二話 二時間前① 下船
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――――約二時間前。
50人ほどが乗船できる船で約一時間半。
武瑠たち富川学園の3年生は、修学旅行の学習見学としてこの「希望の島」を訪れていた。
六月というのは、雨が降れば肌寒く、晴れれば温かい。
朝はまだ寒いくらいであったが、10時を過ぎればこの陽気な空の下。船では制服の上着を着ていた生徒たちもそれを脱いで下船するようだ。
約一時間の島内散策に興味のある生徒は少なく、ほとんどの生徒は本島に戻ってからのバイキング形式の昼食と、その後の自由行動に想いを馳せていた。
島の漁港へと到着した船。
そこからぞろぞろと生徒全員が降りたのを確認した若狭佳菜恵は、各班の班長を集めて話しをしている。
佳菜恵は武瑠たちのクラスの担任である。
歳は生徒たちとはひとまわり違うのだが、スーツを着ていなければ生徒と間違われてしまうほど若く見える。持ち前の明るい性格と優しさで、男女問わず生徒からの人気を集めていた。
「それではみなさん、班長が戻ったら各班ごとに島を散策してください。それから、危ないから建物の中には入っちゃダメだからね!」
話を終えた佳菜恵は班長たちを解散させ、生徒たちに大きな声で指示を出した。
海風で揺れる前髪を押さえ、にこやかな表情で生徒を見守る佳菜恵。
生徒を心配するありがたいお言葉だったが、ほとんどのクラスメイトの耳には入ってはいなかった。
みんなは班に関係なく、気心の知れつつある友人との話で盛り上がっている。
3年生に進級してクラス替え。
クラスメイトは部活や友人などを通しての顔見知りではあったが、親しいとは言いにくいような微妙な関係であった。
最初はぎこちなかった関係も、二ヶ月も経った今では各々に友人が出来てそれなりの人間関係を築けているようだ。
話を聞かない生徒たちに、佳菜恵は眉をしかめてふうっと息を吐く。いつものことだから仕方がないといった顔だ。
自分が学生だった時も、先生の注意はまともに聞いていなかったと懐かしんでいるようにも見える。
周りを見回した佳菜恵は、友人たちと談笑している男子生徒に目を止めた。
「あ、神楽くん、ちょっと……」
小さな手招きに気付いた武瑠が、小走りで佳菜恵へと駆け寄って行く。
「神楽、あんたまた何かやったの?」
武瑠は、前から歩いてきた班長、篠峯聡美に声をかけられた。
「またって……。俺からは何もしてないぞ」
武瑠は思わず足を止め、大袈裟に手を広げる。
“なにかやったの?”と問われれば身に覚えがないこともない。しかし、少なくともそれは佳菜恵に怒られるような『悪さ』ではない。
聡美も武瑠が問題児ではないことを知っている。だから彼女は、ジーとからかうような疑いの目を武瑠へ向けている。そこに、
「だめだよ聡美、あまり神楽くんを疑っちゃ。かわいそうだよ」
他の班の班長である矢城希美が、武瑠へ助け舟を出した。
「矢城さん? そ、そうだよね。矢城さんはわかってくれてると思ったんだ!」
希美とはあまり話をしたことはない武瑠だったが、ここはノリ良く手を合わせて感謝。
希美は、明るい笑顔で武瑠の肩に触れる。
「まだ何もしてないだけでしょ? 何かをするのはこれからだもんね!」
「あれ? なにかフォローしてくれるんじゃないの?」
肩を落とす武瑠に、希美は楽しそうに微笑んだ。
笑いを堪える聡美が、武瑠を待つ佳菜恵に気がついた。
「ほら神楽、若狭先生が待ってるんだからさっさと行けば?」
呼び止めたのは自分だろ?
武瑠はそう思いながらこの場を離れる。
「神楽くんまたね!」
「あ、ああ。またな」
笑顔で小さく手を振る希美に、
矢城さんの班は大変だろうな……
武瑠はそう思いながらぎこちない笑顔を返した。
矢城希美の班はクラスの〝問題児〟たちが揃っていた。
まず学園で一番ケンカっ早く、不良たちの頂点に立つ座間功。
目つきが悪く、悪い噂のほとんどは真実だという豊樹美砂江。
いつも座間の傍にいる「自称No2」で一番の厄介者、今河辰好もいる。
普段は彼らとは接点のない希美だが、昨年の秋ごろから美砂江と行動するようになってしまった友人の片平樹希が心配で同じ班になったようだ。
他にも普通の男子がふたりいるのだが、彼らは問題児たちとは関わらないよう距離を置いている。
班長という、決して適任ではない希美がそうなってしまったのは、他に適任者がいないので「やらされている」と言った方が正しいのかもしれない。
楽しいはずの修学旅行なのだが、班の顔ぶれを見れば心からは楽しめないであろう希美に同情する。
ちらりと振り返った時、希美はまだ手を振っていた。
そんな彼女に、武瑠も小さく手を振り返した。
待たせてしまったにも拘らず、若狭佳菜恵は嫌な顔一つせずに待っていた。が、
「どうしたの佳菜恵ちゃん、またボタン取れちゃったの?」
悪びれることもなくからかうような武瑠の言葉に、プ~っと頬をふくらませる。
「ちがいますぅ。今度はちゃんと自分で出来るんだからね」
昨日の自由行動の時、武瑠はベンチに座りうつむく佳菜恵に声をかけていた。
スーツのボタンが取れかかっているのを直そうとしていたのだが、そのぎこちない作業を見るに見かねてのことだった。
武瑠は必死に口が弛むのを我慢する。
不器用を自覚している恥ずかしさから顔を赤くする佳菜恵。
その表情と子供っぽい仕草がかわいいと思ってしまうのだが、それを言うとまた怒られてしまうのだ。
「そうじゃなくて、神楽くん和幸と同じ班だったよね。あの子、最近また調子が悪いみたいだから、少し気にかけてくれないかな?」
チラリと和幸に視線を送った佳菜恵は、武瑠に小さく手を合わせた。
つられた武瑠も、直登たちと談笑している和幸へと視線を移す。
高内和幸は、この国に住んでいる人間なら誰もが知っている高内財閥の御曹司。そして、若狭佳菜恵とは従姉弟同士だった。
人あたりの良い彼は、いつも笑顔でみんなを和ませている。しかし、彼は幼い頃から心臓が悪いらしい。
武瑠は、この学園に進学することになったのも、教師に佳菜恵がいるから母が安心してくれるのだと、恥ずかしそうに言っていたのを思い出した。
「私がこんなこと言ったっていうのは内緒にしておいてね。あの子、またムクれるから……」
ちょっと寂しそうな佳菜恵の笑顔に、武瑠は苦笑いした。
和幸の気持ちも解らなくはなかったのだ。事情があるとはいえ、高3にもなってあれこれ心配されるというのは、感謝はしてもあまり面白いものでもない。
「わかりました。それとなく気にかけておきますよ」
武瑠は小さく手を上げ、快く引き受ける。
高内和幸とは二年生の時も同じクラスだったので、体調が優れない時にどれだけ苦しそうなのかはよく知っていた。
「助かるわ。それじゃお願いね」
快い返事に軽いウインクを残し、佳菜恵は女子に囲まれている教育実習生、高崎衛へと歩いていった。
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「佳菜恵ちゃんなんだって?」
皆の所へ戻った武瑠に相模直登が声をかけてきた。
担任の若狭佳菜恵は「佳菜恵ちゃん」の愛称で親しまれている。
「教師」という立場上、せめて「先生」という敬称を付けるよう皆に注意はしていたのだけれども……ひとまわりも年下の生徒たちに「姉」のようだと言われるうちに当人も気に入ってしまったらしい。
クラスの中で佳菜恵を「先生」と呼ぶのは、クラス委員長と、武瑠が片想いする女の子。
そのふたりだけだった。
「あ、え~と……こ、この班をしっかり仕切ってくれって言われたんだよ」
直登には本当のコトを言うつもりだったのだが、近くに和幸がいたので適当に答えた。
「へぇ~。問題児のタケが、どうやってこの班を仕切るのかなぁ?」
からかうように話しかけてきたのは佐藤貴音。
多くの女子は海風でなびく髪を押さえているが、ショートヘアの貴音には関係ないようだ。
146㎝と小柄な貴音。小学生と背比べをしても負けてしまうのが悩みの彼女は、いつも通り武瑠をからかってくる。
こんな時は、武瑠もいつも通りの「対応」をする。
「だれが問題児だ。 問題児は直登の方だろ?」
間髪入れず、隣の直登を指差した。
「だれが問題児だ。問題児は貴音の方だろ」
直登はすかさず貴音を指差す。
「なっ!? わたしのどこが問題児なのよ!」
手持ちのバッグで叩かれた直登は大袈裟に痛がってみせた。
そのいつも通りの展開に、武瑠は遠慮なく笑う。
貴音に密かな想いを寄せている直登は実に楽しそうだ。
佐藤貴音、相模直登とは同じバスケ部に所属している。
直登はおちゃらけながらも要所は締めてみんなを引っ張ってくれる、頼れるチームのキャプテンで武瑠の親友だ。
武瑠と直登は170㎝台前半と身長こそ高くはないが、群を抜いたスピードとパス回しで相手チームを苦しめる。
ふたりとも、バスケットボール関係者のなかではちょっとした有名人だった。
武瑠と直登はプレイヤーとして、貴音はマネージャーとして、全国大会優勝という目標に向かう仲間だ。
チームが苦しくなった時ほど、明るい笑顔と叱咤激励でみんなを支えてくれるのが貴音。
「大丈夫、まだまだこれからだよ! 苦しいのは相手も同じ! あきらめないで最後まで走りきりなさいっ!」
それが、チームが苦しい時の貴音の口癖だった。
ショートカットの髪から汗が滴るくらい熱のこもった応援をする姿は印象深い。
貴音の励ましや献身的なサポートがなければ、昨年の全国大会でベスト8という成績は残せなかっただろう。
直登も貴音も、武瑠にとってかけがえのない仲間であり、良き友人である。
「どうせ、姉ちゃんが僕の面倒を見てくれって言ってきたんでしょ?」
三人で冗談を言い合っているところに、高内和幸が気まずそうに入ってきた。
「あ、いや……そんなことはー―ないぞ」
「誤魔化しきれてないから」
口ごもる武瑠に、和幸が笑顔を見せた。
「たしかに、最近は調子の悪い日が多かったんだけど、今日はすごく調子がいいんだ。だから、そんなに気を遣わなくていいからね」
自分の胸をトンと叩いた和幸は、島のパンフレットを見ながら離れて行った。
「ウソをつくのがヘタだなぁ武瑠くんは。 素直すぎるのも問題だよ」
いつの間に隣に来たのか。
隣でため息まじりの一颯が目を細めていた。
肩まである髪が風で揺れている。
たなびく髪で見え隠れする一颯の笑みに、武瑠はドキッとした。
「三島さん……。す、素直なのはいいことだろ?」
「場合によると思うけどな」
一颯は流れる髪を戻しながら微笑んでいる。
三島一颯――親友である相模直登の幼なじみで、武瑠が片想いする相手でもあった。
性格は明るく笑顔を絶やさない一颯。彼女といると誰もが笑顔になってしまう。
そんな魅力のある女の子だ。
噂では直登に想いを寄せているとかいないとか……。
怖くて確認は出来ていない。
この旅行で一颯と同じ班になれたのことに、武瑠は初めて神に感謝した。
「それとなく武瑠をどう思っているか、一颯に聞いてやろうか?」
淡い恋心を知っている直登のありがたい申し出を、武瑠は顔を青くして止めた。
直登とのつながりで、一颯ともよく会っているし遊んだりもしているが、
「武瑠くん? もちろん好きだよ!」
と言ってくれたら天にも昇る気分だが、
「だから、ずっと良いお友達でいたいな!」
なんて付け加えられた日には、地獄の底をも突き破る気分になってしまうだろう。
男女間で「良いお友達」というのは恋愛対象ではない証拠。
どこまで行っても「友達」以上にはなれないのだ。
呆れた顔をする直登だったが、「貴音に直登をどう思うか聞いてやろうか?」と言ったら同じ反応をした。
ふたりとも、バスケでは肉食獣のような攻撃型だが、恋愛に関しては草食動物そのものだ。
「みんな揃ったみたいね。それじゃ、そろそろ行きましょうか」
この班の班長で、クラス委員長でもある篠峯聡美が皆に声をかけた。
マジメという言葉がピッタリな聡美。
まわりにも自分にも厳しい彼女だが、お堅すぎるわけではなく、社交性もかなりのもので、一颯や貴音の良き友人だ。
聡美の後ろには、隠れるようにして坂木原真治がいた。
身長が高い真治。180㎝を超える身長は、どう足掻いても150㎝台前半という聡美からはみ出してしまっている。
それでも、背中をすぼめて小さくなろうと努力するその姿が実におもしろい。
身長が高くキリンのような印象の坂木原真治は、家が空手だったか拳法だったか……武術の道場を開いているらしい。
一見細い体型に見えるが、よく見ればシマリの良い筋肉に覆われているのがわかる。難点なのは〝ノミの心臓〟というくらいに気が弱く、極度な人見知りで大人しすぎる性格だろう。
自分から聡美以外の誰かに話しかける姿は見たことがない。
そんな真治と、自分に厳しくしっかり者で、秀才美女な篠峯聡美。
全く性格の違うこの2人が、実は恋人同士であるということには誰もが驚く。
幼なじみの聡美と真治。
しっかり者の聡美が、なにかと頼りない真治の面倒を見ているうちになんとなくそうなったらしい。
聡美の横に真治が並び、一颯と貴音、武瑠と直登と和幸が続く。
この時はまだ誰も知らない。
彼らは、惨劇の〝廃墟探検ツアー〟へと出発した。
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