二十二話 武瑠vsトニトゥルスの群れ
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薄暗い駐車場には何台もの自転車の残骸が放置されている。
頑丈だけが取り柄だった赤い自転車も、50年経った今では塗装が僅かに残るのみとなっていた。見覚えのある形の自転車でなければ、ここが郵便局ではなく雑居ビルだと思ったかもしれない。
一時は何千人もの人が住んでいた島だけに郵便局もそれなりだった。
8階建ての郵便局、まだエレベーターがあたりまえではない時代。郵便物は階段で運ぶことになる。当時の局員はさぞ苦労をしたに違いない。
1階は駐車場、そして2階が窓口になっていた。
その2階フロアで、武瑠は机の影に身を隠して呼吸を整えている。
三匹ものバケモノを引き寄せられたのはよかったが、撒くのに思った以上の時間がかかってしまった。
それでもまだ近くにいるに違いない。
武瑠は早鐘を打つ胸を押さえながら、ゆっくりと深い呼吸で体力の回復に努めていた。
――希美から、今河が座間と三屋にした事を聞いた武瑠はショックを受けた。
今河と座間はいつも行動を共にしていた。
素行が良いとはいえないが、硬派な座間は今河の面倒をよく見ていた。
今河が起こしたトラブルを力ずくで解決するというのもめずらしいことではなかったし、それなりの友情関係があると思っていたのだ。それなのに――。
自分が助かる為に友人を騙し討ちするなんて……
武瑠は今河の信じられない行動に虫唾が走る。
と同時に、病院での一件を思い出していた。
怖くてつい直登をバケモノへ突き飛ばしてしまった真治。
助けようとしているのに、バケモノをこちらにけしかけようとした沢部。
絶体絶命だと思った時、人は他人を犠牲にすることなどなんとも思わなくなってしまうのだろうか……?
どんな状況になっても、自分はそんな人間にはなりたくない!
そう思っていた時、放心するような目で壁を見上げる希美に気がついた。
武瑠も壁を見上げると、左目にドライバーが刺さっているコウモリ顔のバケモノがこちらを見下ろしている。
反射的に希美の手を引いて逃げ出したが、前からコウモリ顔とヒト型、二匹ものバケモノが現れてしまった。
矢城さんを守りながら逃げるのは難しいッ
そう判断した武瑠は、直登たちが隠れている場所を口早で希美に説明して逃がした。
そしてバケモノを引き付ける為、自らを囮にしたのだった――。
矢城さんは無事に直登たちのところまで逃げられたのかな?
呼吸が整ってきた武瑠は希美の心配をする。
無事にアパートの管理人室まで逃げられれば直登や皆本がいるし、由芽や桃香がいるのも心強いだろう。
もし途中で他のバケモノに出会ってしまったら……。
「ええいッ、そんなことあるもんかっ!」
武瑠は頭を振って、浮かんでしまった嫌な映像を振り払った。
今は希美の無事を信じるしかない。
三島さんや貴音、和幸もこんな思いしてんだろうな……
武瑠は机にもたれかかり、窓から雲行きが怪しくなってきた空を見上げた。
誰かを心配して祈りながら隠れるというのが、こんなにも不安になるのだと今わかった。
ガラガラガラ……と、武瑠はベンチが動く音で我に返り棒を握る手に力を込めた。
バケモノが来たらすぐわかるように、入り口までベンチを動かしていたのだ。
「俺なんか探さなくていいのに……」
机の影から、フロアに入ってきた一匹の『コウモリ顔』の姿が確認出来た。
こんなことなら、机とかも集めてバリケードにしておけばよかった……
胸の中で舌打ちした。
そうしなかったのは、机を動かす時の音を聞かれてしまう事を恐れたからだったが、多少の危険は目をつむるべきだったのかもしれない。
『コウモリ顔』の姿がカウンターで見えなくなった時、武瑠はそっと窓へと近づいていく。
バケモノがここに来るかもしれないというのは想定していた。
武瑠がこの郵便局に隠れることにしたのは、まず第一に建物自体が比較的しっかりと残っていたからだ。
4階から上の階は外壁が崩れているところも多いが、この2階フロアはまだまだ健在だ。
外で隠れる場合は360°の警戒が必要で体力の回復もままならない。ここに隠れていれば、入り口さえ見張っていればバケモノが現れてもすぐにわかる。
できれば来てくれないことを願っていたが、来てしまったとしても見つからないうちに窓から脱出するつもりだった。
1階が駐車場なのでそれなりの高さはあるが、窓の横に下へと伸びている雨どいを利用すれば良い。もちろん雨どいに武瑠を支えられるくらいの強度が残っているのは確認してある。
雨どいは太い配管になっていて地中にまで伸びていた。水源の乏しい島だけに雨水を再利用できるような設備が地下にあるのだろう。
「え?」
窓枠に足をかけた武瑠の動きが止まる。
眼下には二匹のバケモノがいた。
体長が1メートルくらいに成長している『ヒト型』は、目にドライバーが刺さっている『コウモリ顔』の背に跨って武瑠を見上げていた。
目の錯覚だろうか? ヒト型ががニヤリと笑ったような気がした。
キィィィィッ!
ヒト型が耳をふさぎたくなるほどの甲高い声を出す。
それがなんの合図なのかはすぐにわかった。
「くっそぉッ!」
武瑠は窓枠に足をかけたまま、棒を勢いよく後ろへ振る。
迫っていたコウモリ顔は難なくそれを避けると、勢いそのままに飛びかかってきた。
「やらせるかッ!」
窓枠を力いっぱい蹴って飛び、間一髪で爪から逃れた。
しかし無理な体勢で飛んだため、机にわき腹を打ちつけて一瞬息が止まってしまう。
勢い余って壁に激突したコウモリ顔もさすがに痛かったのか、しかめっ面でしきりに頭を振っている。
「くらえバケモノッ!」
後ろに回った武瑠は渾身の力で頭めがけて棒を振り下ろす。
しかし、コウモリ顔は死角からの攻撃にもかかわらず棒を避けた。やはり皆本の推測通り、触角が目の役割をしているのだろう。
何度も棒を振り回すが、コウモリ顔に右へ左へ後ろへと躱されて当てることが出来ない。
「み、皆本のやつ、よくこんな素早いヤツを叩けたな……」
息を切らしながら皆本のすごさを実感した。
皆本は素早く懐に入り一撃でコウモリ顔を倒した。
なのに一撃を与えることすら出来ない自分にイラ立ちがつのる。
コウモリ顔は、武瑠の攻撃を避けるだけで襲いかかってくる間などはないように見える。
このまま攻め続ければ俺でも倒せるかもしれないッ!
夢中で棒を振り回す武瑠がその間違いに気付いたのは、ドライバーが刺さったコウモリ顔がフロアに入って来たのを視界の隅で捉えた時だった。
「お、誘き出された?」
いつの間にか受付カウンターの外まで誘い出される形となっている。
「なにやってんだ俺はよおッ!」
自分への怒りを吐きつつカウンターを飛び戻る。
今からでも、窓から飛び出せば逃げられるかもしれない!
だが、窓からヒト型が顔を出してくる。
武瑠が使おうと思っていた雨どいをよじ登ってきたらしい。
「これは……本気でマズいな」
逃走経路を押さえられてしまった。
しかも挟み撃ちされるカタチとなり、まさに絶体絶命の状況となってしまった。
どうすればいいのかと考える時間などなく、同時に襲われればまず避けるのは不可能だろう。
武瑠はとっさに椅子を二つ持ち上げ、前にいる二匹のコウモリ顔へと投げた。
まともに当たるなんて思ってはいないが、ただ自分の直感を信じた。
そして武瑠は――賭けに勝った。
椅子は二つとも弾かれたが、その僅かな時間で武瑠はカウンターを飛び越え、ドライバー付きのコウモリ顔へ棒を振り下ろす。
コウモリ顔は避けようと後ろに下がる。その素早さに棒は……僅かに届かない。
だが武瑠が狙ったのはコウモリ顔の頭ではなかった。
ギぃァァァァッ!!
コウモリ顔の絶叫が響く。
狙ったのは目に刺さっているドライバーだった。
バケモノまでは届かなくても、刺さっているドライバーになら届くはず!
病院で初めて相対した時、コウモリ顔は投げた丸椅子を手で弾いた。
だから今回も獲物を逃がさないように、出入り口の前を空けるようにして避けるはずがない。手で弾くことは十分予想出来た。だが、これは運任せで一か八かの賭けだった。
そして運は、武瑠にもう一つ贈り物をしてくれた。
痛みで混乱し暴れたコウモリ顔が、隣のもう一匹に襲いかかったのだ。
「運は俺に味方したぁぁぁッ!」
武瑠はその横を駆け抜けた。
あとは階段を下りれば逃げることが出来る。
おまえらなんかに喰われてやるかよッ!
しかし、コウモリ顔へ振り向いた武瑠の目に飛びかかってくるヒト型が映った。
その軌道は階段を下りようとする武瑠に合わせている。
このまま進めば組み付かれてしまうッ!
舌打ちした武瑠に残されたのは、反対の階段を上がる道しかない。
「くそぉッ、運は俺を見離したのかぁぁぁ!?」
こちらに傾いた「運」はバケモノにも傾くというのか……。
襲われていたコウモリ顔は仲間を振り切って迫ってくる。
「なんでなんだよおぉぉッ!」
ぶつけ場のない怒りを吐きながら階段を駆け上がる。
3階、4階……。コウモリ顔は武瑠との差を詰めてきている。
5階に着くころには手が届きそうなところにまで迫られていた。
「たしか、あの部屋だったよな……」
5階の廊下を走り、ある部屋の壁から光が漏れているのを確認。
バケモノはすぐ後ろにいる。
棒を部屋の前で放り投げ、武瑠は建物の外観を思い出しながらドアを勢いよく外へ開いた。
その部屋の床は外壁ごと崩れ落ちており、瓦礫が3階下に散乱している。
ドアノブを両手で握った武瑠は、ぶら下がったままドア蝶番を支点に180°回り壁に激突した。
すぐ後ろにいたコウモリ顔は、勢いを止められずに宙を踊りながら階下へと落ちていく。
重いものが落ちた音と振動。
頭から落ちたコウモリ顔は、瓦礫に血を飛び散らせて倒れている。
武瑠はコウモリ顔との追いかけっこで、わざと差を詰めさせていたのだ。
階段ダッシュなら、嫌というほど部活でやっていた。バケモノの素早さは認めるが、簡単に追いつかれるほどやわな鍛え方はしていない。
「おいおい、まだ生きてるのか?」
階下で倒れているバケモノの尻尾がピクピクと動いている。
驚くというより呆れてしまう。20メートル下の瓦礫に落ちたのだ。幾つもの尖った瓦礫が即命を奪っていてもおかしくはなかったのだ。
このまま放っておいても絶命するのかもしれないが、それを確認する時間の余裕はない。
壁を蹴ってドアを戻し、廊下に戻った武瑠はヒト型を乗せたドライバー付きのコウモリ顔が5階に現れたのを見た。
棒を拾い上げて目の前にいるバケモノの襲撃に備える。
どうする? どうしたらいいッ!
勢いよく迫ってくるバケモノ二匹を相手に勝てるとは思っていない。
けれども、どうにかしてこの場を切り抜けなければならない……。
武瑠は校章が縫われている白いワイシャツのボタンを弾き飛ばしながら脱ぐと、それを棒の先端に引っ掛けた。
「うおぉぉぉあぁぁぁぁッ!」
棒を構え直して先端のワイシャツを振り、気合いの叫びを上げながらバケモノたちへと突進する。
これは基本的な護身術の一つだ。
前方から襲われそうになった時には両手、もしくは手荷物を前に突き出し、相手を睨みながら大声で「こっちへ来るな!」と威嚇することである程度の効果があるといわれている。
相手からしてみれば目標者との間に物があると距離感が微妙にズレるらしい。加えて、相手に大声を出して心理的な威圧感を与えることで、逃げる隙ができる確率が上がるそうだ。
力のない女性のための護身術として紹介されることがある方法だった。
以前に何かで知ったその情報を思い出した武瑠は、これを攻めとして利用した。
触角でモノを見ているとしても、獲物の前にヒラヒラしたワイシャツがあることで距離感がズレているに違いない。
大声の威嚇にどれだけの効果があるのかは不明だが、自分自身を奮い立たせるにはちょうどよかった。
気合いの入った武瑠の突進に、コウモリ顔は急ブレーキをかけた。
効果ありか!?
このまま横を通り過ぎることが出来れば、一気に差を広げて逃げ延びることができるかもしれない。しかし、事はそう簡単にはいかなかった。
コウモリ顔の背からヒト型が飛んだのだ。
両手を突き出し、口を大きく開いてその牙を喰い込ませようとしてくる。
走ってきた勢いに加え、跳躍で加速したヒト型はまっすぐ武瑠へ向かってくる。
「ッ! ふざけるなぁッ!」
武瑠は白シャツが揺れる棒の先端をヒト型へ向けた。
グゴガァッ!
口内に棒を突っ込ませ、
「このおぉぉぉッ!」
そのままヒト型を床に叩きつける。
棒を引き抜いたらワイシャツがなかった。
「シャツはくれてやるよっ!」
喉の奥に入ったワイシャツで、呼吸がままならずに苦しんでいるヒト型の横を駆
け抜ける。
前方にいるコウモリ顔は呼吸を荒げ、武瑠を捕らえようと体を青白く発光させていた。
間に合うかッ!?
電撃が来る前に逃げなければならないのだが、コウモリ顔の体が白く輝いてしまった。
走る姿勢を低くした武瑠に手を伸ばしてくるコウモリ顔。
武瑠はさらに加速すると、目前で一気に飛び上がった。
合わせて低い姿勢を取っていたコウモリ顔の反応が一瞬遅れる。
よしッ、いけるッ!
上を見事に通過していく武瑠だったが、
「ッ!!!!!!!!! 」
全身を走り抜けた激しい衝撃で、うまく着地できないまま床を転がると壁に激突した。
なんだ!? なんなんだよこれッ?
すぐにでも立ち上がりたいのだが身体が動かない。
コウモリ顔の長い手がズボンの裾をかすめて感電していたらしく、声すら出すことが出来ない。
それでもなんとか逃げようとするが、イモムシのように身体をくねらせるのが精一杯だ。
すでに階段は見えている。
手を伸ばせば届きそうなのにやたらと遠く感じてしまう。
もう少し、あと少しだったのに……
もがく武瑠に、光の消えたコウモリ顔がゆっくりと迫る。
その勝ち誇った顔に蹴りを喰らわせてやりたかったが、まだ身体が痺れていて動くことが出来ない。
必ず戻ってくるって
みんな一緒に島を脱出しようって約束したのに……
みんなと交わした約束。
船を出る時に一颯と、一番大切にしたい人との大事な約束。
それが守れなくなってしまうと悟った。
動けない武瑠をバカにするように、前にまわったコウモリ顔は牙が光る大口を開いた。
くそッ、くっそぉぉぉぉッ!
出来る事なら目に刺さっているドライバーをさらに奥へと刺し込んでやりたい。
しかし身体が動かないのだ。
武瑠はコウモリ顔から目を離さなかった。
自分が死ぬその瞬間まで睨みつけてやろうと決めたのだ。
それが武瑠に出来る最後の抵抗である……。
首に牙が触れ、今にも喰い込もうとしたその瞬間――階段から人影が飛び出してきた。
鈍い音を響かせてコウモリ顔は床を転がる。
どうして――ここに?
武瑠は助かった事も忘れて目の前にいる人物に目を見張る。
ここにはいるはずのない人物だったのだ。
「あれ~、もしかして余計な事だった~?」
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読んでくださり ありがとうございました。




