二十四話 バケモノの変異。 犠牲者はー--矢城希美
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◇
「そうよ由芽。 ゆっくりでいいからね……」
雨どいを抱くように掴んで下りている由芽に桃香は下からエールを送る。
「ゆっくりでいいわけねえだろ。さっさと下りろってんだ」
「今河、余計な事言ってないでちゃんと見張れよ」
小声で毒づく今河を、直登が睨む。
今河は何か言いたげな顔をしたが、隣りにいる皆本を意識したのか、黙って辺りの見張りをする。
直登・皆本・今河・桃香に美砂江はすでに下りている。あとは下り始めたばかりの由芽、それを窓から見守る武瑠と希美だけとなっていた。
「ごめんね神楽くん……」
突然の希美の謝罪。
「え、なにが?」
武瑠には謝られるようなことをされた覚えはなかった。
「私のせいで危ない目に合わせちゃって。それに、みんなにも……」
希美は泣きそうな顔で唇を噛んでいる。
「もしかして、それを言うために残ったの?」
武瑠の問いに希美は小さく頷いた。
桃香が、大変な目にあってきた希美に先を譲ろうとしたのだが、希美はそれを断っていた。
「そんなこと気にしなくてもいいって」
「で、でも私、足手まといになんじゃ……」
「あ、足手まといぃ~? 全然そんなことないよ。矢城さんがみんなを連れてきてくれなかったら俺はとっくに死んでたんだから。俺はむしろ感謝してるくらいだよ」
本音だったのだが、それでも希美の表情は曇ったままだ。
「け、けど今河くんが……」
言いにくそうに視線を逸らす。
「いまがわ? またアイツか~……」
駐車場で見張りをしていた時に何か言われたのだろう。
大体の察しはつく。希美の足がもっと速ければ武瑠は囮にならずに済んだ。自分たちまで巻き込まれることはなかったのだ――そんなことを言われたのかもしれない。
「あいつの言う事なんて気にすることないよ。俺たち仲間なんだからさ、助け合うのは当然だろ? お互いかたいこと言いっこなしだって、なっ!」
微笑む武瑠に、希美は涙を拭いながら頷いた。
そういえば皆本に同じこと言われたな……
武瑠は、皆本も同じ想いだったのだろうと心で苦笑いした。
◇
由芽は半分以上下りている。
高さへの恐怖や女子の筋力を考えても早い方だろう。
「ねえ神楽くん、知ってた?」
由芽を見守っている武瑠に希美が話しかけてきた。
「なにを?」
「神楽くんってね、けっこうモテるんだよ」
キョトンとする武瑠に、希美は恥ずかしそうにしながら笑顔を見せた。
「え、え?……え? ええぇぇぇ~ッ!?」
突拍子もない話題に、思考が数秒止まった。
「ウソじゃないよ、ウチのクラスでも神楽くんって人気あるんだから!」
「そ、そうなの?……じゃなくて! その話、今じゃないとダメかなぁ~……」
武瑠は照れ隠しに頬を掻きながら後ろを見た。
バケモノがベンチや机のバリケードを壊そうとする音が響いている。それに、これから2人で雨どいを下りていくわけだがそれも安全とはいえない。
悪い気はしないけど……
顔を赤くする武瑠の反応を見て、希美は楽しそうに笑った。
「そうかもね。でもバケモノが来ちゃったら守ってくれるんでしょ?」
「そんなのあたりまえさ。ちゃんと守ってやるから安心しな!」
武瑠が親指を立てると、希美は嬉しそうに笑った。
だが急にそわそわし、落ち着かない様子で指をモジモジする。
「それにね、今だから――。これからどうなるかわからないからこそ、話しておきたいこともあるんだ……」
頬を赤くしてはにかむ。
その表情は武瑠の胸を打った。命がかかった今の状況とは別の緊張、別の汗が出てくる。
なにを言おうとしているのか……。
少し潤んだ瞳で見上げてくる希美の表情は、まさに恋する乙女のそれであった。
「私ね、ずっと神楽くんに言いたかったことがあって――」
希美は一度うつむいて大きく息を吐いた。
高まる緊張。
もし、武瑠が予想していることを希美が言ってきたとしても想い人がすでにいるのだ。けれど、人生で初めて告白されることになるであろう武瑠は、自分の気持ちをどう伝えれば良いのかわからなかった。
頭が混乱して考えがまとまらない。しかし時間は止まってくれない。
「ねえ神楽くん。そ、その――た、武瑠くんって呼んでもいいかな?」
希美はうつむいたままそう切り出した。
「べ 別に決まった呼ばれ方はないよ。く、クラスメイトなんだからさ、すきに呼べばいいだろ」
武瑠は、声が少し裏返ってしまったのが恥ずかしかった。
「あは。じゃあ、スキに呼ぶね!」
その笑顔がまぶしい。
気合いを入れるかのように小さく息を吐いた希美は、意を決したように頷いた。
極度の緊張に支配されている武瑠。
そして、顔を上げた希美の表情が――激変した。
目を見開き、顔が恐怖で引き攣っている。
その視線は武瑠のずっと後方を見ていた。
慌てて振り向いた武瑠の目に――コウモリ顔のバケモノがフロアの奥、建物が崩れて出来た瓦礫の山から、こちらに向かってヨロヨロと歩みを進めて来る姿が映った。
「さっき落ちたヤツかッ!」
5階から落下したバケモノだった。
「まだ生きてたのかよ!」
唇を噛む武瑠の背中に希美が身を寄せた。
武瑠は窓の外を覗く。
由芽はまだ下りきっていない。
はやく下りるように声をかけたくなる衝動をぐっと堪える。下手に由芽を焦らせて落下させてしまえば大怪我になり走れなくなってしまうだろう。
いま自分たちが下りはじめたとしても、もし滑って落ちてしまえば由芽をも巻き込んで三人揃って大怪我だ。まず逃げきる事は出来ない。
幸いなことにコウモリ顔の足取りは重い。
これなら由芽が下りきってからでも十分間に合う。
「武瑠くんッ、もう一匹来たよっ!」
希美が指差したその先――ヒト型のバケモノが現れた。
鋭い爪にワイシャツがひっかかっている。武瑠が口に棒を突っ込んでやったヒト型だ。
喉の奥に突っ込まれたシャツを取り除いたまではよかったが、爪で貫いたワイシャツが取れなくなってしまったのだろう。
壁の隙間や、崩れたりひび割れた所に爪を入れて、ロッククライミングのように下りてきたのだ。
「ちょっと、何してるのあれ……。い いやぁぁぁぁッ!」
叫んだ希美が武瑠にしがみつく。
走ってきたヒト型は、コウモリ顔に追いつくとその鋭い爪で襲いかかったのだ。
コウモリ顔は抵抗するものの、弱った体では太刀打ちできず、腹を引き裂かれてしまう。
「な、なにやってんだよ、あれ……」
武瑠も我が目を疑った。
ヒト型はコウモリ顔の内臓を喰い始めたのだ。
バケモノの――共喰い?
そう思った瞬間に異変が始まった。
ヒト型の背中、肩、そして体全体が大きく盛り上がったのだ。1メートルくらいの大きさから、一気に武瑠の身長を越えるまでに成長していく。
ガアアアアアアッ!!!
『大形』となったバケモノが、腕を大きく広げて吠える。
体の一部が変異しているようだがじっくり観察している余裕はない。
タイミングよく、外から由芽が下りきったとの声が聞こえた。
「矢城さんゆっくりでいい……。俺が時間を稼ぐから、悪いけどひとりで下りてくれ」
武瑠は『大形』のバケモノへ向けて棒を構えると、希美に先に行くよう促した。
「そんなのダメッ、武瑠くんを置いてなんていけないよッ!」
下にいる皆もこの異常事態を感じ取ったようだ。
自分たちの危険も構わずに、はやく下りてくるよう声を上げている。
武瑠は窓まで希美を押しやった。
「行ってくれ矢城さんッ、俺もすぐに追いつくからッ!」
そう言い残すと、武瑠は『大形』のバケモノへと突進した。
すぐに追いつくなんて嘘だった。
今度こそ、死ぬかもしれないな……
死に対する恐怖がないわけではない。
その瞬間は、「やっぱり自分だけでも逃げれば良かった」と後悔するかもしれない。それでも、仲間を見捨てて逃げる後悔よりはいいと思った。
助けを求めてきた沢部利春を救えなかった。
連れ去られた赤浜佑里恵を見捨ててしまった。
大怪我を負った篠峯聡美に何も出来なかった……。
目の前で誰かが死んでいくのは、もうたくさんだッ!
償いきれない無念を、希美を救うことで晴らそうとしたのかもしれない。
「お前らは……一体何なんだよぉぉぉッ!」
渾身の一撃を叩きこもうと棒を振り下ろしたが、『大形』の動きはそれまでとはまるで別格だった。
半身を引いて棒を躱すと、返す体の勢いで太い腕を振ってくる。
武瑠はなんとか棒で受けたものの、大きく弾き飛ばされ元の場所まで身体を引き摺らせた。
「武瑠くん大丈夫ッ!? しっかりしてッ!」
衝撃で呼吸が出来ない武瑠の身体を、希美は必死になって起こした。
「や――しろ――さん。な、なん――で……」
まだここにいるのかと、呼吸がままならない身体で厳しい視線を送った。
「無理だよ……。なんで武瑠くんを置いて行かなきゃいけないのよ!」
希美は涙を流して叫んだ。
武瑠はヨロヨロと起き上がる。
無理を承知で、希美を背負って雨どいを下りるしかふたりで助かる道はない。
「こっちに来ないでよッ、バカぁぁぁぁぁッ!」
ものすごい速さで突進してくる『大形』へ、希美はいくつもの石を投げ放つ。
しかしそのほとんどは無情にも大きく逸れて当たらない。だが、それが幸運を呼んだ。
上へ逸れた石が天井で跳ね返り『大形』の目に当たったのだ。
まともに顔へ向かっていれば、避けるか弾くかされてしまったのかもしれない。けれども、大きく逸れた石の跳ね返りは完全な死角からの一打になった。
突然目に異物が入ってきた『大形』は驚きで足を止めた。
「武瑠くんっ、今のうちに逃げよう!」
その僅かな時間は、ふたりが窓から身を乗りだす時間を稼いでくれる。
「矢城さんッ、そんなのいいからはやく俺に掴まって!」
雨どいを抱いた武瑠は手を伸ばす。
希美は窓から離れ、落とした武瑠の棒を拾っていた。
「矢城さんはやくッ!」
バケモノは、早くもこちらに迫って来ている。
武瑠は焦った。
自分たちに都合よく考えたとしても、逃れられるかどうかはギリギリの時間だったのだ。
希美が棒を拾いに戻ってしまった今……
ダメだッ、間に合わないッ!
武瑠が戻ろうとした時、希美が叫んだ。
「戻っちゃダメッ、武瑠くんはそのまま逃げてぇぇぇッ!」
棒で突かれた武瑠はバランスを崩し、慌てて雨どいを掴み直した。
ずり落ちる身体に力を込めてなんとか耐える。
窓から身を出した希美は、武瑠の無事を確認すると安心した表情を見せた。
「矢城さん何やってんだよ! こっちに来るんだッ!」
武瑠は手を伸ばすが、希美は顔を振った。
「ダメだよ、このままだとふたりとも死んじゃうもん。わたし、武瑠くんには生きていてほしい!」
「なに言ってんだ、矢城さんだって生きなきゃダメだッ! いいからそこから飛ぶんだ、絶対に俺が受け止めるからッ!」
必死に手を伸ばす武瑠に、希美は寂しそうに笑った。
「私ね、いつも武瑠くんを名前で呼べる一颯や貴音がうらやましかったんだ。だって……」
一瞬の間を取った希美は、今まで見たことのない最高の笑顔を武瑠へ送った。
「だって私、ずっと前から武瑠くんのことが、す――」
言葉は最後まで続かなかった。
バケモノの手の甲から生えている大爪が、希美のノドを貫いたのだ。
武瑠の顔に希美の鮮血が降りかかる。
「――たけ――く――ん……」
崩れゆく希美は、最後の力を振り絞って武瑠の武器である棒を外へ投げた。
「や、矢城さん?……矢城さああああんッ!」
窓から姿を消した希美へ、武瑠は喉を震わせて叫ぶ。
しかし、窓から顔を出したのは『大形』のバケモノだった。
「お、まえ……、お前はぁぁぁぁぁッ!」
武瑠は雨どいをよじ登る。
「殺してやるッ! お前は俺がぶっ殺してやるッ!」
怒りに我を忘れていた。
しかしその姿はあまりにも無防備。手が届く前に、武瑠は『大形』に叩き落されていた。
あるいは、バケモノは武瑠を捕まえようとしたのかもしれない。しかし、手の甲から生えている大爪が頬をかすめて肩に当たっていたのだ。
雨どいから手が離れて落下する武瑠。
なんとか頭から落ちることは免れそうだが、うまく着地出来たとしても足の骨折は確実だろう。
「神楽ッ、下を見ろッ!」
下から皆本の声が飛んできた。
皆本と直登が向かい合い、武瑠を受け止めようと構えている。
「相模、気合い入れろよ~」
「まさに一発勝負だな……」
直登の頬を汗が伝う。
ふたりは、身体を広げてダイバーのような姿勢で落ちてくる武瑠を受け止めることは出来たが――予想以上の衝撃だ。
あまりの重さに腕が折れそうになるが、膝のクッションを使って上手に力を逃がす。それでも三人はおり重なるようにして倒れた。
「ぐががが――い、痛ってぇぇぇぇぇ……」
「相模、元気か~?」
気合いが入りすぎた直登は落ちてくる武瑠のほぼ真下に潜り込んでいた。
そのために、武瑠の体重のほとんどをその身で受けていた。
「な、なんとかな……。それより武瑠は?」
武瑠も無事――とは言い難いが、頬に爪で切られた裂傷があるものの大きな怪我はないようだ。
ただ、落下の際の激痛で身を縮ませている。
「ほんとにうまくいくなんてね~……出来過ぎでしょ~」
皆本はあきれるような声で痛む身体を擦ってはいるが、安堵の表情を浮かべていた。
本来ならば、10メートルくらいの高さから落ちてくる人間などとても受け止められるものではないのだが、武瑠が落下中に雨どいに触れたことで落下速度が急激に落ちたのが大きかった。
それに、なんといっても武瑠たちの日頃の鍛え方がものをいった。
それでも三人とも大怪我をしていないのは奇跡的だ。
「ちょっと3人とも無事なの!? バケモノたちがこっちに来てるのよ、つらいだろうけどがんばってよね!」
駆け寄ってきた由芽が指差した先には、郵便局内から出てきたバケモノたちが迫って来ていた。
その時、突如桃香の叫び声が響く。
「いやッ離してッ、離してよッ!」
「うるせえッ、さっさと来いよ! バケモノが来てんだろうがッ!」
今河が嫌がる桃香を力ずくで連れ去ってしまう。
「桃香ッ? 桃香ぁッ!」
すぐに後を追おうとする由芽だったが、今だ満足に動けない武瑠たちを見て動きを止めた。
親友の桃香のことは心配だ。しかし、いま後を追ってしまえば武瑠たちを見殺しにしてしまう事になってしまう。
感情の板挟みだった。
「物部ッ、七瀬はあたしが必ず連れ戻すから! いまは神楽たちに手を貸してやってッ!」
そう叫んだ美砂江が今河と桃香の後を追った。
「豊樹……。桃香の事は頼んだわよ!」
一瞬この場から逃げるための口実かと思ってしまった由芽だが、美砂江が見せた強い瞳を信じることにした。
「ちょっとあんたたち立てるの!? 無理してでも立ってよね、死にたくないでしょッ!」
叱咤するような口調に、片膝をついている皆本は苦笑いした。
しかし、武瑠の反応がない。気絶をしてしまっているようだ。
「皆本、あんた元気そうだから神楽を背負いなさい! 落っことすんじゃないわよッ!」
由芽はそう言いながら、自分よりも大きな直登を引きずるように運んで行く。
体操競技で鍛えたバランスと、バトミントン部で鍛えた足腰は相当なものだ。
「いざという時の女は強い~……なんて言ってる場合じゃないか。神楽、痛いだろうけど我慢しろよな~!」
バケモノたちはすぐそこまで迫っている。
武瑠を肩に担いだ皆本は、希美が落としてくれた棒を拾い上げて全速力で走り出した。
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読んでくださり ありがとうございました。




