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二十五話  一颯の胸の内・新たなる生存者

 □◆□◆


 ★


 小さな懐中電灯の明かりを頼りに、一颯たちは歩みを進めている。


 隠れていた部屋の床には開き扉が隠れており、階段を下りた先には通路が続いていた。

 暗く狭い、ジメジメとしていてカビ臭い通路。

 天井には等間隔に吊られている電球があり、その幾つかが小さな光を灯しているのだが、安心して歩けるほど足元を照らしてはくれない。


 高崎を先頭に、一颯たちは数歩後ろを無言で歩いている。


 和幸は、高崎の背中に厳しい視線を送っている。

 トニトゥルスを解放したのは高崎では? と言った和幸に、彼は肯定も否定もしなかった。



 和幸の親、こうないまさたかは世界有数の大企業の社長兼、高内財閥の会長をしている。突拍子もない発想と、豪快かつ強引な手腕と行動力は業界では有名らしい。

 詳細は知らないが、そんな彼がここ何年かで新しいプロジェクトを立ち上げようとしているらしい。


 和幸が感じた違和感とは、將貴の懐刀とでもいうべき「手荒な連中」と同じ雰囲気を、高崎も持っていたことだった。


  「あなただけは脱出しなければいけないんですッ!」


 そう言われた和幸は、高崎が父の関係者でこの事件の発端者なのだと疑った。

 それは的中だったらしい。


  いったい何を考えているんだあの人はッ!


 トニトゥルスをどう扱うつもりなのかは解らないが、母や自分を蔑ろにするような人間なのだからろくなことは考えていないだろう。と、和幸は奥歯を噛みしめた。



 一颯は、高崎の背中を睨む貴音を横目に複雑な顔で歩いている。


 反応を見た限り、高崎がトニトゥルスを解き放ってしまったのはあきらかだ。

 こんなことになるとは思わなかったのだとしても、この状況を作ったことに変わりはない。

 親友だった篠峯聡美の死も、高崎が招いたようなものだ。

 それを知ってしまった以上、もう高崎を『先生』と呼ぶことはできない。

 しかし、高崎は本当に一颯たちを……特に和幸を救いたいと思っているようだ。今も先頭を歩き、特殊部隊との合流地点に向かっている。

 自分勝手な人間だったなら、船などには戻らずに一人で逃げているだろう。

 だからといって高崎を許せはしないし、不信感も拭えるわけでもない。


 武瑠と直登を探しに行きたかったのだが、それは和幸に止められていた。

 ふたりが島のどこにいるのかわからない以上、あてもなく探し回るのは危険すぎると諭されたのだ。




「安全を確認するので少し寄り道をします。離れないようについて来て下さい」


 高崎も自分が不信の目で見られていることは十分に感じているのだろう。だからなのか、丁寧な物言いに遠慮がちな声が加わっていた。


「離れるなって言われても、ほとんど見えないんだから明かりを持っている人について行くしかないじゃない……」


 不機嫌な貴音の小さなつぶやき。

 しかし、その小声はこの狭い地下通路に反響し、十分皆の耳に届いていた。



 貴音は、高崎が黙ってしまった後もムキになって質問を浴びせかけていた。しかし肝心なことは何一つ答えようとしない彼に怒りが爆発した。

 篠峯聡美が死んだのも、武瑠や直登が危険な目に遭っているのも全部お前のせいだと泣きながら罵った。

 好きな人が今この瞬間にも死にかけているかもしれない。そう思うと居ても立っても居られないのだろう。

 貴音が武瑠に恋心を抱いているのは周知の事実で、全く気付いていないのはとうの武瑠くらいである。



「貴音……」


 一颯は落ち着かせるように、固く握られている貴音の手にそっと触れた。

 強気に振舞っている貴音だが、やはり不安で心細いのだろう。ギュッと握り返してきた手は震えている。

 一颯には彼女の気持ちがよくわかる――。


  無事だよね直登。

  生きてるよね、武瑠くん……


 彼女も直登を、そして武瑠のことを心から心配し、無事を願っているのだから。



 一颯にとって直登は、子供のころからお互いをよく知る幼なじみである。

 思い出を語れば一日二日では足りないくらい一緒にいるのがあたりまえで、まるで兄妹のような時間を過ごしてきた。

 そのせいなのか、直登を異性として意識することはなかった。それは直登も同じだったようで、かなり前に恋愛相談をされたことがある。

 貴音の気を引くにはどうしたらいいのかというものだった。

 同じバスケットボール部に所属し、マネージャーとしてみんなを支えるその姿に惹かれていったのだという。

 貴音を親友に持つ一颯としては「良い相手を好きになった」と誉めてあげた。がらにもなく恥ずかしそうにして目も合わさず、顔を赤くしていた直登を思い出すと今でも笑いがこみ上げてくる。

 当時の貴音はまだ武瑠への恋心はなく、友人の一人という程度だった。

 普段は行動派の直登も恋愛事には疎いようで、


 何も言えない 誘えない


 なにも行動できずに時間だけが過ぎていくうちに――貴音は武瑠に恋をしていた。

 それを知った時の直登の沈んだ顔……。自業自得だと言ったら本気で怒られてしまった。

 そんな一颯も、本当は直登にどうこうとは言える立場ではなかった。

 武瑠に恋心を抱きながらも、「何も言えない 行動できない」のは同じだったのだから。


 一颯は直登や貴音とのつながりで、武瑠とも話をしたりすることが多かった。

 いつ好きになったのかは覚えていない。


 恋とはするものではなく〝している〟もの。


 武瑠の優しさと誠実さにふれるうちにいつにまにか惹かれていき、それが『恋』だと気づいてしまった。

 でも、この想いは誰にも言ってない。

 いや、言えないと言った方が正しかった。

 貴音の想いは以前から知っている。武瑠がどれだけ鈍感なのかという愚痴を聞いてあげたこともある。

 親友と同じ人を好きになってしまったという負い目はあったが、それでも……好きになってしまったのだ。




 暗い通路をゆっくりと進んでいた高崎は、開きっぱなしになっている部屋の前で止まった。

 懐中電灯で室内の様子を窺う――。

 そして、小さく安堵の息を吐くと、室内に入って行った。後に一颯たちも入室する。


「な、なんなのよ――ここ……?」


 想像すらしなかった室内に貴音が驚く。


「警備室?……というより、監視室みたいな部屋ね」


 一颯も驚きながら室内を見回した。

 部屋には多くのモニター画面があり、高崎はじっくりとその一つ一つを確認している。映っていないものもあるが、その画面には通路や他の部屋の様子が映し出されていた。

 どの画面にも動くモノはなく、縦に流れるノイズがなければ絵と変わりない。


 ホッと息を吐いた高崎が振り向いた。


「やはりアレは全て外に出たようです。少し遠いですが、このまま奥の出入り口まで行きましょう。そこで部隊と合流すれば、わたしたちは助かりますよ」


 声は押さえているようだが表情は弾んでいる。


「高崎さん、ちょっと待ってくださいッ!」


 和幸は、皆を促し足早に部屋を立ち去ろうとする高崎を呼び止めた。


「助かる道が見えたのなら神楽くんたちにも、まだ生きて隠れているみんなにも教えてあげないと」


 高崎は眉間にシワを寄せる。


「しかし、そのふたりや他の皆さんが生きてるという保証はありませんし、連絡のつけようもありません。下手に動けば我々の命も危ないのですよ?」


「なに言ってるのよッ、タケと直登が死ぬわけないじゃないッ! あんた、自分が助かりたいだけでしょッ!」


 貴音は顔を真っ赤にしながら叫ぶが、高崎は冷静にそれを受け止めていた。


「助かりたいですよ。わたしは死にたくはありません。あなたは、佐藤さんは違うのですか? あなたも自分が助かりたいからこそ、あの船を動かそうとしたのでしょう?」


 何か言おうとした貴音より速く、一颯が口を開いていた。


「それは説明したはずです! 助けを呼んできた方が助かる人が多いと思ったって、そう説明したじゃないですか!」


 和幸も続く。


「僕たちは、自分だけが助かる為に脱出しようとしたわけじゃないんだッ!」


 だが高崎は首を振り、厳しい目で皆を見据えた。


「今の皆さんは、動かせるかどうかわからない船に隠れていた時とは違います。特殊部隊が来てくれる場所へ行けば確実に助かるのですよ? それが皆さんの目的のはずでしょう?」


「でも、神楽くんと相模くんは僕らが船で待っていると信じて出て行ったんだ。そんな彼らを置いていくなんて出来っこないよッ!」


 力が入る和幸に高崎は目を細めた。


「それは、神楽くんと相模くんは助けたいけど他の皆さんはどうでもいい。そう言っているように聞こえますよ?」


「そんなこと言ってないじゃないッ!私たちは……」


「あなたたちはッ!」


 口を挟んできた貴音を、高崎は大きな声で遮った。そして、初めて聞いた怒声に身を固くした三人に気付き、胸に手をあて自分を落ち着かせるように深呼吸した。


「あなたたちは、一度は他のクラスメイトを置いていこうとしたのです。なのに神楽くんと相模くんの事になると途端に意見を変えてしまう……。わたしだってまだ生きているかもしれない人達にも助かってほしいとは思っています。しかし、今は自分の命を第一に考えなければいけないのではないですか?」


 ずれたメガネを直すその仕草は、剥がれかけた仮面を着け直しているように見えた。


「それでも出来ることはすべきだと思うわ……」


 後ろからの声。

 その声は和幸や貴音、もちろん一颯のものでもなかった。


 ビクッとして振り向いた四人の前に立つ人影。


「わ、若狭――先生?」


 目を見開いた高崎がつぶやく。

 佳菜恵を目にした一颯たちは、嬉しさのあまり言葉が出てこない。


「和幸。生きていてくれて……。本当に良かった」


 涙声で一歩踏み出した佳菜恵の手を、和幸は前のめりになって握った。


「姉ちゃん……佳菜恵姉ちゃん! 本当に佳菜恵姉ちゃんなんだよね!」


 佳菜恵は涙をためて何度も頷き、強く和幸を抱きしめた。


「佳菜恵ちゃん!」


「若狭先生!」


 貴音と一颯も駆け寄った。


「佐藤さんに三島さん、ふたりも無事で良かった。あなたたちが和幸の助けになってくれてたのね。本当に、本当にありがとう……」


 深々と頭を下げる佳菜恵。


「そんなこと……。助けられたのは私たちも同じですから」


「高内ったらドライバーなんかでバケモノに立ち向かったんだよ。でも、そのおかげで逃げることができたんだけどね」


 涙を拭いながら微笑む一颯と貴音に、佳菜恵も嬉しそうに微笑み返した。


「あなたたちも大変だったのね……。私も、九条さんと一緒になんとかここまで逃げてきたのよ」


 その言葉に貴音、和幸、そして一颯の目が輝いた。


「利子!? 若狭先生、利子が生きてるんですかっ!?」


 その答えは佳菜恵の後ろからきた。


「冷たいなあ一颯。親友なのに、私が死んだと思ってたわけぇ?」


 入り口のドアにもたれて九条利子が立っていた。


「利子っ、としこぉぉぉ……」


「三島さんちょっと待って!」


 佳菜恵の制止も耳に届かず、一颯は泣きながら利子に抱きついた。

 いつもならそのぽっちゃりとした身体で一颯を受けとめていただろう。しかし、今の利子にそれは出来なかった。


「ぃッ!」


 苦悶の顔でその場にしゃがみ込む。

 包帯代わりに右手に巻かれているタオルが、赤く血に染まっていた。


「利子? ごめんッ、大丈夫利子!」


 心配する一颯に大丈夫と返す利子だが、その顔は薄暗い明かりの中でもわかるくらいに油汗が浮かび血の気が失せている。無理をしているのはあきらかだった。


 一颯と貴音で、倒れかけた利子を支える。


「利子、直登があんたのバッグ見つけてきたんだよ。いっぱい血が付いててさ、生きててくれてほんとに良かった」


 利子は、涙を拭いもせずに支えてくれる貴音に微笑んだ。


「一颯、貴音、それに高内や高崎先生も。また会えて嬉しい……」


 高崎に「先生」をつけたことに、一颯たちは一瞬眉をしかめたが今は何も言わないことにした。


 一颯は自分のバッグから真空パックされている包帯を取り出す。

 病院で武瑠たちが見つけてきたものをいくつか貰っていたのだ。清潔を保つための真空パックと日光が当たらない部屋にあったのが幸いだったのだろう。

 50年も前の包帯だというのに保存状態は極めて良かった。


「利子傷を見せて、包帯を取り替えよう!」


 一体どんなケガをしたのか? 右手をぐるぐる巻きにしているタオルは、元の色がわからないくらいに血で染まっている。

 雑菌が入って傷口が化膿してしまえば大変にことになってしまうだろう。


 心配する一颯に、利子は申し訳なさそうに首を振った。


「このままでいい」


 右手を隠すようにしながらうつむいた。


「ダメだよ利子、そのタオルは交換しないと……」


「そうだよ利子っ、傷口からバイキンが入っちゃうよ?」


 一颯に続いて貴音も説得するが、それでも利子は首を振る。


「三島さん、佐藤さん。心配はもっともだけど、今は九条さんの好きにさせてあげてほしいの……。大丈夫っ! もう血は止まっているから!」


 明るく取り繕う佳菜恵だが、その笑顔はぎこちない。


「でも……」


 一颯の声がトーンダウンした。


 なにがあったというのだろうか? 佳菜恵だって包帯を交換した方が良いと思っているに違いないのだ。


  それなのに利子のすきにさせてほしいなんて……


 一颯は包帯を握ったまま立ちつくす。


「ごめんね一颯。貴音も……」


 利子がうつむいたまま謝った。


 九条利子は明るい性格だ。

 体型のことでからかわれたり、深刻な悩みがあっても、それを表に出すタイプではない。少なくとも、こんなにも暗い表情は見たことがなかった。


「――指がね、」


 利子は肩を震わせながら言葉を続ける。


「指がなくなっちゃったの。親指以外、全部……バケモノに――食べられちゃったの……」


「……九条さん」


 もう何も言わなくていい。そんな思いのこもった佳菜恵の声。


「今はまだ傷口を見たくないの。だから、だから……」


 一颯は、言葉を詰まらせながら右手を抱える利子を優しく抱きしめた。


「もういい、もういいよ利子! ごめんね、つらい話させちゃってごめんね!」


 その優しい温もりに、利子の我慢していた緊張が解けた。


「一颯……。かずさああああっ!」


 抱き合う一颯と利子。そこに貴音も加わって泣いた。



 この数時間で多くのクラスメイトが――友人たちが死んだ。理不尽な死を迎えてしまった友人たちに、なにもしてあげられなかった不甲斐無さ。


 心や身体への苦痛、バケモノへの憤り――そんな言葉にならない感情を、三人は涙で表現しているかのようだ。





「高崎くん」


「は、はいッ!」


 佳菜恵に声をかけられた高崎は身を固くした。


「高崎くんが和幸たちに付いててくれてたのね。ありがとう」


「い、いえ……わたしは別に――なにも……」


 高崎は深々と頭を下げる佳菜恵から一歩下がった。

 顔は青く唇は震え、まるで怯えているかのようだ。


 『トニトゥルスを解き放ってしまったのが自分だと知られてしまったら……』


 そんなことを考えているのだろう。


「姉ちゃん。佳菜恵姉ちゃんたちは今までどうしてたの?」


 頭を上げる佳菜恵の肩に触れた和幸。


「私は港でバケモノに襲われて、逃げている時に九条さんを見つけたの。ふたりでどこをどう逃げてきたのかはわからないけど、隠れる場所を探していたらこの地下道を見つけたの。進んだ先が行き止まりだったら困るから、しばらくじっとしていたんだけど……。話し声が聞こえてきたから来てみたのよ」


「そうだったんだ……、じゃあ僕たちと入れ違いだったんだね。僕らも港へ行ったんだ。神楽くんと相模くんが出かけているあいだ、船に隠れていたんだけどアレに襲われて……逃げてるうちにここに来てたんだ」


「出かけてる? 神楽くんたちは一緒じゃないの?」


 佳菜恵が不思議そうに首を傾げた。


「ああ。ちゃんと説明するね……」


 和幸の声が落ちた。つらい記憶だが説明しなければならない。

 病院での出来事に始まってから今に至るまでを佳菜恵に聞かせた。


 □◆□◆

読んでくださり ありがとうございました。

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