十七話 302号室 ・ 真治の決意
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アパートの管理人室は重苦しい空気で満たされていた。
誰一人言葉を発しない。いや、発することが出来ないでいる。
B棟の302号室
野宮一成と間下湧斗が見に行けと言った部屋で、武瑠は何を見たのか――?
◇
野宮と間下が去ったあと、武瑠と皆本はケガをして気絶している豊樹美砂江を直登たちに任せて、B棟の302号室へと足を運んだ。
玄関ドアは開いていた。入って右側にトイレ、左側に風呂場。
廊下には血の跡が点々と続いている。
奥には台所がある大きな部屋、現在でいう対面式のダイニングキッチンである。
襖を隔てた部屋が寝室なのかもしれない。武瑠たちは血の跡を追ってその部屋の襖を開けた。
武瑠は絶句する。
それはあまりにも凄惨な光景だった。
一成と湧斗は、コレを俺たちに見せたかったのか……
むせるような血の匂い。
何度も繰り返し殴られたのだろう。
そこには手足が変な方向に曲がり、頭を割られ絶命している能海実鈴がいた。
押し入れの中には河添春来がノドを食い破られて死んでいる。
だが武瑠の目を引いたのは実鈴の腹部である。
血に染まった腹部に何かがいるのだ……。
「……赤ちゃん?」
そのつぶやきは武瑠か、それとも皆本だったのか――あるいはふたり同時だったのかもしれない。
しかし、ソレは赤ちゃんではなかった。
ヒトの形とよく似た何かが、破れた実鈴の腹部から這い出ようとする格好で死んでいる。
ゲームに出てくるゴブリンのような風貌は、コウモリ顔のトニトゥルスとは似つかない。が、触角はないものの、鋭い爪、なにより尻部から生えている先端が尖った特徴的な尻尾は、あきらかにトニトゥルスのそれであった。
コウモリ顔の眼は黒かったが、こちらのトニトゥルスの眼は赤い。
すでに絶命しているその眼に睨みつけられているようで……。
「ヒト型の――バケモノ?」
まだ『トニトゥルス』という名を知らない武瑠が、身を震わせながらつぶやく。
皆本が赤い瞳の能海実鈴、そして絶望の表情で絶命している河添春来の目を閉じて立ち上がり、武瑠へ目を向けた。
何を言いたいのかはわかっていた。そう、これは皆に話さなければいけないことなのだ。
武瑠は拳を固めて頷いた。
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武瑠たちがいる団地から、さほど離れてはいない銭湯跡。
コウモリ型のトニトゥルスが、お湯のない浴槽に頭を突っ込んで死んでいる。
「変だな、全然痛くないや……」
遠い目をしている坂木原真治がつぶやいた。
右手に握るサバイバルナイフからは血が滴っており、彼の左腕の白いワイシャツは真っ赤に染まっていた。
トニトゥルスに咬まれた腕からは血が流れ、傷口は心臓のように脈打っている。
それでも真治は『痛い』とは感じていない。
今の彼の心には、埋めようのない大きな穴が開いている。その穴から涌き出してくるドス黒い怒りに支配され、痛覚が働いていなかった。
真治は足の下にいる、園児くらいにまで成長したヒト型のトニトゥルスを見た。
キィキィ鳴きながらもがくその姿は、命乞いをしているようにも見える。
「ごめん。何を言っているのかわからないよ……」
グシャッと、頭を踏み潰す嫌な音が響いた。
真治は壁にもたれて死んでいる柚木芽衣子へ目を向ける。
彼女の腹は破れ、肉が食い散らかされている。
「三島さんか佐藤さんかと思ったんだけどな」
ハンカチを取り出して傷口に巻き、銭湯を後にした真治は空を見上げ呟いた。
「神楽くんたち、どこに行っちゃったんだろう……」
船に行ってみたが誰もいなかった。
手に持つサバイバルナイフは、近くで死んでいた船員の1人が持っていたものを拝借した。
途中で瀬良勝徳・兵藤道信・座間功・三屋勉の遺体を見つけたが、その時は背筋が凍る思いをした。
武瑠や直登たちが、すでに死んでしまったのかと思ったのだ。
「まだ死なないでね。キミたちは――」
次の言葉を出す前に、耳を撫でた風から囁くような声が聞こえた気がする。
真治は頭を振って、その声を否定する。
「許せないよ……」
低く呟いて目を開いた真治。その瞳は憎悪に燃えていた。
「――神楽くんたちは、僕が殺すんだッ!」
真治は強い一歩を踏み出す。
憎き奴らに、裁きの鉄槌を下すために――――。
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