十五話 高崎の任務とその誤算
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高崎が一颯たちを連れて逃げ込んだのは酒場だった。
入り口にドアはなく、店内には横に長いカウンター。その奥には多くの酒が並んでいたであろう、大きくて長い棚がある。そのまま残されている多くの丸机。カウンター席以外に椅子はない。
小さな島の小さな酒場。狭い店内に多くの人が入れるようにと考えられた立ち飲み酒場だったのだろう。外で朽ちていた多くのベンチは、店に入りきらない人のためのものだったのかもしれない。
まるで西部劇に出てくるような店内の奥に入った高崎は、カウンターの下に潜り込んだ。
ガチャン
何かが外れる音がした。
「みなさん手伝ってくださいッ!」
カウンターから顔を出した高崎は、棚を横に押し始める。
なにをするつもりなのかはわからなかったが、高崎の必死さにつられて一颯たちも棚を押す。
ゴゴゴ……と、重い音を響かせて棚が動いた。
「ちょ、ちょっと、バケモノが来ちゃったわよ!」
棚を押しながら貴音が叫ぶ。
外から二匹のバケモノが、真っ直ぐこちらに向かってきていた。
一颯たちがさらに力を込めると、棚は壁ごと少し奥へと入り車のスライドドアのように動く。
奥には天井の低い8帖ほどの部屋が隠れていた。
高崎は胸を押さえる和幸の手を引いて中へ入る。
「三島さんと佐藤さんも入って下さいッ!」
四人が隠し部屋へと逃げ込んだのと同時に、バケモノたちが店内に侵入した。
「閉めますから手を貸してッ!」
今度は部屋の内側から閉めるべく、壁にいくつかある取手を引く高崎。
一颯と貴音も手伝った。
ゆっくりスライドしながら閉じていく壁。
「もぉッ! 重すぎでしょこの壁ぇッ!」
気合いを入れた貴音のおかげか、動き出した壁が加速する。
グブゥッ
勢いよく閉まった壁。
室内にくぐもった声とにぶい音が響いた。
「せ、先生。明かり……なにか明かりになるモノありませんか?」
ここは真っ暗でなにも見えない。
一颯は肩で息をしながら、暗闇のなか手探りで和幸を探した。
壁が閉じる瞬間、彼が胸を押さえながら倒れるのを見たのだ。
「あ、あります。ちょっと待ってください……」
室内に光が生まれた。
高崎が取り出したのはポケットサイズの懐中電灯だった。
小さいながらもLED電球から放たれる白い光は、思ったよりも狭い室内を明るく照らしてくれる。
「高内くんしっかりして!」
「平気だよ――。少し休めば――大丈夫――だから……」
心配する一颯に強がって見せる和幸だが呼吸は荒い。
薄暗いなかでもはっきりとわかる、血の気の失せた青い顔だ。
「きゃッ! なによ! バケモノが入ってきてるじゃないッ!」
貴音が、閉まった壁の隅を指差した。
「落ち着いてください佐藤さんっ、あれはもう死んでいます」
取り乱しかけた貴音を高崎がなだめた。
「え? 死んでる……?」
その言葉通りバケモノは微動だにしない。
壁が閉まる時に飛び込んできたのだろう。
閉まった壁はバケモノの胴体を押し潰していた。床には衝撃に耐えられずにちぎれたバケモノの胸から上が転がっている。
高崎は一颯に膝枕されている和幸の横にしゃがんで、心配そうに顔を照らした。
「高内くんは大丈夫なのですか?」
自分に向けられた視線に一颯は小さく首を振った。
「大丈夫だって言ってますけど、かなり悪いみたいです。ここが安全なら、しばらく休ませてあげた方がいいと思います……」
「そうですか。この部屋ならアレが入ってくる隙間はありませんから安全です。しばらく休んでいきましょう」
「安全です」という高崎のその言葉は、皆の緊張を少しだけ緩和してくれた。
壁に囲まれた部屋には懐中電灯の明かりしかなく、薄暗くひんやりとした室内は不気味ではある。けれども、バケモノを心配する必要がない所にいるという安心感は心細さを大きく上回っていた。
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二十分ほど経っただろうか。
和幸の顔色は悪いものの、今は呼吸も安定し一颯の膝で眠っている。
「ねぇ先生、ここってなんの部屋なんですか?」
気持ちに余裕が出来たのか静けさに飽きたのか、貴音は小さな声で高崎を見た。
「な、何の部屋とは? わ、わたしが知るわけないじゃありませんか」
そのうろたえ方に、貴音の方が驚きキョトンとする。
ただの何気ない会話の一つのつもりだったのだろう。
しかしそれは一颯も気になったことだった。
高崎は店内に入ると迷うことなくからくりを操作して隠し部屋へと皆を導いた。それは、事前に隠し部屋があることを知っていたことを意味している。「なぜそんなことを知っていたのか?」貴音が切り出さなければ一颯が聞いていたことだろう。
「でも、先生はここに隠し部屋があるって知ってたんです――よね?」
一颯の質問に高崎の唇が震えだした。
なにかいけないこと聞いちゃったのかな?
彼の反応に一颯も戸惑う。
「そ、それは、その……ぐ、偶然なんです」
「偶然?」
キョトンとするふたりから、距離を取るように高崎は上体を引いた。
「島を散策していた時に偶然この部屋を発見したんですよ」
ごまかし笑いに、一颯と貴音は首をひねる思いだ。
「――じゃあ。僕からも質問していいですか?」
突然の声に、皆の身体がビクッと震えた。
「高内、あんた起きてたの? 寝てるのかと思ってた……驚かさないでよ」
ゆっくりと起き上がる和幸に、一颯と貴音は手を貸した。
「少し寝てたみたいだね。でも、もう大丈夫だから」
その笑顔は少し赤みを帯びている。さっきよりは回復したようだ。
「高内くん、もう少し横になってた方がいいんじゃない?」
心配する一颯を横目に、和幸は鼻を掻き
「僕も話に混ざりたいんだ。それに、三島さんの膝が気持ちよくって このまま横になっていたら、本当に熟睡しちゃうかもしれないし」
にこりと笑った。
「え。あ、あの……」
気恥ずかしさから、一颯は顔を赤くしてうつむいてしまった。
「高内、あんたこの状況でよくそんなこと言えるわね」
あきれ顔の貴音に、和幸は照れ笑いしながら頭を掻いた。
だが、高崎へと視線を移した時。和幸の表情は真剣なものへと変わっていた。
「高崎先生、僕からも質問していいですよね?」
高崎がうろたえる。
「さっき船にいた時、あなたは僕だけは脱出しなければいけないって言いましたよね? あれって、どういう意味ですか?」
「そ、そんなこと言いましたか?」
視線を逸らした高崎。
和幸の気迫に、一颯と貴音は固唾を飲む。
「こうない――くん?」
「高内どうしちゃったの? なんか目が怖いよ?」
和幸は答えない。ただ真っ直ぐに高崎を見据えている。
「高崎先生。いえ、高崎さんって言った方がいいですか? もっとも、それが本名なのかはわかりませんけど……」
「こ、高内くんっ! あ、あなたは――な、なにを言っているんですかっ!」
高崎が悲鳴にちかい声を出した。
「高崎さん。あなたが教育実習生として学園に来た時から、違和感は感じていたんです。僕が幼い頃から見てきた人達にちかい〝におい〟がしていたから……」
あきらかに高崎の顔が青くなる。
「ちょっと高内、なにを言っているのかわかんないんだけど……」
「高内くんは、先生のこと前から知っていたの?」
和幸は軽く首を振り、
「高崎さんのことは知らないよ。でも……」
冷たい視線をうつむく高崎へ戻す。
次の言葉は衝撃的な内容だった。
「高崎さんはあのバケモノのことを知っていたんじゃありませんか? いえ、僕は高崎さんがあのバケモノを解放したのだと思っています」
高崎が興奮して立ち上がった。
「ち、ちがいますッ! わたしは知らなかったんだ、トニトゥルスがあんなカタチで生存しているなんて、知らなかったんですよッ!」
高崎は頭を抱えてしゃがみ込み、
「知らない、知らなかったんだ。わたしはサンプルを回収しに来ただけで……。なのにカタチを持っていたなんて――。な、70年前に、卵以外は処分したって言ったから……」
早口でブツブツまくしたてる。
「トニトゥルス。それが、あのバケモノの名前ですね?」
答えない高崎は錯乱しているかのように、
「悪くない。わたしは悪くないんだ……」
と繰り返している。
「こ、高内。いま――すごい話を聞いちゃったんだけど……」
震える貴音。一颯はその手を握る。
「高内くん、高崎先生があのバケモノを……トニトゥルスだっけ? それを解放したって、どういうことなの?」
「僕も詳しく知っているわけじゃないんだ」
和幸は少しだけ、頭を抱えてうずくまる高崎に憐みの目を向けた。
「トニトゥルス。――たしかラテン語だったと思う。意味は『雷』。あのバケモノはね、戦時中に軍部によって生み出された、生物兵器用の実験動物なんだ」
「生物兵器って……。あのバケモノを戦争に使おうとしてたってこと?」
半信半疑の貴音。それは一颯も同じだった。
「でも、戦争なんてとっくに終わってるのに……なぜ? 高崎先生はトニトゥルスで、また兵器開発でもするつもりなの?」
一颯は船で発光したトニトゥルスを思い出した。
武瑠と直登もトニトゥルスは発光して沢部利春を感電死させたと言っていた。そんな能力に加えてあの素早い動き……。トニトゥルスが戦地に投入させれば、間違いなく敵方は混乱する。自軍兵士の犠牲者はかなり抑えられるだろう。
和幸は首を振った。
「それは高崎さんに聞いてみないとわからないよ。僕だって、いまだにこれが現実だなんて信じられないんだから……」
「なんで高内がその、トニスル……じゃなくて、トニルル……」
「トニトゥルス?」
上手く言えない貴音に一颯のフォローが入った。
「そうそれっ! なんで高内がそのトニなんとかってバケモノのこと知ってるのよ?」
「僕も知ってたってわけじゃ――いや、聞いたことはあったんだけど……でも、その話だってさっきまで忘れていたんだ」
「聞いたことがあったって……誰から聞いたの?」
「僕のひいお爺様から――ね」
一颯の問いに、和幸は少し悲しそうな目をした。
「たぶんひいお爺様は、トニトゥルスの研究者のひとりだったんだ」
「たぶん?」
「ひいお爺様は6年前に亡くなったんだけど、僕が子供の頃から……100歳を越えてたからおかしくはないんだけど、ボケと一緒に妄想って精神疾患もあったんだ。でも僕といる時はいつも調子が良くてね、いろんな話を聞かせてくれた。妄想の話だってわかっていたけどその話がおもしろくてね。僕はひいお爺様の話が大好きだったんだ……」
良い思い出だったのだろう、懐かしむ和幸は穏やかに笑った。だが、
「その話の中のひとつに、トニトゥルスの話があったんだ」
目を閉じて一呼吸したあとの和幸の目は、真剣なものへと変わっていた。
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