四十三話 執念
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『コウモリ顔』のトニトゥルスしか知らなかった。
アレも『トニトゥルス』なの? と貴音がそう思ったのはほんの一瞬。
二本足で迫ってくる『大形』のバケモノ。
ギラつく赤い眼と寒気が走るその雰囲気は、とても〝友好的〟には見えない。
「弱そうなところから狙ってきたわけぇ!? わたしが弱いと思ったのなら、それは大間違いなんだからッ!」
貴音は後退しながら石を投げ続ける。
利子は手の痛みに耐えながら必死に走り、佳菜恵は一颯を支えて走るので精一杯だ。
全速でこちらに向かってくる武瑠の姿。
貴音は、せめて武瑠が来るまでは自分がみんなを守らなければと奮闘していた。
もうっ、ほんとに私が一番の〝戦力〟になっちゃったじゃない!
船での武瑠との会話を思い出していた。
「隠れていれば大丈夫だと思いたいけど、もしもの時は一番の戦力になるっていうのは間違いない……かな?」
「戦力って……ふつう女の子にそんな言い方するぅ?」
頼られているのは嬉しかったが〝戦力〟なんて酷過ぎる。
もしもの時は俺が守ってやるよ!
好きな人には、これくらいのことは言ってもらいたかったのだ。
『大形』のトニトゥルスは、顔に当たりそうな石だけを弾きながら距離を縮めてくる。
タケに言われた通り、わたし頑張ってるよっ!
だから、あとでちゃんと褒めてよねっ!
『大形』が顔に当たりそうな石を弾いた時、迫ってくるそのスピードが僅かに落ちる。
そのたびに、武瑠がトニトゥルスとの差を詰めてきていた。
手持ちの石は残りわずかだが、手を休ませるわけにはいかない。
突然、一颯の隣りを走っていた利子が、
「もう嫌ッ! なんであんなバケモノに狙われなくちゃいけないのよッ!」
泣き叫びながら横に逸れて行く。
「ダメ利子っ、戻ってッ!」
一颯は手を伸ばしたが間に合わなかった。
恐怖で錯乱しているのだろうが、利子の行動は迂闊すぎた。
トニトゥルスが弱い所から狙ってきているのは間違いない。なのに、群れから離れてしまったシマウマのような単独行動。
肉食獣であるトニトゥルスは――当然のように『シマウマ』へと進路を変えた。
ぽっちゃり体系の利子は足が遅い。
加えて、手の指を失った痛みでさらに走るスピードは落ちている。
貴音の投石のような邪魔もない。
利子が後ろを振り返った時――――目の前で『大形』が爪を振り上げていた。
振り下ろされた爪が利子の右肩を貫く。
「あ゛あ゛あ゛ぁぁぁッ!」
あまりの激痛に、利子は絶叫を上げた。
「利子ぉぉぉっ!」
動かない足を引きずって駆け寄ろうとする一颯を、佳菜恵が押し止めた。
「三島さん、もう九条さんを助けることは出来ないわ! 今は逃げることだけを考えなさいッ!」
佳菜恵は涙を浮かべている。
現状を考えればその言葉は正しいのだろう。
向こうに行っても助けられるわけでもない
犠牲者が一人増える……ただそれだけなのだ。
頭では解っていても、心がそれを拒否する。
傷つき死にかけている友人を、見捨てる事なんてしたくなかった。
「どいてください先生ッ! 利子が、利子を助けなきゃ……!」
押し返そうとするその手を誰かが止めた。
振り向いた一颯の頬に痛みが走る。
「た、貴音……?」
顔を上げて唖然とする。
貴音は、叩いた手を震わせて涙を流していた。
「一颯のバカッ! あんただけが辛いんじゃなんだよ! 私だって、佳菜恵ちゃんだって辛いんだよッ! 利子のことを無駄にしないためにも、今は逃げなきゃダメなんだからッ!」
そう叫んで一颯の手を引いた。
「無駄ってなに!? 利子はまだ死んでないじゃないッ!」
「知ってるわよそんなことッ!」
抵抗する一颯の手を、貴音さらに強く握った。
そこに佳菜恵も加わり一颯は引きずられていく。
「利子ッ! としこぉぉぉッ……!」
友人を想う一颯の叫び声が虚しく響いた。
「痛い、いたいよぉぉぉ……」
肩に刺さる爪を引き抜こうとする利子。
だが、身体に力が入らない。
「なんで? なんでなの? なんで私ばっかりこんな目に合わなくちゃいけないのよぉぉぉッ!」
涙と鼻水、血しぶきで汚れた顔で『大形』のトニトゥルスを睨む。
「アンタが死ねばいいんだッ! バケモノのくせに、私に触らないでッ!」
肩を貫く腕に噛みついた。
それが――利子の最後の抵抗となった。
『大形』は、爪で貫いた腕に力を込める。
ズブ……グチャ……
肉を引き裂く嫌な音。
右肩から一気に、袈裟斬りのように振り下ろされた爪が利子の身体を上下に切り裂いた。
「――ごぶッ……」
こみ上げてきた血を漏らす利子。
胸から下が地面に倒れたが、利子は『大形』の腕に噛みついたままだ。
理不尽な死をもたらした相手への恨み――執念とでもいうのだろうか。
――例え心臓が止まっても、脳の酸素がなくなるまでの僅かな時間は目も見えているし考えることも出来るらしい。
中世のヨーロッパにはギロチンという処刑方法があった。
大きな刃を落として首を切断するという残酷極まりないものだ。
そうして処刑された者の中には、落ちた首が瞬きをし、何か言いたげに口をパクパク動かしていた者もいたという記録があるそうだ――。
今の利子もそうなのだろう。
死んでもこの腕は離さない!
そう言っているかのような目で、利子は『大形』のトニトゥルスを睨み続けている。
その精一杯の抵抗も、あっけなく終わりを迎えることとなる。
噛みつく利子もろとも、腕を高く上げた『大形』が一気に腕を振り下ろす。
地面に叩きつけられた利子は、無残にもその頭を踏み潰されてしまった。
顔を上げた『大形』が動きの鈍い三人の獲物へと目を向けた時、武瑠がその三人のもとにたどり着いていた。
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