってるのを忘れてたのよッ!」
「威張って言うなッ!」
「威張ってないもんッ!」
話しの方向性がズレた怒鳴り合いのなか、貴音が目を見張る。
「タケっ、アイツが動いたよッ!」
武瑠が振り向くと『大形』が走り始めたところだった。
――――直登の方へと。
気を失っている和幸の傍にいた直登。『大形』の接近に気付いて包丁を構えた。
しかし、胸の傷の痛みで膝をついてしまう。
「な、なんなんだよアイツは!? 動くなら俺の方へ来いよ! 貴音、それ貸せッ!」
武瑠は、貴音の手から照明弾のピストルを奪い取る。
「タケっ 二発しか入ってないからよく狙ってねっ!」
「わかってるっ!……くそッ、角度が悪いッ!」
狙いをつけたが、バケモノへの射線後に直登たちがいる。
武瑠は、外しても直登たちへ被害が出ない角度へと向かう。
そのとき、
「あれは、七瀬さんっ!?」
桃香が『大形』に向かって走って行くのを見た。
『大形』と直登たちの線上に入り、桃香は両手を広げた。
「直登くんのところには行かせないんだからッ!」
迫り来る『大形』のバケモノを睨みつける。
「無茶だ七瀬さんッ!」
なんとかしたい気持ちはわかるが、桃香では時間稼ぎにもならないだろう。
『大形』と桃香の距離が近い。武瑠はよく狙いを定め――引き金を引いた。
白い煙の尾を引いて発射された照明弾は――――当たらなかった。
しかし、『大形』の前に着弾して激しい光を放つ。
「きゃあああッ!」
その光は桃香の目を眩ませた。
『大形』も目が眩んだのだろうが、動きを止めたのは一瞬だった。
顔を振って、再び桃香へと走り出す。
「マズいッ!」
もう一度ピストルを構える武瑠。だが、『大形』はすでに桃香の目の前にいた。
「七瀬さん逃げろッ、逃げてくれぇぇぇッ!」
武瑠が叫ぶ――。
目を擦った桃香の顔前に、そびえ立つようなバケモノの巨体があった。
間近で見るその醜い顔に衝撃を受ける。
「あー―あ、あ……」
まともに声も出せず膝が折れた。
尻餅をつくと余計に大きく見えてしまう。
桃香は自分の頬を叩いた。
恐怖に負けてしまいそうな自分に喝を入れたのだ。
「あんたなんか……あんたなんか怖くないッ!」
ポケットから石を取り出して投げつける。
――草むらでの由芽との打ち合わせ。
桃香は周りを警戒しながらみんなに逃げる方向を指示する役目だった。
だが直登が傷つき倒れた時、いてもたってもいられずに走り出していた。
好きな人を守りたい
直登に恋している桃香にとって、何よりも優先するべき存在が彼だった――。
『大形』の体に当たった石は跳ね返り、むなしく転がる。
それでも桃香は石を投げ続けた。
「どっかに行きなさいよッ。直登くんは、直登くんは私が守るんだからッ!」
桃香の気迫は凄い。
だがバケモノを怯ませることも、ダメージを与えることも出来ていないようだ。
不思議なのは、バケモノはどれだけ石を投げられても何もせずに桃香を見下ろしていることだ。
『大形』は、なにか疑問があるかのように首を傾げた。
そして膝をつき、投げる石がなくなってしまった桃香へ顔を近づける。
「来ないでよッ、どっかに行けって言ってるでしょッ!」
桃香は、勇敢にも手で『大形』を叩く。
いくら叩かれても意に介さず、『大形』は鼻を鳴らして桃香の全身の匂いを嗅いだ。
そして、急に立ち上がると――
#$%&%$”$%ッ!
ガラスを引っ掻いたような、耳障りな声で天に吠えた。
その声に、皆本と由芽を襲っていた『ヒト型』と『コウモリ顔』が反応した。
桃香から離れ、何処かへ去って行く『大形』の後を、二匹の『ヒト型』と片腕を失くした『コウモリ顔』が追って行った。
なにが起きたのかわからない桃香は、ただただ呆然としている。
「七瀬さん大丈夫か!? ケガは、ケガはない!?」
武瑠は、桃香へと駆け寄り肩を揺らす。
「あ。う、うん、大丈夫だよ。ありがとう神楽くん」
震えてはいるが、大きな怪我がない様子にひとまず安堵する。
「今のはいったい……。なにがあったの?」
武瑠の問いに桃香は首を振る。
「わからない。わたし必死で……直登くんを助けなきゃって、それだけだったから……」
あの『大形』の不可思議な行動はなんだったのか?
桃香は殺されていてもおかしくはなかった――が、そもそもバケモノが何を考えているのかなんてわかるはずもない。
武瑠は、桃香が無事だったことを喜ぶことにした。
「桃香ぁぁぁっ!」
走ってきた由芽が桃香に抱きついた。
そして全身を触り、怪我はないかと確認する。
「大丈夫だってば。ちょっと由芽、どこ触ってるの。もうやめてよ、くすぐったいよ……」
桃香は、真剣に心配してくれる由芽に微笑みかける。
安心した由芽はへたり込んで泣き出してしまった。
「心配させてごめんね。由芽も無事で良かった」
桃香も涙目になり、由芽の頭を優しく撫でた。
そんなふたりの友情を感動しながら見ていた武瑠だったが、
「――あ」
そこで桃香のシャツが破れていることに気がつく。
破れている胸元から、下着と膨らみが目に入り慌てて視線を逸らす。だが、
「ちょっとタケ、そんなやらしい目でどこ見てるワケぇ?」
後ろからの怒気をはらんだ声に身を固くする。
ギギギと振り向いた武瑠。
そこにはうつむく一颯と、彼女を支える佳菜恵。
そして、怒った目をしている貴音がいた。
「お、お前ら貴音いつのまに……って、違うぞ! いまのは違うッ、たまたま目に入っただけで……」
武瑠は顔を赤くしながら慌てて横に手を振るが、
「……最っ低ね」
貴音の低い声と呆れた視線に貫かれ、その場で凍りついてしまった。
「お~い神楽、こっちに手を貸してくれ~。俺一人でふたりは無理~!」
直登と和幸の傍にいる皆本が武瑠を呼ぶ。
「高内が気絶してるからさ~、神楽が運んでくれよ~」
そう言って、皆本は直登をおぶって歩き出した。
小屋でケガ人の手当てをしようというのだろう。
「お、おう、任せろ! みんな、ケガ人の手当てもしなきゃいけないし、とりあえずあの小屋へ行こう!」
貴音の痛い視線から逃げるように、武瑠は和幸へと走り出した。
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