四十一話 桃香の衝動・大風見の最後
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草むらから出た由芽は近づいてきた高崎の腕を掴むと、
「ちょっとあんたッ、自分だけ逃げるなんてどういうつもりよッ!」
怒り任せに彼を責めた。
――皆本が飛び出していった後
バケモノに襲われている仲間たちを見るに見かねて、ふたりは立ち上がった。
由芽は何度も、調子の悪い桃香は残るように言って聞かせたのだが、
「わたしだって、石を投げるくらいのことは出来るよッ! 止めたって行くからねッ、美砂江ちゃんの時みたいに……何もできないのはもう嫌なのッ!」
その強い意志に押し切られてしまった。
けれども、バケモノのなかに連れて行くわけにはいかない。
桃香には、みんなで逃げる経路の見張りをしてもらうということで納得させた。
逃げた先にもバケモノがいれば、挟み撃ちにされるかもしれないからだ――。
由芽は、皆が命を懸けて助け合おうとしているなか、一人で逃げてきた高崎への怒りで頭に血が上っていた。
「は、離してくださいッ!」
振りほどこうとしてくる高崎だが、由芽はその腕を離さない。
「あんた教師でしょ! みんなが必死になって助け合っているのに、恥ずかしいとは思わないのっ!」
「命がかかっているんですよ! 教師だろうが何だろうが、怖いものは怖いですよっ!」
仲間が危なくなれば、危険も顧みず行動に出た武瑠。
皆本や直登もそうだ。
希美も、隠れていた方が安全だったのに武瑠を助けるために誰よりも走った。
美砂江は桃香を助けるために自分を犠牲にした。
桃香も、気落ちしそうになると明るくみんなを励ましてくれた。
なのに、この人は……
さらに由芽の頭に血が上る。
「最っ低ねッ! 怖いのはみんなそうだよっ! でもね、みんな誰かを助けて助けられながらここまで来たんだよ? それは先生だって同じでしょ!」
生徒の相談に乗ったり、笑いあったり……由芽は、高崎を親しみのある〝先生〟だと思っていた分、裏切られたという想いが強かった。
「うるさいッ! きれいごと言ってないで、さっさと離せクソガキがッ!」
高崎が由芽の頬を殴る。
「由芽ッ!」
桃香が、悲鳴を上げて倒れた由芽に駆け寄った。
抱き起したが、由芽は気絶をしてしまっている。切れた口もとが痛々しい。
「先生ッ、なんてことするんですかッ!」
桃香は、高崎へ非難の目を向けた。
「ガキのくせに、偉そうに説教するからだ! 俺だってなあッ、一度はお前らを助けようとして、船まで戻ってやったんだぞッ!」
高崎は、上から桃香を睨みつける。
目を血走らせながら、自分のことを「わたし」ではなく「俺」と言っている。
高崎の豹変ぶりに、桃香は身を震わせた。
「その俺に向かって最低だと? お前らになにがわかるッ! 俺だって、こんなところに来たくて来たわけじゃないッ! 命令だったから仕方なく……ヒッ!」
突然、喚いていた高崎が悲鳴を上げる。
バケモノが現れたのかと、後ろを振り向いた桃香。――そこにはなにもいない。
「お、お前、トニトゥルスに……ッ!」
踵を返した高崎は、一目散に逃げ出した。
「トニトゥルスって……なに?」
思いもしなかった展開に、桃香は呆然と高崎を見送った。
由芽に声をかけようとした時、急に強烈な吐き気に襲われる。
「うッ……」
なにこれ? き、気持ち悪い……
体内から内臓を押し出されているかのような感覚に、思わず膝をつく。
「桃香?」
由芽の声に、桃香は苦痛を堪えて微笑んだ。
美砂江のことで気落ちしている自分を気遣ってくれる由芽に、これ以上の心配をさせたくなかった。
上体を起こした由芽は、切れている唇の血を拭う。
「わ、私、気絶しちゃってた? どのくらい?」
「ほんの30秒くらいかな」
「高崎は?」
「どこかに行っちゃった……」
まだボ~とする頭を、軽く小突いた由芽はゆっくりと立ち上がる。
「自分だけが良ければそれでいいなんて、ほんっとに最低だねアイツはっ! 今までの丁寧口調にすっかり騙されたよ。 あんなヤツを良い人だと思っていた自分に腹が立つわッ!」
まだ走り去る背中が見える高崎に向かって、由芽は届かないまでも石を投げて怒りを示した。
桃香の吐き気は、いつのまにか治まっていた。
一過性のものだったと安心して立ち上がる。そしてお腹を擦っている自分に気付き、慌ててその手を後ろで組んだ。
なんだか、お腹が減ってきちゃった……
この島に来てから五時間以上が経過している。
この『希望の島』の見学が終わってから食べるはずの昼食も食べてない。
なんでだろう?
なぜか、由芽が拭いきれなかった唇の血が気になる。
その鮮やかな色に心がときめいた。
桃香はその傷を「舐めて癒してあげたい」――そんな衝動に駆られていた。
★
大風見と対峙するトニトゥルスが息を荒くする。
共喰いによって変化した『大形』が発光した。
かまわずに間合いへと潜り込む大風見は、振り下ろされた肘を受けたとたんに目も眩む閃光に包まれた。
大風見は、高電圧の攻撃によって全身から湯気を出して黒こげに――なっていなかった。
「残念だったなバケモノッ!」
懐に潜り込んでいた大風見は、光が消えた『大形』の胸へとサバイバルナイフを突き刺す。
しかし、思っていたよりも分厚かった肉厚で、内臓までは届かなかったようだ。
『大形』は叫びながらうずくまるも、大風見へと腕を振った。
「ちぃッ!」
避けきれず両腕でガードする。
その力は凄まじく、巨漢の大風見の足が浮いた。
二メートルほど飛ばされながらも、着地を決めてサバイバルナイフを構え直す。
「まいったね。プロトタイプとはいえ、絶縁体で出来てるこの特殊スーツが溶けちまった。次は無理か……」
電撃を喰らった箇所が、ブスブスと音をたてながら白煙を上げている。
今度喰らえば感電死は免れないだろう。
それでも大風見は楽しそうに笑った。
力ではトニトゥルスが上。
しかし戦況は、体術で上回る大風見が有利に進めていた。
――過去の大風見は傭兵だった。
世界各国で起きている紛争地帯に赴き、傭兵として戦争に参加した。
ほとんどの傭兵は『政府側』と『ゲリラ側』、その戦いにおいてどちらに正義があるのか?
自己的な基準でどちらに味方をするのかを決める。
命をかけて支え合った戦友が、次の戦場では敵となっていることも珍しいことではない。
大風見の基準は――――どちらでもよかった。
戦争の正義には全く興味がない。
戦況の不利有利に関係なく、どちらとでも契約した。
命のやり取りが楽しくて仕方がなかったのだ。
特に興奮するのは接近戦。
しかし、じわじわといたぶるように命を奪う戦い方は傭兵のなかでも批判の対象となり、悪い評判が流れるようになった。
評判の良くない傭兵を雇ってくれる組織などない。
どんなに人手に困っていても、大風見は断られてしまうようになった。
傭兵といえども、戦闘時はチームプレーである。
信用も信頼もできない大風見と組んでくれる仲間はいなかったのだ。
雇い手としても、大風見のような人間を雇ってしまえば他の傭兵が去ってしまう
事になりかねない。それでは戦うことも出来なくなってしまう。
戦場はあるのに戦闘が出来ない――。そんなフラストレーションが溜まる大風見を、ある企業が特殊部隊の隊長として雇い入れた――。
「まさかバケモノ相手に、こんなにも興奮するなんてなッ!」
鋭い爪を紙一重で躱した大風見。サバイバルナイフで、『大形』の足を切り裂いた。
獣の悲鳴が響く。
今度は効いたようだ。
「おらあッ!」
腰が落ちた『大形』の頭を掴み、顔に膝を叩きこむ。
体を発光させる間を与えないように連続して膝を入れながら、初めて大風見は雇い主に心から感謝していた。
毎日のように激しい戦闘訓練を繰り返しているが、心は満たされなかった。
擬似的な戦闘では命のやり取りなど出来なかったのだから……。
今は、まるで『水を得た魚』のように心が満たされていくのを感じる。
「楽しい……楽しいなあバケモノっ! 俺はこれがやりたかったんだッ、最高の気分だッ!」
身を引いて、下から突き上げられる大きな爪を躱す。
大風見は、腰の拳銃に伸びかけた手を戻した。
まともに喰らえば一発で失神してしまうほどの力を、この『大形』のトニトゥルスは持っている。
一つ間違えれば命を失うこの戦闘を、もっと長く楽しみたかった。
戦闘の……いや、殺しのプロとして数多の戦場で力を発揮してきた大風見にはまだ余裕があった。
だが、大風見は自分の力を過信し、この『大形』のトニトゥルスを過小評価している。
だから考えがまわらなかったのだろう。
相手は人間や猛獣などではなく、得体の知れないバケモノだということを忘れていた。
この時、拳銃を手にしていたのなら結果はどうなっていたのだろうか?
なんだあー―?
大風見が違和感に気付いたのは、サバイバルナイフを三度続けて躱された時だった。
拳や蹴りでの打撃はおもしろいようにヒットする。
しかし、繰り出すサバイバルナイフだけはことごとく避けられてしまう。
「やるじゃねえか、バケモノのくせに学習してやがんのか!」
醜い顔を狙って上から振り下ろしたサバイバルナイフを、『大形』は僅かに身を引いて躱した。
大振りした大風見の身体が流れた。
『大形』の眼下に無防備な背中を晒してしまう。
それを見逃してくれるほど、このトニトゥルスは甘くなかった。
シャツがはためく右手の爪が、大風見へと振り下ろされる。
だが、大風見は口もとを弛めた。
「まだまだ甘ぇな……」
その場で素早くしゃがみ込んで爪を躱すと、サバイバルナイフを逆手に持ち替えた。
立ち上がる勢いで懐に入ると、さっきつけた胸の傷をもう一度狙う。
前屈みになっている『大形』にナイフは避けられない。
ズブリと肉を貫く感触が伝わった。
大風見は、さらに体重をかけて奥へと押し込む。
いまの攻防は大風見の狙い通りだった。
わざと隙を見せて攻撃をさせる。
狙いが背中だと判っているから、躱すのは決して難しくはない。
姿勢が低くなった相手への攻撃をする時は体勢が崩れやすくなる。
懐に入るのは簡単だった。
いくら肉厚があっても、一度切られた傷のところは刃が通りやすい。
今度は内臓へ刃が届いたはずだ。
「楽しかったぜバケモノ。だが、経験値が違いすぎたな。力押しだけで倒せるほど、俺は甘くねえ……」
動きを止めた『大形』に、大風見は余裕で言い放つ。――が、その余裕は一変することになった。
大風見が貫いていたのは『大形』の左手だったのだ。
「ば、ばかなッ!」
ここでようやく、大風見は致命的なミスを犯したことに気付く。
力の差は歴然。
大風見が勝てるとしたら、ヒット&アウェイを繰り返すしかなかったのだ。
すぐに間合いを取るべきだったのだが、彼はサバイバルナイフを引き抜こうとしてしまう。
その一瞬の“溜め”
その僅かな隙に、『大形』は大風見の右腕を掴んだ。
「ぐあッ!」
動きを封じられたところへ、さらに太ももを爪で刺されてしまう。
『大形』は、膝が落ちた大風見の頭を両手で掴んで、膝蹴りを叩き込む。
完全に攻守が入れ替わっていた。
二発目の膝で、ガードしていた大風見の左腕の骨が折れた。
こんな、こんなはずはねえ……。
俺は、俺は戦闘のプロフェッショナルだぞッ!
いくらもがいても、頭を掴んでいる手をほどくことができず、意識を失いそうになるのを必死で堪えることしかできない。
この程度の死線なんざ、いくつもくぐり抜けてきてんだよッ!
息の荒い『大形』の膝が下がった瞬間、大風見は右手を腰の拳銃へと伸ばす。
その判断は――――遅すぎた。
突如目の前が真っ白になった大風見。
腰の拳銃に触れる前に、見えない杭で全身を貫かれたような衝撃が走った。
彼の――大風見の思考はそこで止まり、再び動き出すことはなかった。
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読んでくださり ありがとうございました。




