三十一話 美砂江の決断
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「いくよ。――せえ~のッ!」
桃香の掛け声で、美砂江はなんとか瓦礫から這い出ようと全身に力を込めた。
しかし、どうもがいても腰の骨が瓦礫に引っ掛かりびくともしない。
「痛ッ!」
力の入れ方が悪かったのか、美砂江は腰から響いた痛みで顔を歪めた。
「と、豊樹さん大丈夫?」
桃香は慌てて美砂江から手を放した。
「もうッ! なんでこんなにがっちり挟まってるのさッ!」
抜け出せないもどかしさを吐き捨てる。
自分のせいで桃香を危険にさらしてしまっている。美砂江はかなり焦っていた。
桃香が言ったのは希望的観測だ。
バケモノがここに来てしまう確率は高いし、それまでに瓦礫から抜け出ることも現状では難しい。
「と、豊――少し落ち着こう、み、美砂江ちゃん」
「――え?」
意外な言葉が聞こえた気がして、美砂江は動きを止めた。
「少しずつ瓦礫を取り除けば、きっと抜け出せるから」
小さな瓦礫を拾った桃香は、見上げてくる視線と目が合い顔を赤らめた。
「み、美砂江ちゃんって呼んでもいいよね? 私たち友達なんだし……」
耳を疑いながら呆気にとられていた美砂江は、
「い、いいけど――きゅ、急にどうしちゃったのさ……」
空耳ではなかったことを知って顔が熱くなった。
「美砂江ちゃんさ、私のこと『七瀬』じゃなくて『桃香』って呼んでくれてるでしょ? だからね、私も『豊樹さん』じゃなくて『美砂江ちゃん』って呼びたくなっちゃった」
桃香は照れ笑いをうかべる。
顔を赤くして何も言えなくなった美砂江。
そういえばいつのまにか「桃香」って呼んじゃってた……
いつからだっけ?
「七瀬」じゃなくて「桃香」って呼ぶようになったのは……
美砂江は嬉しさを隠せず、口もとをユルめてそんなことを考えていた。
アパートにいた時は、まだ「七瀬」って呼んでいたと思う
連れ去られた桃香を見つけた時は――
「桃香」って呼んでいたような気も……。
しかしそんなことはどうでもよかった。
桃香が自分を名前で呼んでくれる。
本当に友達だと思ってくれていることを実感した美砂江は、それが嬉しくてたまらなかった。
「もうちょっとなんだけど……、コレが邪魔で……」
美砂江は出っ張りのある瓦礫を左右に動かしてずらしていく。
狙うかのような位置で肘の動きを邪魔する瓦礫だった。
「――?」
桃香は、パラパラと落ちてくる砂利が増えたことに気がついた。
頭上の大きな一枚の瓦礫――いや、一枚の大きな壁がバランスを崩し、こちらへ倒れようとしている。
「待って美砂江ちゃんッ それを抜いちゃダメぇッ!」
止めようとした桃香だが、すでに美砂江は瓦礫を抜き取っていた。
「やった! これで手が自由に動かせるっ!」
喜ぶ美砂江の頭上から、大きな影が覆い被さってくる。
「え?――あ、あれ……?」
美砂江の顔から血の気が失せる。
ゆっくりと倒れてくる壁。
「だ、ダメ……倒れちゃダメえぇぇぇッ!」
立ち上がった桃香は壁を支えた。
本来なら人が支えられる重さではない。だが、他の瓦礫が桃香を手伝うように壁を支えてくれている。
しかし、それでも壁は徐々に倒れてくる。
ビキッ
支えるのを手伝ってくれている瓦礫に亀裂が入った。
この瓦礫が壊れた時、壁は一瞬にしてふたりをのみ込んでしまうだろう。
「桃香離れてッ! 今度こそもうダメだよッ あたしのことはいいから、桃香は逃げてッ!」
「もうダメなんて言わないでッ!」
桃香は、見上げてくる美砂江に厳しい視線を送った。
「あきらめないって約束したじゃないッ! 一緒にみんなのところへ帰るって約束したじゃないッ! 生きてこの島を出て、いろんな話をしようって……いろんなところへ遊びに行こうって約束したじゃないッ!」
桃香からこぼれた一粒の涙が、美砂江の頬に落ちた。
「だからがんばってよっ! 美砂江ちゃんがあきらめるって言うんなら、私もここで死んでやるんだからっ!」
桃香の腕に血が流れてきた。
壁の尖った出っ張りが手の平に喰い込んだようだ。
それでも桃香は食いしばって支える。
美砂江を――友達を救いたい一心で。
「も、桃香……」
美砂江もそうなればいいと思っていた。
桃香と一緒なら、きっと楽しい毎日が送れることだろう。しかし――
「で、でも抜けないんだ。身体が抜けないんだよっ! だからお願いッ、お願いだから離れて……離れてよぉぉぉッ!」
もう自分が助かることはないだろう――と、美砂江は覚悟を決めた。
「助けてぇぇぇッ! 誰か 誰かいないのッ!? 私たちはここにいるよっ! お願いだから誰か助けてぇぇぇッ!」
突然、桃香は天に叫んだ。
「桃香っ!? やめてよッ あんた何考えてんのよッ!」
「みんなが……神楽くんたちが、直登くんが近くにいるかもしれないっ! きっと私たちを探してくれているはずだよっ!」
桃香は懸命に助けを呼ぶ。
「やめて桃香! そんなの――だめだよ……」
美砂江は、我を忘れたように叫び続ける桃香のために心を決めた。
武瑠に直登、由芽や皆本。
誰一人仲間を見捨てるような人間ではない。
きっとみんなは自分たちを探してくれている。
それは美砂江も確信していた。
だが、この近くにいるとは限らない。
最悪な事に、この近くにいることが確定なのは――バケモノだった。
そのことを桃香は忘れている。
いま自分が呼んでいるのはバケモノかもしれないのだ。
仮にみんなが近くにいたとしても、ここに駆けつける前に壁がふたりを押し潰してしまうだろう。
桃香は必死になるあまり、冷静な判断が出来なくなっている。
「桃香、ごめんね――」
美砂江の涙声に、桃香が反応した。
「み、美砂江ちゃん?」
「桃香。あたし、桃香と友達になれて……本当に嬉しかった」
「なに言ってるの? そんな言い方――やめてよ……」
唇を震わせる桃香に美砂江は微笑んだ。
「ありがとう桃香。あたしの分も――生き抜くんだよ……」
ドンっ!!
美砂江は桃香を突き飛ばした。
桃香が離れたことで、壁を支えていた瓦礫が一気に壊れた。
後ろへ倒れながらも、桃香は決して届かない手を伸ばす。
暗く重い影が視界を遮っても、美砂江は微笑んでいた。
桃香の目に映る自分が笑っていることで、
「あたしは満足しているよ」
と伝わるように――。
桃香が自分の分まで力強く生きてくれることを願って……。
美砂江は――最後の瞬間まで笑っていた。
◇
――――これは夢か幻。
美砂江が笑顔で思い描いた幸せな一瞬。
「もぉっ、遅いよ美砂江ちゃんっ!」
夕日も落ちかけた放課後
校門を出たところで桃香が美砂江を待っていた。
「ごめんね桃香。 佳菜恵ちゃんが“進路はどうするつもりなの?”ってしつこくってさ」
口を尖らせる桃香に、いつもと同じように両手を合わせる。
美砂江は、この桃香のふくれた顔が大好きだった。
「今日はどこに行く? 悪いことならいろいろ教えてあげるよっ!」
イタズラっぽく笑う美砂江に、桃香は鞄をあててくる。
「悪いことなんてするわけないでしょ! 今日は駅前の〝フクマル〟で、シュークリーム食べるんだもんっ!」
スキップして前へ出る桃香。
「今日も――の間違いなんじゃない?」
美砂江はため息を吐く。
このところ週に4日はシュークリームを食べている。
シュークリームが嫌いというわけではないが、こう毎日のようになってしまうとたまには別のモノも食べたくなってしまう。
「いいのっ。だってシュークリーム大好きなんだもんっ!」
後ろ手に鞄を持ち、桃香は振り返って笑顔を見せた。
この笑顔を見せられると、美砂江は何も言えなくなってしまう。
「またいつものコースだね」
げんなりとした表情の美砂江。
だが内心では嬉しかった。
桃香と楽しい時間を過ごせるならどこの店でも、どんな場所でもよかったのだ。
「知ってた? 今日から季節限定の新作が出るんだって! 早くいかないと売り切れちゃうかもしれないんだからねっ!」
桃香は美砂江の手を引いて走り出す。
「ちょ、ちょっと桃香! そんなにあわてなくても……早い、早いってば!」
いつもの風景にいつもの帰り道。
夕日に照らされるふたりの笑顔が、いつまでも輝いていた。
今のは夢か幻。
彼女にとっては――現実の続き……。
美砂江は、桃香と過ごす幸せな世界へと旅立ったー―。
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