三十話 『友達』
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「――ごほッ……げほッ……た、助かったの?」
砂埃に咽る桃香。
鼻と口を手で覆ってはいるが、舞い上がる細かなダストが隙間から侵入してきたので口の中がジャリジャリする。
唾といっしょに出したいのだが、あいにく口の中はカラカラだった。
コンクリート製ではあるが、50年以上もほったらかしだった建築物の天井は外壁を巻き込んで呆気なく崩れてしまった。
本来ならば倒壊に巻き込まれ生き埋め、もしくは即死でもおかしくはなかった。
だが、大きな瓦礫が重なって出来たポケットのような空間のおかげで、桃香は九死に一生を得ていた。
瓦礫の山に囲まれているため、大きな穴のなかに入っているように見える。
「豊樹さん? ごほッ……豊樹さんどこ!」
桃香は、咳込みながら姿の見えない美砂江を呼ぶ。
――返事はない。
「豊樹さん――豊樹さんっ! どこなのッ! 返事してッ!」
嫌な考えを否定するように、大声で美砂江を探す。
「も、桃香……」
足下から消え入りそうな声がした。
美砂江は瓦礫の隙間に埋もれていた。そのせいで身動きが出来ないでいる。
外壁だったのだろう。頭上には大きな一枚の壁が、フラフラとバランス悪く揺れている。
「豊樹さん大丈夫っ!? いま、今助けるからッ!」
桃香は美砂江を引っ張り出そうとするが、大小幾つもの瓦礫が重なり合っていてビクともしない。
「――ぉ~~~ぃ……。誰か、誰か助けてくれ……」
少し離れた所から情けない声がした。
「いまの声、今河くん?」
「チッ、アイツも生きていたのかい。 悪運の強いヤツだよ……」
心底嫌な顔をする美砂江だが、今河が生きていてくれたことで桃香は光が見えた気がした。
「豊樹さん待っててね。私、今河くんを連れてくる。きっとふたりで引っ張れば……絶対に助けてあげるからねっ!」
「待って桃香、今河なんかに……」
美砂江の制止も聞かず、桃香は瓦礫を登って行ってしまった。
「あいつが協力するとは思えないけどね。それより、今河を自由にするんだ。気をつけなよ桃香……」
美砂江は、桃香がまた危険な目に合うかもしれないことを心配していた。
動けないことが歯痒く、拳を強く握りしめた。
◇
「今河くん大丈夫?いま、たすけてあげる――から……」
今河を見つけた桃香は、背に乗っている瓦礫を動かそうとするのだが、僅かに動くもののどかすことが出来ない。
「桃香……。俺を――たすけてくれるのか?」
驚く今河。
まさか桃香が助けに来てくれるとは思わなかったのだろう。
桃香は錆びた鉄の棒を拾い、瓦礫の隙間に差してテコの原理で持ち上げようと力を込めた。
僅かに開いた隙間から、今河はほふく前進で抜けだす。
それを待っていたかのようなタイミングで鉄の棒はぐにゃりと折れ曲がり、瓦礫の下敷きとなった。
「た、助かったあ~~~!」
安堵の息とともに天を仰ぐ今河。
折れ曲がった鉄の棒を、桃香は何度も動かしてねじ切った。
「今河くんッ、向こうで豊樹さんも瓦礫の下敷きになってるの! お願い、手を貸してッ!」
それを聞いた今河は、あからさまに嫌な顔をする。
「なんだよいきなり、少しくらい休ませろよ……って、おい桃香!」
美砂江を助けることで頭がいっぱいになっている桃香は、強引に今河の手を引いて行く。
◇
「桃香、無事で良かった」
瓦礫を下りて来る桃香の無事な姿に、美砂江は安堵する。
「豊樹さん、今河くんを連れて来たよっ! いま助けてあげるからねっ!」
微笑んだ桃香は、美砂江を閉じ込めている瓦礫を鉄棒でどかし始める。
「今河くんッ、早く下りて来てッ! 豊樹さんを助けるのを手伝ってよ!」
瓦礫の山の上に立つ今河に怒声を浴びせる。
さっきまでの――いや、今までの桃香からは考えられないことだった。
おとなしい優等生。
それが七瀬桃香という女の子だった。今のように、声を張り上げて他人を叱咤する姿など誰も見たことはないだろう。
この極限状況のなか、特に美砂江を助けたいという一心が、桃香を生まれ変わらせようとしているのかもしれない。
なんとか美砂江の上半身を出すことは出来たが、腰を挟み込んでいる瓦礫を動かすことが出来ない。
「なにしてるのよ今河くんッ、はやくこっちに来てってばッ!」
イラ立つ桃香だが、瓦礫の上の今河は遠くを見ている。
「聞いてねえぞ……」
そのつぶやきは桃香の耳には入らなかった。
「今河くんッ!」
もう一度叱責するが、今河は青い顔で桃香を睨み、
「バケモノがこっちに向かって来てるじゃねえかッ! こんなの聞いてねえぞ桃香ッ!」
踵を返しこの場から逃走する。
「待って今河くんッ! 待ってよッ!」
慌てて瓦礫を登った桃香だが、すでに今河は瓦礫の山を駆け下りていた。
「お願いだから戻ってきてッ! 一緒に豊樹さんを助けてよッ! 今河くんッ、今河くんッ!」
「うるせえッ! バケモノが来てんのにそんなことしてられっかよッ!」
今河は振り向きざまにそう叫び、商店街の裏道へと消えて行った。
「ちょっと桃香ッ、なんで戻ってくるのさ! バケモノが来てるんでしょ? あんたもはやく逃げなッ!」
美砂江は、戻ってくるなり小さな瓦礫をどかし始めた桃香を叱責した。
だが桃香は無言で首を振り、美砂江が抜け出す隙間を作ろうと懸命に作業を続ける。
「桃香ッ! あたしの事はいいからはやく逃げてッ!」
美砂江は力ずくで押し返す。
尻餅をついた桃香の指からは血が出ていた。
「桃香、その手……」
よく見れば爪が剥がれ、砂が傷口に入り込んでいる。
相当な痛みに違いない。
だが桃香は、砂まじりの血を流しながらも、美砂江を救うために再び瓦礫の撤去作業に取り掛かる。
「もういい、もういいんだよ桃香。あんたは逃げた方がいい……」
「よくないッ!」
説得しようとする美砂江の言葉を、桃香は声を張って遮った。
「よくないよ。……わたし、豊樹さんを置いていくことなんてできないよ!」
声を震わせ、涙を流している。
「私を探してくれて、今河くんから助けてくれて、ケガまでして……。私のせいでこんなことになったのに、私だけ逃げるなんて出来るわけないよ!」
「桃香……」
美砂江は大粒の涙を流す桃香の手を握り、
「違うよ桃香、あんたのせいなんかじゃないよ。 桃香が……あんたが悪いわけ
じゃないんだよ」
流れる涙を優しく拭った。
「あたしは、桃香が助かってくれることが本当に嬉しいんだよ。だから、桃香には逃げてほしいんだ。生きていてほしいんだよ」
しかしイヤイヤと、桃香は駄々っ子のように首を振る。
「なんでさッ! あっちへ行けって言ってるのがわかんないのかいッ! あんたがいると……桃香が助かってくれないと――。あたしは、安心して死ねないじゃないか……」
いつのまにか、美砂江も涙を流していた。
今河から桃香を救えただけで十分だった。
桃香のおかげで、新しい自分になれるような希望が持てた。
何もかもどうでもよかった自分が、誰かを思いやることが出来ている。
ここで自分が死ぬことになっても桃香は――桃香には生き延びてほしいのだ。
「豊樹さん……」
桃香は美砂江の手を抱きしめた。
「死ぬなんて言わないでよ……。もう誰かが死ぬなんて嫌だよ。私、豊樹さんにも生きててほしいよ。せっかく仲良くなれたのに、いなくなっちゃうなんて……そんなの――嫌だよ」
美砂江も、震える桃香の手を握り返した。
「あたしだって、あたしだって残念なんだよ桃香。せっかくこれから友達になれると思ってたのに……。 桃香と遊びに行ったり、いろんな話が出来ると思っていたのに……」
「できるよ豊樹さん」
「え――?」
顔を上げた美砂江が見たのは、涙を拭った桃香のキラキラした瞳だった。
「帰ったらいろんな所に遊びに行こう、いろんな話しをしようよっ! だって私たち、もう友達でしょ? これから友達になるんじゃないよ、もうとっくに友達なんだもんっ!」
美砂江の瞳から、再び大粒の涙が溢れた。
嬉しすぎて言葉が出てこない。
「今河くんが言った通り、『ヒト型』のバケモノがこっちに向かって来てる。でも、ここに来るとは限らないよ! うまくやり過ごせるかもしれないし、ここに来ちゃったとしても、その前にここから抜け出して逃げちゃえばいいんだよっ! だからあきらめないでっ! 帰ろうよ、ふたりでみんなのところへ帰ろうよっ!」
美砂江は、自分の手を抱きしめてくれる桃香に「うん、うん……」と何度も頷いた。
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